第1話(後編)「1万ポンドの条件」 1799年3月11日~3月13日
3月11日、イーサン・マーサーはロバート・R・リヴィングストンと面会した。
リヴィングストンは52歳で、法律家、政治家、外交官として長い経歴を持つ人物だった。ニューヨーク州でも有数の名家に生まれ、豊かな財産と広い人脈を持っている。
その彼が、近年は蒸気船の開発に多額の資金を投じていた。
応接室には、蒸気機関の図面や船体の模型が置かれていた。イーサンはそこへ自分の模型を運び込んだ。
「君が蒸気船の改良方法を考えたという青年か。まだ18歳だと聞いたが、本当なのかな」
「はい。イーサン・マーサーと申します。年齢は18歳ですが、機械の性能に年齢は関係ありませんから、まず模型をご覧ください」
リヴィングストンは面白そうに笑った。
「なかなか自信があるようだ。では、何を見せてくれるのかな」
イーサンは机の上に模型を置き、水を入れた容器へ浮かべた。
内部の仕組みを隠したまま動力を与えると、左右の水車が回転し、小さな船体が水面を進んだ。
続いて、水車の羽根を交換して速度を比較した。回転数を同じに保っても、羽根の形によって船の進む距離が違う。
さらに、水車の位置を変えると船体の揺れ方まで変化した。
リヴィングストンは身を乗り出した。
「なるほど。羽根の形と位置で、ずいぶん違うものなのだな」
「蒸気機関が出す力を、そのまま船を進める力として使えるわけではありません。途中で損失が生じます。そこを減らすことができれば、機関を大きくしなくても船は速くなります」
「君の模型ではうまくいっている。しかし、実物の船は重い。水の抵抗も模型とは違うぞ」
「承知しています。ですから、実際の船と機関を調べさせていただきたいんです。どこまで改造すればよいかは、それを見てから判断します」
リヴィングストンは机の上の模型を眺めた。
「それで、君は何を望んでいるのかな。技術者として雇ってほしいのか。それとも発明を買い取ってほしいのか」
「どちらでもありません。僕の発明を使う権利を買っていただきたいんです」
「なるほど。希望する金額は?」
「1万ポンドです」
リヴィングストンの表情が変わった。
「1万ポンドだと?」
「はい。成功した時にお支払いいただければ結構です」
「君は、自分の模型にそれだけの値打ちがあると考えているのか」
「模型の値段ではありません。期限までに蒸気船を完成させ、独占権を確保できるなら、その権利は1万ポンドよりはるかに大きな利益を生むでしょう」
イーサンは机の上に置かれた州法の写しへ目を向けた。
「昨年3月27日に成立した法律では、条件を満たせば20年間の独占権が認められます。しかし、期限までに性能を証明できなければ、その権利は失われるおそれがありますね」
「よく調べているな」
「大金をいただくつもりですから、相手が何を必要としているのかくらいは調べます」
リヴィングストンは椅子の背にもたれた。
「仮に君の改良が成功したとしても、1万ポンドは高すぎる。2,000ポンドで発明を買い取るという条件なら考えてもよい」
「それではお断りします」
イーサンは迷わなかった。
「僕の発明そのものを売るつもりはありません。特許を含む権利は僕が保持します。あなたにはニューヨーク州の河川で、この技術を5年間独占して使う権利を認めます。その対価が1万ポンドです」
「つまり、5年後には別の料金を払わなければ使えなくなるということか」
「契約を更新していただければ続けて使えます。もちろん、ほかの発明者が独自の方法を考えたなら、それを使う自由はあります。僕が売るのは僕の技術ですから」
「ほかの州ではどうなる?」
「僕が自由に契約します。あなたの独占権はニューヨーク州のものですから、僕の発明までほかの州で使えなくする理由はありません」
リヴィングストンは青年の顔を見た。
「君は発明家というより商人だな」
「両方です。必要なら船を操縦することも、商売を経営することも覚えます。ただ、今の僕には船を何隻も所有する理由がありません。船は船主が用意し、僕は技術を提供する。それぞれ得意な仕事をすればいいでしょう」
「ずいぶん大胆な考え方だ。だが、君が必ず成功するという保証はない」
「ですから、成功するまでは使用料をいただきません。改造に必要な資金はそちらで負担していただきますが、期限までに条件を満たせなかった場合、僕への1万ポンドの支払いは必要ありません」
リヴィングストンはしばらく考えた。
18歳の青年に1万ポンドを支払うのは気に入らない。しかし、独占権を確保できれば、ニューヨーク市とアルバニーを結ぶ蒸気船事業を長期間にわたって運営できる。
すでに多くの金を投じている以上、期限を迎えてすべてを失う方が痛手だった。
「まず実物の船を見てもらおう。その結果を聞いてから判断する」
「ありがとうございます。ただし、船を調べて改良方法を示す前に、発明の権利については書面で確認させてください。全部教えた後で契約を断られたら、僕が困りますから」
リヴィングストンは声を上げて笑った。
「まったく、抜け目のない若者だな。よろしい。法律家を呼ぼう」
◇ ◇ ◇
翌12日、イーサンはニューヨーク市の造船所を訪れた。
河岸には試験用の蒸気船が係留され、船内には大きな蒸気機関が取り付けられていた。船体はすでに完成していたものの、推進装置の性能が不足し、安定した速度を出せずにいた。
主任技師は、自分たちが長い時間をかけて製作した機械を18歳の青年が改良すると聞き、不満を隠さなかった。
「模型を動かすのと、本物の船を動かすのは違う。君がそのことを分かっているなら、まず機関の構造を確かめてもらいたい」
「もちろんです。今までの試験記録も見せていただけますか。どこが悪いのか、同じ失敗を繰り返して調べるのは時間の無駄ですから」
主任技師は記録を差し出した。
イーサンは機関の出力、回転数、蒸気圧、試験時の速度を確かめた後、推進装置の周囲を調べた。
実際に機関を動かしてもらうと、蒸気の力は伝わっているものの、推進装置が水を効率よく押せていないことが分かった。
さらに、力を伝える軸にも無理がかかり、長時間運転すると軸受けが熱を持つ問題があった。
「機関の力が足りないというより、力の使い方に問題がありますね」
イーサンが図面を広げると、主任技師は眉を寄せた。
「機関を大きくしなければ、もっと速くするのは難しいと思うが」
「機関を大きくすれば船体も重くなります。燃料の石炭も増やさなければなりません。今の機関をそのまま使って、推進装置を変える方が早いでしょう」
「どんな装置を考えているんだ」
「左右の水車を使います。こちらの模型と同じ原理ですが、実物では軸の支え方と歯車の組み合わせを変える必要があります」
イーサンは船体の寸法を測り、必要な水車の大きさを計算した。
主任技師は図面を見ながら、いくつかの問題を指摘した。
「この位置に水車を付けると、船体の補強が必要になる。それに、機関の回転を両側へ伝える軸が長くなるから、左右の荷重が違えば歯車を傷めるぞ」
「そこは支えを増やしましょう。左右の水車も、同じ軸へ無理に固定するより、力の伝え方を調整できるようにした方がいいと思います」
「言葉では簡単だが、そんな装置を2週間で造れると思うのか」
「全部新しく造る必要はありません。今ある軸と歯車のうち、使えるものを残します。必要な部品だけを新しく作れば、時間は短縮できるでしょう」
イーサンは使える部品と交換する部品を分け、職人たちと相談しながら改造計画をまとめた。
最初は青年を信用していなかった主任技師も、イーサンが実際の機械を理解し、無理のある部分を修正していることを認め始めた。
その日の夕方、必要な作業の予定が決まった。
残された日数は15日だった。




