第9話(中編)「戦争の中の家族」 1782年8月1日~8月31日
1782年8月、北米では独立戦争がなお続いていた。
大規模な戦闘は前年より減っていたが、ニューヨークの内陸部では住民同士の対立や小規模な襲撃が続いていた。武装した一団に食糧や馬を奪われ、危険を避けるため家畜や家財をまとめて移る農家もあった。
レベッカはアン、ダニエル、サミュエル、幼い末の息子とともに、ダニエルの親類を頼って暮らしていた。
英国を離れてから2年以上が過ぎている。
末の息子はまだ2歳になっていなかったが、言葉を少しずつ覚え、人の顔や物の置き場所をよく覚えるようになっていた。サミュエルはそれが面白いらしく、ときどき木の駒を隠して弟が覚えているか確かめていた。
ある朝も、食卓へ着いたサミュエルが嬉しそうに話した。
「昨日、戸棚の上へ置いた木の駒を、今朝になって自分で探しに行ったよ。1度見せただけなのに覚えていた」
アンは弟を見た。
「あなたが毎日のように試すから、探すことまで覚えたんじゃないの?」
「それでも場所まで覚えているんだから、すごいだろう」
末の息子を膝へ乗せていたレベッカは、2人のやり取りを聞いて笑った。
「覚えるのが早いのは結構だけれど、毎朝試験をするのはやめなさい。もう少し大きくなったら、文字でも数字でもいくらでも教えればいいでしょう」
「母さんだって、かなり嬉しそうに見えるけど」
「嬉しいのと、見世物にするのは別よ」
その時、外で馬が止まった。
ダニエルが玄関へ出て、近くの農家から来た男としばらく話した後、急いで戻ってきた。
「東の方で昨夜また家が焼かれたそうです。誰がやったのかは分かっていません。近くの道も危なくなっているので、親父たちは女と子供をもう少し南へ移すつもりです。ここも今夜すぐ捨てるほどではありませんが、数日中に移れるよう準備しておいた方がよさそうです」
アンはすぐ事情を理解した。
「それなら衣類と食べ物をまとめておくわ。突然出ることになってからでは遅いもの」
「僕は馬と荷車を見てきます。サミュエルには毛布と水の準備を手伝ってもらう」
レベッカも末の息子をアンへ渡して立ち上がった。
「私は書類をまとめます。英国から持ってきた物の中に、なくしてはいけないものがあります」
家族はその場で役割を分け、昼前には移動に備えた準備を始めていた。
◇ ◇ ◇
レベッカは寝室へ戻ると、衣装箱の底から小さな木箱を取り出した。
中には、末の息子のために英国で設定された10万ポンドの信託に関する書類と、本人が18歳になった時に渡すための封書が入っている。
アンやダニエルには、息子のために財産を残してあることさえ詳しく話していなかった。まして、その封書の中に何が書かれているかは知らない。
レベッカは封筒を確かめた。
18歳になるまで開けてはならない。
それを読んだ時、息子は初めて自分の本当の父親を知る。
レベッカは箱へ鍵をかけ、寝室を出た。
ちょうどアンが毛布を抱えて廊下を通っていた。
「アン、この箱を預かっていてちょうだい。私の荷物とは別にしておいた方が安全だと思うの」
「なくしたら困る書類が入っているのね」
「この子の将来に関わるものです。今は中を開けず、そのまま持っていてください。落ち着いたら私から説明します」
「分かったわ。ダニエルにも、大切な箱だから勝手に開けないよう伝えておく」
「それで十分よ」
アンは箱を自分の荷物へ移した。
◇ ◇ ◇
2日後、近くの道で銃声があり、別の農家から家畜を奪われたという知らせが入った。
ダニエルはその日のうちに移動を決め、夜の間に馬具と車輪を確かめた。翌朝、アンとレベッカは幼い子供を連れて荷車へ乗り、サミュエルも荷物が崩れないよう手伝った。
午前中は何事もなかったが、午後になると遠くから銃声が聞こえてきた。
ダニエルは馬の速度を落とし、しばらく耳を澄ませた。
「この先の分かれ道から南へ入ります。銃声のする方角から離れますので、しばらく道が悪くなります。荷車からは降りないでください」
南へ入る道は狭く、前日の雨でぬかるんでいた。
しばらく進んだところで、今度は後方から続けて銃声が響いた。
驚いた馬が急に横へ跳ね、ダニエルが手綱を引いたものの、荷車の片輪が道端の穴へ落ちた。傾いた車体の中でアンが末の息子を抱き寄せ、レベッカはサミュエルを支えようとして体勢を崩した。
そのまま荷台から投げ出され、道端へ落ちた。
ダニエルは馬を止めるとすぐに駆け寄った。
「レベッカさん、そのままでいてください。傷を確かめます」
レベッカの意識はあったが、割れた荷台から飛んだ木片が左脚へ深く刺さり、衣服に血が広がっていた。
アンも荷車から降りようとした。
「お母さん、今そちらへ行くわ」
「子供を先に安全な場所へ移して。私はダニエルに任せれば大丈夫だから」
ダニエルは傷を確認した。
「ここで木片を抜けば、かえって出血がひどくなるかもしれません。布で固定して、近くの家まで運びます。そこで傷を処置しましょう」
レベッカは痛みに顔をこわばらせながら、娘へ言った。
「アン、今はダニエルの言う通りにしなさい。泣くのは安全な所へ着いてからでいいわ」
アンは毛布と布を取り出し、ダニエルを手伝った。
サミュエルにも体を支えさせながら、レベッカをできるだけ揺らさないよう荷車へ戻した。
家族はその日の夕方、避難先として使える家へたどり着いた。
そこで木片を抜き、傷を洗って出血を止めた。翌朝にはレベッカも水を飲み、家族と普通に話せるほどになったため、アンたちはひとまず危険を脱したと思っていた。
しかし月末が近づくころ、傷口は赤く腫れ、レベッカは熱を出した。
アンが額へ触れた。
「昨日より熱が高いわ。前に診てもらった医師をもう一度呼びます」
「お願い。それから、子供たちはあまりこの部屋へ入れないで」
「今は子供より自分の体を心配してちょうだい」
「自分の体を心配しているから言っているのよ。あなたまで寝込んだら、この家は本当に大変でしょう」
アンは苦笑した。
「サミュエルを子供の数に入れたら、本人が怒るわよ」
「だったら、大人のつもりで今までより働いてもらいましょう」
レベッカは笑ったが、すぐ疲れたように枕へ頭を戻した。
アンは掛け布を直すと、医師を呼ぶため部屋を出た。




