第8話(中編)「払えば人は動く」 1782年5月1日~5月31日
5月初旬。
エドワードはカルカッタの会社事務所で、未払い金の一覧を確認していた。
会社が商人から受け取る金もあれば、会社が商人へ支払う金もある。どちらも相当な額だった。
事情があって遅れているものは仕方がない。しかし、担当者の確認が終わらないという理由だけで、何か月も止まっている支払いもあった。
エドワードは一覧へ印を付け、担当者へ戻した。
「品物を受け取り、数量と品質にも問題がない案件が、これだけ残っています。3か月も代金を待たされれば、商人は次の品を仕入れられません。確認が終わっていないものは今日から人を増やして処理し、問題がなければ順番に払ってください」
「通常よりかなり早い処理になります。今いる書記だけでは追いつきません」
「今週だけでも臨時に増やせばいい。帳簿を読める人間を集めてください。3か月分の支払いを止めて信用を失うより、その方が安く済みます」
翌日から事務所の一室へ机が増えた。
会社員と臨時に雇った書記が、山積みになっていた請求書と納品記録を順番に確認していく。
不備のある書類は戻し、問題のないものは支払いへ回した。
数日後から、止まっていた金が動き始めた。
◇ ◇ ◇
最初に反応したのは商人たちだった。
3か月待っていた代金が支払われ、2か月止まっていた請求も動き始めた。これから納める品については、支払日まで契約書へ書かれるようになった。
ある大商人は、自分からエドワードのもとを訪れた。
「これまでより大きな注文でも、お引き受けできます。前回の代金が予定どおり戻りましたので、こちらも次の仕入れへ金を回せます」
「それならちょうどいい。米と織物を今までより増やしたいと思っていました。支払いが早ければ、そちらも商売を広げやすいでしょう」
「その通りです。金が戻れば次の商品を用意できます。反対に支払いが止まれば、こちらも仕入れを減らすしかありません」
「僕も同じ考えです。会社が大きいことを理由に、商人の金を何か月も寝かせてよいとは思いません」
商人は笑った。
「伯爵は英国の貴族というより、我々と同じ商売人の話をされますな」
「貴族になったのは後ですからね」
「それなら話が早い。次の分もお引き受けしましょう」
その場で次の契約がまとまった。
◇ ◇ ◇
会社が支払うべき金を整理した後、エドワードは会社が受け取るべき金にも手を付けた。
ただし、相手を一律に扱うことはしなかった。
商売そのものが悪化して今すぐ払えない相手もいれば、資金に余裕があるのに支払いを先延ばししている相手もいる。契約内容をめぐって争いが続いている案件もあれば、単に担当者が放置していたものもあった。
エドワードは担当者を集めた。
「最初に分けてください。本当に払えないのか、払えるのに延ばしているのか、それとも契約そのものに争いがあるのか。全部を同じように取り立てれば、回収できる金まで失います」
「資金繰りが苦しい商人については、分割払いを認める余地を残すということですね」
「商売を続けられる見込みがある相手なら、その方が会社にも得です。ただし、新しく決めた期日は守ってもらう。金を持っているのに逃げている相手まで待つ必要はありません」
「承知しました。まず支払い能力のある相手から整理します」
「お願いします。相手を潰すことが目的ではない。会社の金を戻すことが目的です」
数週間で、止まっていた金が動き始めた。
会社へ入る金が増え、商人へ出ていく金も早くなった。その結果、次の商品も早く動く。
エドワードは細かな制度まで変えようとはしなかった。
巨大な東インド会社を一から作り直す必要などない。
すでにある仕組みを、止めずに動かせばよかった。
◇ ◇ ◇
5月半ば、ロンドンからウェッブの手紙が届いた。
ベルとアシュコームは取締役として順調に仕事を続けていた。
さらに、エドワードがインドで何をしているのかも、取締役たちの間で知られるようになっていた。
マドラスで占領港を短期間で再開させたこと。
オランダから奪った船や倉庫を破壊せず、そのまま商売へ使ったこと。
現地商人と大きな契約を結び、船が足りなければ現地で借りたこと。
そしてカルカッタへ移ってからも、滞っていた荷と金を動かし始めていること。
難しい説明は必要なかった。
会社が以前より早く動き、利益が増える。
それだけで十分だった。
ウェッブは手紙の最後に書いていた。
「伯爵が英国へ戻られるころには、取締役会でも以前とは違う話ができるでしょう。アシュコームとベルだけではありません。伯爵の方針なら会社が儲かると考える取締役が増えております」
エドワードは手紙を読み終え、カートライトへ渡した。
「ロンドンでも随分進んでいる。僕がいない間に、ベルとアシュコームがかなり働いてくれたらしい」
カートライトは手紙へ目を通した。
「これなら、伯爵が以前おっしゃっていた東インド会社そのものを握る計画も、現実味を帯びてきましたな」
「株を買うだけでは意味がない。僕が欲しいのは、会社を実際に動かせる立場です」
「今の取締役たちを敵に回して入れ替えるより、会社が儲かるという実績を見せて味方を増やす方が早いとお考えなのですな」
「その方が楽でしょう。僕を好きになる必要はないんです。会社が儲かる案だと思った時に賛成してくれればいい」
「敵を追い出すのではなく、利益でこちらへ向かせるわけですか」
「その方が人数も多く使える」
カートライトは笑った。
「海戦の時より穏やかですが、やっていることは相変わらず豪快ですな」
「船を沈めない分、安く済むよ」
◇ ◇ ◇
5月末。
カルカッタの港では、荷を積んだ船が次々に出ていた。
倉庫の混雑は減り、商人への支払いも以前より早くなっている。
当初エドワードを警戒していた年配の会社員が、月末の報告書を持ってきた。
「今月は船の出入りが増えただけでなく、滞っていた支払いもかなり処理できました。商人側からの追加注文の申し出も増えております」
「それなら十分です。僕がやったことは、船と金を止めないようにしただけですよ」
「来られた当初は、ロンドンから若い伯爵がやってきて、現地の仕事を全部ひっくり返すのではないかと警戒しておりました」
「そこまで暇ではありませんよ。動いているものまで直す必要はないでしょう」
「その点は、少々見誤っていたようです」
会社員は報告書を置いた。
「ただし、止まっているものについては容赦がありませんな」
「止まっている商売は金を生みませんからね」
2人とも笑った。
東インド会社という巨大な組織を、難しい理屈で作り替える必要はなかった。
商品を動かし、船を動かし、払うべき金を払い、受け取るべき金を回収する。
その積み重ねだけで、会社の動きは確実に変わっていた。




