第10話(中編)「海の向こうの訃報」 1782年11月1日~11月30日
11月初旬、エドワードは東インド会社の取締役会へ戻った。
会議室には見慣れた顔が並び、アシュコームとベルも席に着いていた。
エドワードが英国を離れている間に、取締役たちの空気は変わっていた。インドから届いた報告によって、マドラスやカルカッタで何が起きたのかはすでに知られている。
取締役の1人が資料を閉じた。
「伯爵の報告書は読みました。マドラスでもカルカッタでも成果は出ております。現地側から届いている数字とも食い違いはありません」
「それなら、インドまで行った甲斐がありました」
「ただし、現地でうまくいった方法を会社全体へそのまま広げることには慎重であるべきでしょう。ベンガルとマドラスでさえ事情が違う」
「そこは僕も同じ意見です。だから現地の商売までロンドンで細かく決めるつもりはありません」
エドワードは用意していた定款案を机へ出した。
「変えたいのは、会社の経営の仕組みです。今は重要な判断を誰が最後に引き受けるのか分かりにくい。大きな会社だからこそ、そこは簡単にした方がいい」
ベルも資料を開いた。
「伯爵と相談してまとめた案です。株主総会で取締役を選び、重要な経営方針は取締役会で決める。取締役会の決議は多数決とし、その決定を実際に進める責任者を取締役の中から選びます」
年配の取締役が尋ねた。
「その責任者には、どこまで任せるおつもりですかな」
「代表取締役社長とします。日常の経営、人員配置、通常の契約、取締役会で決めた事業の実行は社長が判断する。巨額の投資や会社全体の方針変更は、これまでどおり取締役会へ出せばいいでしょう」
「つまり、株主が取締役を選び、取締役会が方針を決め、社長が実行する」
「そうです。誰が決め、誰が責任を持って動かすのかをはっきりさせたいんです」
アシュコームが加えた。
「インド側も同じです。日々の商売までロンドンへ問い合わせさせる必要はありません。現地で決める範囲を広げ、大きな方向だけ取締役会で決めれば仕事はかなり早くなります」
別の取締役がエドワードへ目を向けた。
「そこまで会社の形を変える以上、伯爵御自身が代表取締役社長になることも考えておられるのでしょう」
「立候補するつもりです。ただ、僕を選ぶかどうかは取締役会で決めてもらえばいい。会社の仕組みを変える話と、誰を社長にするかは別に採決しましょう」
「自信がおありですな」
「インドまで行って何も学ばず帰ってきたつもりはありませんからね」
定款案は各取締役が持ち帰り、月内に正式な採決を行うことになった。
◇ ◇ ◇
会議後、エドワードはアシュコーム、ベルとともにウェッブの事務所へ寄った。
机には24人の取締役名が並んでいた。
「定款改正に賛成すると明言している取締役は14人です。態度を決めていない者が4人。残りは反対か、少なくとも今の段階では賛成しておりません」
ウェッブが説明すると、エドワードは名簿を見た。
「定款だけなら通せるな。問題は社長の選任か」
「そこまで伯爵を支持すると明言しているのは12人です。もう少し話を聞きたいという者が数人おります」
「12人では足りない。本人と話したいなら会おう。取締役同士なんだから、今さら遠回りする必要もない」
ベルは社長選任に慎重な取締役の名を示した。
「このあたりが知りたいのは、伯爵が就任後に何をするかです。会社を大きくしたいというだけなら、ほかの候補も同じことを言うでしょう」
「難しいことを始めるつもりはありません。戦争中は敵国の商売を奪えるだけ奪う。船と資金はロンドンで用意する。現地で決めた方が早い仕事は現地へ任せ、商人への支払いは遅らせない。敵から取った港や船も、使えるなら壊さず働かせる」
アシュコームが頷いた。
「インドで実際にやったことですから、説明もしやすいでしょう」
「僕もそのつもりです。新しい言葉を並べるより、実際に利益が出た方法を会社全体へ広げる方が分かりやすい」
ウェッブは取締役名簿を閉じた。
「では、あと数人ですな」
「無理に全員を取る必要はない。過半数で十分だ」
◇ ◇ ◇
11月下旬、ウェッブがロンドン邸へ1通の封書を持ってきた。
東インド会社の仕事とは関係のないものだった。
「ニューヨークからです。信託関係の連絡先を通して届きました」
エドワードは封書を受け取った。
書かれていたのは、レベッカ・マーサーの死だった。
9月21日。
家族で避難する途中、荷車の事故に遭い、左脚へ深い傷を負った。いったん出血は止まったものの、その後に熱を出し、医師の治療を受けても回復しなかった。
アンとダニエル、サミュエル、末の息子は無事だった。
10万ポンドの信託に関する書類も残っている。
エドワードは手紙を最後まで読んだ後、日付を確かめてからもう一度読み直した。
ウェッブは何も言わなかった。
「アンとダニエルが、あの子を育てるんですね」
「はい。今後も家族として一緒に暮らすとのことです。サミュエルも無事です」
「それなら、今の暮らしを変えないでください。信託も予定どおり18歳まで維持する。こちらから余計な金を送って、周囲に理由を勘繰られるようなことはしたくない」
「承知しました」
「18歳になった時に渡す封書も、そのままでお願いします」
「そこも手配してあります」
エドワードは知らせを折り直した。
「今日はもう帰ります。会社へ寄る予定も取り消してください」
「分かりました」
ウェッブは仕事の書類を出さなかった。
◇ ◇ ◇
ハロウデンへ着いた時には、すでに日が落ちていた。
予定より早く帰った夫を見て、アメリアが居間から出てきた。
「今日はロンドンで夕食まで済ませる予定ではありませんでしたか?」
「予定を変えた。ニューヨークから知らせが来たんだ」
アメリアは夫の顔を見た。
「悪い知らせなのですね」
「レベッカ・マーサーが亡くなった。家族で避難している途中に怪我をして、その後に熱を出したらしい」
「ニューヨークへ渡った御家族の方ですね」
「ああ」
「お子さんたちは無事なのですか?」
「娘夫婦と一緒にいる。サミュエルも末の子も無事だ」
「それなら、残された御家族が一緒にいられるのは救いですね」
アメリアは、それ以上事情を聞かなかった。
「夕食はこれからです。今日は家族で食べましょう」
「ああ。そうする」
その時、廊下の向こうから長男が走ってきた。
エドワードを見つけると、そのまま脚へ抱きつく。
エドワードは息子を抱き上げた。
乳母が連れてきた双子も、少し離れたところから父親を見ていた。
大西洋の向こうにも、自分を父親とは知らずに育つ息子がいる。
その子にはアンとダニエルがいる。10万ポンドの信託もあり、18歳になれば自分の名を書いた手紙を読む。
それまでは、レベッカが選んだ形を変えない。
エドワードは長男を抱いたまま、アメリアと一緒に大食堂へ向かった。




