第7話(前編)「港ごと儲けろ」 1782年1月1日~1月31日
1782年1月1日。
エドワード・ヘイルは25歳の誕生日を、マドラスで迎えた。
英国なら真冬だが、ここでは朝から日差しが強い。港には帆船が並び、岸では荷役人夫が織物の包みや米袋を運んでいた。
エドワードは宿舎の窓から港を眺めながら朝食を取った。銀の皿には卵、パン、塩漬け肉が並んでいる。
カートライトが食事の途中で訪ねてきた。
「25歳のお誕生日、おめでとうございます。今日くらいは少し仕事を減らされるのでしょうな」
「昼までは休むよ。午後には商人が来る」
「伯爵夫人がこちらにおられたら、半日休んだだけで誕生日を祝ったとは認めてもらえないでしょう」
「手紙には、誕生日は休んだとだけ書いておく」
「ずいぶん都合のよい報告ですな」
「インドと英国の間が遠くて助かったよ」
カートライトは笑いながら紅茶へ手を伸ばした。
エドワードもパンをちぎったが、しばらく港から目を離さなかった。
25歳になった。17歳のころには25ポンドしか自由になる金がなかった男が、今では東インド会社へ数百万ポンドを用意し、インドへ来れば敵から奪った港で商売を始めている。
それでも今、最も気になっているのは金ではなかった。
アメリアの出産が近づいている。
英国を出た時には、まだ妊娠したばかりだった。手紙は何か月も遅れて届くため、妻の腹が今どこまで大きくなっているのか、息子がどこまで歩けるようになったのかさえ、エドワードには分からない。
「英国からの船は、まだ入っていないのか」
「昨日までに着いた船には、伯爵宛ての郵便はありませんでした。近いうちに次の船が入る予定です」
「届いたら仕事中でもすぐ持ってきてくれ」
「承知しました」
午後になると、エドワードは本当に仕事を始めた。
◇ ◇ ◇
前年12月に英国側が手に入れた港は、すでに再び動き始めていた。
倉庫へ商品が入り、荷役人夫が戻り、英国船が米や織物を積んで出ていく。ただし、オランダ側と長く取引してきた大商人の一部は、まだ様子を見ていた。
英国がこの港を長く維持できるのか。戦争が終わればオランダが戻るのか。今すぐ英国側へ大きく商売を移してよいのか。
商人なら当然考えることである。
1月4日、エドワードはそうした大商人6人をまとめて招いた。
会議室には通訳と会社員も同席している。
挨拶を済ませると、エドワードは机へ契約書を置いた。
「皆さんが英国との取引をまだ慎重に見ていることは分かっています。無理に信用していただくつもりはありません。その代わり、英国側がどこまで本気なのかを契約で示します」
通訳が伝えると、商人たちが契約書へ目を向けた。
「今後半年分の織物、米、船用品を買います。最初の2か月分については前金も出します」
室内がざわついた。
年配の商人が契約書を手に取った。
「半年の間に戦争が終わったとしても、契約した品はすべて買っていただけるのでしょうか」
「買います。戦争が終わろうが、こちらの需要が減ろうが、それは英国側の事情です。契約した分は引き取ります」
「かなり大きな金額になります」
「だから皆さんを一緒に呼びました。1人ですべて納める必要はありません。織物が得意な方は織物、米を扱う方は米という具合に分ければいい」
会社の現地役人が口を挟んだ。
「半年分となれば、余剰が出る可能性もありますぞ」
「マドラスで余れば別の港へ回します。軍も艦隊も食糧や衣類を使う。それでも残るなら、別の市場へ売ればいい」
エドワードは商人たちへ向き直った。
「皆さんが一番心配しているのは、英国がこの港からすぐ消えることだと思っています。それなら半年先まで注文を出す。口で残ると言うより、その方が分かりやすいでしょう」
最初に応じたのは、前年11月からエドワードと取引していた商人だった。
「私は引き受けます。これまでの支払いにも遅れはありませんでした」
別の商人も契約書へ目を落とした。
「米なら私がかなり出せます」
「では数量を詰めましょう」
その日のうちに4人が契約し、翌日には残る2人も条件を一部調整したうえで加わった。
港へ入る商品量は一気に増えた。
◇ ◇ ◇
1月中旬には、今度は運ぶ船が足りなくなった。
現地会社員は英国から追加船を呼ぶ案を出したが、到着まで数か月かかる。
エドワードは港に並ぶ船を見た。
「目の前にこれだけ船があるんだから、現地の船主から借りればいいでしょう」
「東インド会社と長期契約を結んだ経験のない船主も多くおります」
「初めてなら、今回から始めればいい」
その日の午後、船主たちを集めた。
条件は単純だった。船体を確認し、使える船だけ借りる。危険な海域へ出る場合には通常より高い料金を払い、予定期間を無事終えた船には追加金を出す。英国側が戦争へ使った結果として失われた場合には、契約時に決めた価格を補償する。
1人の船主が契約書を読みながら口を開いた。
「戦闘で沈められた場合にも、決めた金額を払っていただけるのであれば、こちらも船を出しやすくなります」
「その代わり、船の値段は借りる前に決めます。沈んだ後になって、実は3倍の価値があったと言われても困りますから」
通訳が伝えると、船主たちから笑いが起こった。
「それなら私の船を3隻出します」
別の男も加わった。
「私は5隻持っています。ただ、2隻は修理しなければ長く使えません」
「修理費の一部をこちらで負担しましょう。その代わり、半年間は英国側の仕事を優先してください」
「その条件なら受けられます」
3日間で18隻が集まった。
大型の外洋船ではなかったが、港と港の間で米、織物、軍需品を運ぶには十分だった。
英国から船が来るのを待つより、はるかに早かった。
◇ ◇ ◇
月末には、港の様子が目に見えて変わっていた。
オランダ時代から残る倉庫へ現地商人の商品が入り、英国側が借りた船へ次々と積み込まれていく。英国兵が守る桟橋では、以前からこの港で働いていた人夫たちが荷を担いでいた。
カートライトは港を眺めた。
「1か月前まで、敵から取ったばかりの港だったとは思えませんな」
「旗を替えただけでは港は儲からないからね。商人が来て、商品が入り、船が動いて初めて価値が出る」
「大商人6人との半年契約に現地船18隻。十分な成果だと思いますが」
「僕もそう思う。ただ、ここまで動き始めたなら止める理由はないだろう」
沖では、英国側と契約した現地船が次々に帆を上げていた。
◇ ◇ ◇
その夜、英国から来た船がマドラスへ入った。
エドワード宛ての郵便も届いた。
アメリアからの手紙は、前年9月末の日付だった。
体調は良く、医師からも順調だと言われていること。息子が少しずつ1人で歩こうとするようになり、食卓へ手を伸ばしては使用人を困らせていること。
そして今回は、前より腹が大きくなるのが早いような気がするが、医師は心配ないと言っていることが書かれていた。
最後には、
「あなたが帰るころには、もう生まれているかもしれません。私は元気ですから、そちらの仕事をきちんと終わらせてください」
とあった。
エドワードは手紙を2度読んだ。
机には、この日までに成立した契約書が積まれている。
それには手を触れず、アメリアへの返事を書き始めた。




