第8話(前編)「カルカッタへ乗り込め」 1782年4月1日~4月30日
1782年4月初旬。
マドラスでの仕事に区切りをつけたエドワードは、カルカッタへ向かう準備を始めた。
前年11月に到着したころと比べれば、港の様子は大きく変わっている。オランダ側と取引していた商人が英国側にも商品を売るようになり、現地船主の船が米や織物を運び、英国軍や艦隊への補給も早くなっていた。
月末の帳簿を持ってきた現地会社員が、机の上へ書類を置いた。
「買付量も輸送量も増えております。以前問題になっていた支払いの遅れも、かなり減りました。伯爵がマドラスを離れられた後も、この形なら続けられると思います」
エドワードは数字を確認した。
「それなら安心して任せられます。僕がいなくなった途端に止まるようでは、半年近くここにいた意味がありません。商人との契約条件と支払日だけは守ってください。それさえ崩さなければ、向こうも急には離れません」
「承知しました。こちらは我々で引き継ぎます」
「お願いします。僕はカルカッタへ行きます。東インド会社を見るなら、ベンガルを知らないまま帰るわけにはいかない」
「マドラスでこれだけ仕事をされた後ですから、カルカッタでも随分警戒されるでしょうな」
「歓迎されるために来たわけではありませんよ。会社が儲かれば、それで十分です」
エドワードは帳簿を閉じた。
◇ ◇ ◇
4月上旬、グレイミア号はマドラスを出港した。
今回は英国から来た時のような大船団ではない。護衛船と必要な人員だけを伴い、ベンガル湾を北へ向かった。
出航後、カートライトは海図を確認しながら言った。
「今回はカルカッタ到着を最優先にしております。敵船を見つけても、こちらへ向かってこない限り航路は変えません」
「それでいい。今は船1隻を取るより、早くカルカッタへ着いた方が利益になる」
「伯爵御自身からそう言っていただけるなら、航海の予定も立てやすくなります」
「僕だって、いつまでも敵船を見るたびに追い回しているわけじゃないよ」
「マドラスで商売をされている間に、少し海から離れたのがよかったのかもしれませんな」
「それはどうかな。帰国する時に試してみれば分かる」
カートライトは余計なことを言ったという顔をした。
航海は大きな問題もなく進んだ。
4月半ば、グレイミア号はフーグリー川へ入った。
海とは違い、川には大小さまざまな船が行き交っている。岸には集落が続き、米や織物を満載した船が上流と下流を往復していた。
エドワードは甲板からその様子を眺めた。
「マドラスとは随分違いますね。海港というより、川そのものが大きな街道になっている」
同行していたインド勤務経験者が頷いた。
「ベンガルでは、この川を通じて商品も人も動きます。カルカッタだけを見ても全体は分かりません。川沿いの商人、織物の産地、金融業者までつながっております」
「それだけ多くの人間が商売に関わっているなら、会社が扱える金額も大きくなる。面白そうですね」
「マドラスより人間関係は複雑です。古くから大きな商売をしている者もおりますので、会社の都合だけでは動きません」
「それでいいんです。動かない相手には、動きたくなる条件を出せばいい」
隣で聞いていたカートライトが笑った。
「インドのどこへ行っても、最後はそこへ戻られますな」
「商売をしに来ていますからね」
◇ ◇ ◇
カルカッタへ着いたエドワードを待っていたのは、歓迎ばかりではなかった。
マドラスで何をしたのかは、すでに伝わっている。
敵から奪った港をすぐ商売へ戻し、現地商人へ前金を払い、船まで借り集めた若い伯爵が今度はベンガルへ来る。
面白がる者もいれば、自分たちの仕事へ余計な口を出されるのではないかと警戒する会社員もいた。
最初の会議で、年配の会社員がその懸念を隠さず口にした。
「マドラスでの成果については聞いております。ただ、ベンガルにはベンガルの事情があります。現地で長く続いてきたやり方を、短期間で大きく変えるとなれば反発も出ます」
「僕も、マドラスのやり方をそのまま持ち込むつもりはありません。まず今の仕事がどこで止まっているのかを知りたい。売上、仕入れ、倉庫、船、それから未払い金の帳簿を見せてください。政治や人事の話は、その後で結構です」
相手は少し意外そうな顔をしたが、すぐ担当者へ指示した。
机へ帳簿が運ばれた。
エドワードはすべてを自分で読み込もうとはしなかった。何日も帳簿だけ眺めていても、現場は動かない。
「今のカルカッタで、会社の商売を最も止めているものを教えてください。金なのか、船なのか、倉庫なのか。それが分かれば、見る場所も絞れます」
担当者が答えた。
「一番目立つのは倉庫です。商品は入ってきますが、出していく船の手配が追いつかず、荷が滞っております」
「商品そのものが売れないわけではなく、運ぶ手段が足りないのですね。それなら、まず船を増やしましょう」
「会社の船は、すでにかなり使っております。急に増やすのは難しいかと」
「会社所有の船だけで考える必要はありません。川には民間の船がいくらでもいます。使える船を現地船主から借りましょう」
会社員たちが顔を見合わせた。
エドワードはその反応を見て笑った。
「マドラスでも、最初は同じ反応をされました。英国から船が来るのを半年待つより、目の前の船を借りる方が早いでしょう」
◇ ◇ ◇
翌日から、カルカッタ周辺の船主との交渉が始まった。
マドラスの契約をそのまま持ち込むことはしなかったが、考え方は変わらない。
船体を確認し、使える船を借りる。危険な仕事には高い料金を払い、英国側の都合で船を失った場合には契約時に決めた額を補償する。仕事をきちんと終えた船主には、次の契約を優先して回す。
最初の3日で12隻が集まった。
その後も参加する船主は増えた。
倉庫に積まれていた織物や米が次々と川へ運び出され、別の港や大型船へ移されていった。
1週間後、倉庫を管理する会社員が報告書を持ってきた。
「長く滞っていた荷が、かなり減りました。まだ余裕があるとは言えませんが、少なくとも新しい商品を受け入れる場所は確保できています」
「それなら、このまま続けましょう。商品を買って倉庫へ積んだままでは、金を払って荷物を寝かせているだけです。売るか運ぶかしなければ利益にはならない」
「理屈そのものは簡単ですが、これまで船を集めるところで時間がかかっておりました」
「商売の理屈は、たいてい簡単ですよ。実際に人と金を動かすところで面倒になるだけです」
4月末には、主要倉庫の混雑はかなり解消していた。
空き始めた倉庫を確認していたエドワードのもとへ、別の帳簿が届けられた。
会社が商人へ払うべき金と、反対に会社が受け取るべき金の一覧である。
エドワードは数ページめくった後、同行していた会社員へ帳簿を渡した。
「船の次は金を動かしましょう。商品を受け取っているのに支払っていない相手がかなりいます。一方で、会社が受け取るべき金も止まっている。5月はこの2つを片付けます」
会社員は帳簿を受け取った。
「かなりの件数です。すべて整理するとなれば、人手も必要になります」
「必要な人数を増やしてください。何か月も金を止めておくより、書記を数人増やす方が安い」
エドワードは空き始めた倉庫を見回した。
「荷が動いた。次は金です」




