第8話(後編)「手紙は海より遅い」 1782年6月1日~6月30日
6月初旬。
カルカッタでの仕事は一段落していた。
エドワードは、マドラスとベンガルで始めたやり方を難しい規則にはしなかった。約束した支払日は守る。必要な物は現地でも買う。船が足りなければ借りる。敵から取った港や船も、使えるものは壊さず使う。現地商人についても、以前オランダと取引していたという理由だけで排除しない。
会社員たちがその方針を理解したところで、日々の仕事は現地へ任せた。
インドへ来た目的は、ほぼ果たしていた。
残る仕事は、ロンドンへ戻った後に会社全体をどう握るかである。
◇ ◇ ◇
6月8日。
英国から来た船がフーグリー川へ入った。
エドワード宛ての郵便には、ウェッブや父リチャードからの手紙に加え、母アンからの封書が入っていた。
アメリア本人の筆跡ではないことが少し気になった。
仕事の書類を脇へ寄せ、封を切った。
最初に目へ入ったのは、双子という言葉だった。
娘が2人生まれた。
2人とも元気である。
長男も元気にしている。
エドワードの顔が緩んだ。
「娘が2人だそうだ」
同じ部屋にいたカートライトが顔を上げた。
「双子とは驚きました。おめでとうございます」
「アメリアは1人分の名前しか任されていないと言っていたのに、2人出てきたらしい。たぶん勝手に2人とも決めているよ」
「それで文句を言われるおつもりもないでしょう」
「言えるわけがないだろう」
エドワードは笑いながら続きを読んだ。
その表情が消えた。
出産後、アメリアが高い熱を出した。
医師がついている。
熱は下がらず、かなり弱っている。
手紙を書いた時点では、まだ回復していない。
エドワードは文章を最後まで読んだ後、もう一度最初へ戻った。
カートライトはその様子を見て、祝いの言葉を続けるのをやめた。
「奥方の御身に、何かあったのですな」
「出産の後、高い熱を出している。手紙の日付は3月1日だ」
「今から3か月以上前の知らせですか。それでは、現在の御容体はこの手紙からは分かりませんな」
「ああ」
エドワードは手紙を机へ置いた。
「英国から次に入る船と、反対に英国へ向かう船の予定を調べてくれ。帰国も考える」
「すぐ確認させます」
カートライトは立ち上がり、それ以上余計なことは言わず部屋を出た。
エドワードは椅子へ座ったまま、再び手紙を手に取った。
マドラスでは港を動かした。
カルカッタでは船と金を動かした。
数百万ポンドの信用を持ち、何十隻という船を使える。
それでも3か月前の英国にいる妻へは、何一つできなかった。
◇ ◇ ◇
午後、カートライトが戻ってきた。
「英国へ向かう船は数日後に出ます。グレイミア号も整備を急がせれば、そう遠くないうちに出せます。ただ、今から急いでも英国到着まで数か月は必要です」
「分かっている。今すぐ帰ったところで、3月のアメリアを助けられるわけじゃない」
エドワードは机の手紙へ目を落とした。
「それでも、ここに居続ける気にはなれない。次の英国船を数日だけ待つ。新しい知らせが入らなくても、帰国準備は始めておいてくれ」
「承知しました。カルカッタの仕事を引き継ぎながら、グレイミア号も出航できる状態へ戻します」
「頼む」
その日、エドワードは予定していた夕食会を断った。
◇ ◇ ◇
4日後。
別の英国船がカルカッタへ着いた。
再びアンからの手紙があった。
日付は3月2日。
アメリアの熱はさらに高くなり、医師が最も危険な時期だと話していること。本人は一度意識を取り戻し、自分が悪い状態にあることをエドワードへ知らせるよう求めたことが書かれていた。
エドワードは最後まで読み、しばらく黙っていた。
向かいに座っていたカートライトは、手紙の日付とエドワードの表情だけで状況を察した。
「前便より悪い知らせだったようですな。帰国の準備はこちらで進めます。伯爵は現地の引継ぎを終わらせてください」
「ああ。カルカッタの仕事は担当者へ渡す。マドラスにも帰国予定を知らせてくれ。グレイミア号は可能な限り早く出せるようにしてほしい」
「承知しました。必要な整備だけに絞ります」
「頼む」
エドワードは手紙を丁寧に畳んだ。
今度は迷わなかった。
◇ ◇ ◇
帰国準備が始まった。
ただし、会社の仕事を途中で投げ出すことはしなかった。
各担当者を順番に呼び、これまで自分が直接見ていた仕事を渡していく。
「商人への支払いは、今決めた日を守ってください。船主との契約も半年間はそのまま続ける。僕の署名が必要な大きな案件だけはロンドンのウェッブへ送ればいい。毎日の細かな仕事まで英国の返事を待つ必要はありません」
「今の方針は、そのまま続けます。伯爵が帰国されたからといって、元へ戻す理由はありません」
「それなら十分です。倉庫だけは再び満杯にしないでください。荷が増えたら、倉庫を増やす前にまず船を増やすことを考えてほしい」
「承知しました」
引継ぎは思ったより早く進んだ。
現地の会社員たちは、すでに何か月も一緒に仕事をしている。
エドワードがいなくても、やるべきことは理解していた。
◇ ◇ ◇
6月24日。
グレイミア号の出航日を決める相談をしていたところへ、新しい英国船が着いた。
エドワード宛ての郵便があると聞くと、自ら港へ向かった。
船から降ろされた郵便袋が開けられ、その中から1通の封書が渡された。
今度はアメリア本人の筆跡だった。
エドワードは港の事務室へ入り、その場で封を切った。
最初の一文を読んだところで手が止まった。
「女の子が2人生まれました。あなたは1人分しか覚悟していなかったでしょうから、帰ってきたら驚いてください」
エドワードは椅子へ腰を下ろした。
続きを読む。
出産後に高い熱を出したこと。
家族や医師に大きな心配をかけたこと。
今は寝台から起きられるところまで回復していること。
息子も双子も元気にしていること。
そして、短い一文があった。
「私も生きています。」
エドワードはそこで一度、手紙から顔を上げた。
何も言わなかった。
少し離れて待っていたカートライトは、その表情を見て察した。
「その御様子なら、今度は良い知らせだったようですな」
「ああ。助かった」
「それは何よりです」
エドワードは最後まで読んだ。
「ですから、慌てて無茶な船旅をして帰ってくる必要はありません。ただし、仕事を理由に帰国を延ばすのも認めません」
そこでようやく笑った。
「これはもう大丈夫だな。元気になった証拠だ」
「帰国を遅らせれば、英国へ着いてからの方が危険かもしれませんな」
「僕もそう思う」
エドワードはアメリアの手紙を丁寧に折り直した。
「帰国準備は予定どおり続けよう。マドラスもカルカッタも見た。現地で会社をどう動かせばいいのかも分かった。残りはロンドンでやる」
カートライトも頷いた。
「インドで現場を見た以上、取締役会の人間にも今までとは違う話ができますな」
「ああ。難しく考える必要はないんだ」
エドワードは手紙を上着の内側へしまった。
「会社が儲かるやり方を示して、賛成する取締役を半分より多くする。そうなれば最後に決めるのは僕だ」
窓の外では、荷を積んだ船がフーグリー川を下っていた。
インドでやるべき仕事は、ほぼ終わっていた。




