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25ポンドから始めるジョージア朝成り上がり 男爵家の跡取りは金と情報で大英帝国を駆け上がる  作者: ひまえび
第二部・第五章――「自由には値段がある」

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第1話(前編)「10万ポンドはいらない」 1799年3月1日~3月4日

 1799年3月1日。ニューヨーク州アルバニーには、まだ冬の寒さが残っていた。ハドソン川の岸には氷が浮かび、港では春の船出に備えて修理を進める船大工たちが働いている。川沿いの倉庫には小麦粉や木材が積まれ、商人たちは新しい取引の準備を始めていた。


 町の一角にあるカーター家では、18歳のイーサン・マーサーが姉夫婦と朝食を取っていた。背が高く、黒髪と灰色がかった青い瞳を持つ青年である。着ている服は古く、財布にはわずかな小銭しか入っていない。


 それでも、イーサンは機嫌がよかった。


「イーサン、あなたは本当に10万ポンドを受け取らないつもりなのね」


 姉のアン・カーターが、向かいの席から弟を見た。


「去年の11月から何度も話しているでしょう。僕の考えは変わらないよ。父さんには感謝しているけれど、財産は自分で作りたいんだ」


「でも、10万ポンドなのよ。あなたが一生働いても手に入らないかもしれない大金でしょう」


「一生働いても手に入らないかどうか、まだ試していないじゃないか」


 アンは困った顔で夫のダニエルを見た。


「お前が普通の若者ではないことは分かっているよ。だが、知識があることと金を稼げることは別だ。商売をするには信用も元手も必要になる」


「元手が必要な商売なら、その元手を誰かに出してもらえばいいでしょう。僕が全部用意する必要はないよ」


「簡単に言うが、見ず知らずの18歳に金を出す人間がいると思うのか」


「僕が金を貸してくれと頼むだけなら、誰も相手にしないだろうね。でも、その人が欲しがっているものを僕が持っていれば話は違う」


「お前は今、何を持っているんだ」


「まだ決めていない。でも、何かあるはずだよ」


 ダニエルは笑った。


「ずいぶん頼りない商売の計画だな」


「そうでもないよ。世の中には、金を持っていても解決できない問題がたくさんある。僕はその問題を解決して、金を受け取るつもりなんだ」


 前年11月、18歳になったイーサンは母レベッカの木箱から手紙と信託書類を見つけ、実の父親が英国のエドワード・ヘイル伯爵であることを初めて知った。


 イーサンは幼いころから、トーマス・マーサーを父親として育てられた。しかし、トーマスは自分が生まれる前に亡くなったと聞かされており、母レベッカも1782年に亡くなっている。以来、姉アンと義兄ダニエルが彼を育ててきた。


 エドワードの手紙には、自分も17歳の時に25ポンドから商売を始めたこと、息子が18歳になった時に自由に使えるよう10万ポンドを用意したことが記されていた。


 イーサンは父親の気持ちを嬉しく思った。それでも、初めから大金を持ってしまえば、自分の能力がどこまで通用するのか試せなくなる。


 その方が惜しかった。


「ところで、今日は何をするつもりなんだ」


 ダニエルが尋ねると、イーサンは食卓の端に置いてあった新聞を広げた。


「この蒸気船の記事を読んだんだ。ニューヨークのリヴィングストンという人が、蒸気の力で川を走る船を造ろうとしているらしいね」


「ああ、聞いたことはある。以前から何人もの発明家が試しているが、まだ帆船に代わるようなものはできていないそうだ」


「だけど、成功すれば大変な商売になるよ。風がなくても川を上れるし、出航する日も決めやすくなる」


「それはそうだろうが、実際に動くものを造れなければ話にならない」


「問題はそこなんだ」


 イーサンは新聞の一節を指した。


 ニューヨーク州は前年3月、ロバート・R・リヴィングストンに蒸気船航行の独占権を認める法律を成立させていた。ただし、1年以内に一定の性能を持つ船を完成させ、蒸気による航行が実用になることを証明しなければならない。


 期限は3月27日だった。


「つまり、この人には時間がないんだね。期限までに成功しなければ、せっかく手に入れた独占権を失うかもしれない」


「それはリヴィングストンの問題だろう。お前が心配しても仕方ないじゃないか」


「心配なんかしていないよ。僕なら、その問題をいくらで解決してあげようかと考えているんだ」


 ダニエルは新聞から義弟へ視線を移した。


「まさか、お前が蒸気船を造ると言うのか」


「最初から全部造る必要はないでしょう。もう船も機械もあるなら、動かない理由を調べればいいんだ」


「機械を見たこともないのに、直せると思っているのか」


「見れば分かるかもしれないよ。少なくとも、見ないうちから諦める理由はないだろう」


 アンは弟の顔を見て、嫌な予感がした。


「イーサン。あなた、ニューヨークへ行くつもりなの?」


「うん。その前に、少し調べたいことがあるけれどね」


「旅費だって必要なのよ。10万ポンドを受け取らないと言っておきながら、今度は私たちに旅費を出してほしいと言うのではないでしょうね」


「そのつもりはないよ。僕が自分で用意する」


 イーサンは新聞を畳んだ。


 ◇ ◇ ◇


 3月3日、イーサンは港から少し離れた鍛冶工房を訪ねた。


 工房の主人サミュエル・グラントは、ダニエルの知人である。船の金具や車軸、製粉所で使う歯車などを製作しており、機械の修理にも慣れていた。


 イーサンはダニエルから紹介状を受け取り、蒸気機関について相談するためにやってきた。


「ダニエルの義弟だそうだな。蒸気機関を調べたいという話だが、機械を扱ったことはあるのか」


「本で構造は調べています。実物は製粉所や鉱山の排水装置で見たことがありますが、船に使ったものはまだありません」


「本を読んだだけなら、実物を見て驚くことになるぞ。機械は図面どおりに動いてくれないからな」


「だから、実物を見せていただきたいんです」


 グラントは笑い、工房の奥へ案内した。


 そこには修理中の小型蒸気機関が置かれていた。蒸気を使ってピストンを動かし、その往復運動を歯車や軸へ伝える仕組みである。


 イーサンは機械の周囲を歩き、シリンダー、弁、歯車、軸受けを順に確かめた。グラントから修理の内容を聞くと、紙を借りて機構の略図を描き始めた。


「この機械は、蒸気の力をうまく使い切れていませんね」


「何だと?」


「ここで弁を切り替える時に、まだ力が残っています。しかも、回転を伝える歯車にも無駄があります。動いている時の様子を見せていただけますか」


 グラントは半信半疑だったが、機械を動かす準備をさせた。


 ピストンが動き始めると、金属の軸が往復し、歯車が重い音を立てて回転した。


 イーサンは動きを観察し、数か所の寸法を測った。その後、弁を切り替える時期と回転軸の動きについて質問した。


「このままでも仕事はできますが、船を走らせるとなると問題が出るでしょうね。水の抵抗を受けながら一定の回転を保つ必要がありますから」


「そんなことは分かっている。だから蒸気船は難しいんだ」


「難しいのは蒸気機関を造ることより、その力を船の推進力へ変える部分だと思います」


 イーサンは紙に2つの水車を描いた。


 船体の左右に水車を取り付け、蒸気機関からの力を歯車で伝える。さらに、水を押す羽根の形と回転速度を調整し、同じ蒸気の力でより多くの推進力を得られるようにする。


 グラントは図面を眺めた。


「左右の水車を同じ速さで回すつもりか。理屈は分かるが、船の大きさと水の抵抗を考えたら、そんなに簡単な話ではないぞ」


「もちろんです。だから、最初に小さな模型で試したいんです。船体の幅や水車の直径を変えて比較すれば、どの形が有利なのか分かります」


「模型を造る金はあるのか」


「今はありません。でも、こちらにある使わなくなった歯車や鉄片を使わせていただければ、動くものは作れます」


「勝手なことを言う若造だな。俺の材料を使って、何の得があるんだ」


「模型を作って試験が成功したら、僕の仕事に協力していただきたいんです。正式に仕事を引き受けることになったら、製作費を支払います。今回使わせていただいた材料代も、その時に精算します」


「失敗したらどうする」


「その時は、僕が工房で働いて材料代を返します。機械の修理でも掃除でも、できる仕事をしますよ」


 グラントは青年をしばらく見ていたが、やがて笑い出した。


「よし、やってみろ。ただし、俺の工房を壊すんじゃないぞ」


 イーサンはさっそく仕事に取りかかった。

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