第6話(前編)「喜望峰を越えろ」 1781年10月1日~10月31日
1781年10月初旬。
エドワードの船団は、南大西洋をさらに南へ進んでいた。
英国を出たころには夏だったが、南へ下るにつれて空気は冷たくなった。海は灰色に変わり、甲板へ出れば強い風が上着を引っ張る。
船団には、英国を出た時にはいなかった船が3隻加わっていた。9月にオランダ船団から拿捕した大型船と中型船である。銀、軍需品、交易用の商品に加え、オランダ人が残した帳簿や契約書まで載せたまま、今では英国側の乗員が動かしていた。
カートライトは朝の報告を受け取ると、エドワードの船室へ入った。
「拿捕した大型船の帆柱が、また傷んでおります。以前補強した場所ではありませんが、昨日からの強風で別の部分へ負担がかかったようです」
「航海を続けられないほどではないのですね」
「今すぐ止まるほどではありません。ただ、これから喜望峰へ近づけば海はさらに荒れる可能性があります。今のうちに手を入れておいた方が安全でしょう」
「必要なだけ直してください。船も銀もここまで持ってきたのに、最後になって捨てるのは惜しい」
「伯爵ならそうおっしゃると思い、船大工を移す準備までは済ませております」
「そこまで準備していたなら、そのまま始めてもらって構わなかったのに」
「あとから修理費を御覧になって文句を言われても困りますので」
「最近は船の修理代くらいでは驚かないよ」
「それはそれで心配になりますな」
エドワードは修理を認めた。
船大工と水夫が拿捕船へ移り、帆を減らして速度を落とした船団は、そのまま南へ進んだ。
◇ ◇ ◇
10月9日の夜から風が強くなった。
翌朝には波が高まり、昼を過ぎるころには船団全体を一度に見渡すことさえできなくなった。グレイミア号は大きく傾き、甲板を越えた海水が砲の周囲まで流れ込む。水夫たちは帆を減らし、激しく揺れる索具へ取りつきながら作業を続けていた。
エドワードも甲板へ出たが、カートライトに見つかるなり怒鳴られた。
「伯爵、ここへ立っていても船は速くなりません。中へ戻ってください!」
「何か手伝えることがあるかと思ったんだ」
「今ここで伯爵が海へ落ちれば、こちらの仕事が増えるだけです!」
「分かった。邪魔はしない」
「それが一番助かります!」
船室へ戻っても、落ち着いて座ってはいられなかった。
船体が大きく軋み、机の上の物が何度も床へ落ちた。窓の外には海と空しか見えず、その海さえ時折窓の高さまで盛り上がってくる。
夕方になると、後方を進んでいた拿捕船の1隻から異常を知らせる信号が上がった。帆柱を支える索具の一部が切れていた。
カートライトが濡れた上着のまま船室へ戻ってきた。
「この風では横へ付けて人を移す方が危険です。今夜は向こうの乗員に耐えてもらうしかありません」
「こちらが速度を落としても、船団から離れる船は出そうですか」
「ほかの船にも減速の信号を出します。それでも、この荒れ方が夜まで続けば何隻か見失う可能性はあります」
「見失った場合の集合場所は、予定どおり使えるんですね」
「ええ。天候が回復した後、北東側の海域で待ち合わせます」
「なら、その手順でいきましょう。全船を無理に近くへ集めて衝突させる方が危ない」
カートライトは頷き、再び甲板へ戻った。
その夜、エドワードはほとんど眠れなかった。
◇ ◇ ◇
翌朝には風が少し弱まった。
船団は大きく散らばっており、近くに見えるのはグレイミア号を含めて6隻だけだった。
カートライトは予定どおり集合地点へ向かわせた。
「海が収まれば、向こうも同じ場所を目指してくるはずです」
「拿捕した3隻のうち、確認できているのは?」
「2隻です。昨日索具を傷めた大型船だけが見当たりません」
エドワードは望遠鏡を取り、水平線をたどった。
帆は見えなかった。
「傷んだ船なら放ってはおけない。今から戻って探すより、集合地点を優先した方がいいんですね」
「ここで逆走すれば、今度はこちらが残りの船団から外れます。まず集合地点へ入り、来なければ探しに戻るべきでしょう」
「分かった。それでいこう」
昼過ぎには2隻が合流し、夕方までにさらに3隻が戻った。
最後まで姿を見せなかったのは、問題の大型拿捕船だけだった。
翌朝、輸送船の大半を予定航路へ先行させ、グレイミア号と武装船2隻が捜索に残った。
カートライトは海図へ線を引いた。
「昨日の風と海流なら、この辺りへ流されている可能性があります。ただし捜索に使えるのは今日いっぱいです。それ以上遅れれば、インド行きそのものに影響します」
「今日見つからなければ先へ進もう。船1隻のために、船団全体を遅らせるつもりはない」
「その判断なら安心しました」
「100万ポンド以上の荷を積んだ船を探している男に言う言葉とは思えないけどな」
カートライトは笑いながら船員へ命令を出した。
午後になって、見張りが帆を見つけた。
傷んだ大型船だった。
主帆柱の帆はほとんど下ろされ、応急帆だけでゆっくり進んでいる。
近づくと、向こうの甲板から歓声が上がった。
船長役を任されていた英国人が小艇でグレイミア号へ移ってきた。
「帆柱そのものは持ちました。ただ、夜中に予備の索具まで切れまして、これ以上帆を張れば折れると判断しました」
「よく残してくれたな。ただし、次に同じことがあって船が沈みそうなら、人だけ逃がしてください。銀も船も惜しいが、人命と引き換えにするほどではない」
船長役の男は意外そうにエドワードを見た。
「伯爵なら、銀を捨てた方を怒られるかと思っていました」
「銀はまた稼げます。船も買える。死んだ人間だけは戻らない」
「そう言っていただけるなら、次は迷わず判断できます」
「ただし、捨てずに済むなら銀も持って帰ってください」
男は笑った。
「そこは承知しております」
大がかりな修理はせず、最低限の帆で航行できる状態を保ったまま、船団へ合流させることになった。
◇ ◇ ◇
10月下旬。
喜望峰へ近づいたころ、船団の前方に2隻の武装船が現れた。
国籍はすぐには判別できなかったが、こちらへ近づかず、一定の距離を取りながら船団全体を観察している。
カートライトは望遠鏡を下ろした。
「オランダ船の可能性があります。拿捕された自国船が混じっていることに気付けば、取り返せるかどうか探っているのかもしれません」
「こちらから追う必要はない。輸送船を中央へ集め、武装船を外へ出そう」
グレイミア号を含む武装船が船団の外側へ移動した。
さらにエドワードは、9月に拿捕した3隻にも英国旗を目立つ位置へ上げさせた。
カートライトは傷んだ大型船を見た。
「拿捕船まで戦列へ入れるのは無理ですぞ」
「戦わせるつもりはありません。遠くから見て、何隻が本当に戦えるのか分からなければ十分です」
大型拿捕船の砲門も開かせた。
実際にはすぐ砲撃できる状態ではなかったが、離れた相手からそこまで見分けることは難しい。
2隻の武装船は、しばらくこちらと並走した。
グレイミア号が相手側へ少し進路を向け、後方の武装船も同じ動きを見せると、2隻は次第に距離を取り始めた。
「向こうは退くようですな」
カートライトが望遠鏡を下ろした。
「こちらは追わない。今は敵船2隻を取るより、インドまで船団を無事に運ぶ方が大事だ」
「英国を出たころより、ずいぶん船団司令らしくなられましたな」
「敵船を見るたび追い回していたら、いつまでたってもインドへ着かないからね」
相手船はそのまま水平線の向こうへ消えた。
10月31日、船団は喜望峰を回り切った。傷んだ拿捕船も銀も帳簿も失わず、船首はそのまま東へ向いた。




