第5話(中編)「海の上で敵を待つ」 1781年8月1日~8月31日
8月に入ると、英国の陸地は完全に見えなくなった。
船団は大西洋を南へ進み、日を追うごとに空気は暖かくなっていった。グレイミア号だけならさらに速く走れたが、今回は輸送船を伴っているため、船団全体の速度を優先しなければならない。
甲板で航海記録を確認していたエドワードは、カートライトへ声をかけた。
「今のところ、予定から大きく遅れてはいないようだな」
「このまま大きな嵐や故障がなければ問題ありません。ただし長い航海です。1隻の故障で全体を止めないよう、毎日の点検は続けます」
「そこは任せる。海の上では金を払っても、替えの部品が翌朝届くわけじゃないからな」
「伯爵がそれを分かってくださっているだけでも助かります」
各船からは毎朝、水と食糧の残量、病人の有無、船体、帆、索具の状態を報告させた。異常があれば早めに人員や資材を回し、船団全体が止まる前に対処する。
エドワードは帆の張り方や日々の操船には口を出さなかった。その代わり、インド勤務経験者や通訳を船室へ呼び、現地の商売や政治について話を聞いた。
「インドでは、東インド会社同士の競争だけを見ていても足りないようですね」
「その通りです。現地商人から商品を買い、金融業者から金を借り、土地の有力者や王侯とも関係を結びます。会社そのものが、現地社会の中へ深く入り込んでおります」
元会社員は、地域によって商習慣も人間関係も違うと説明した。
大商人の中には王侯へ金を貸す者がおり、軍や宮廷へ物資を納める者もいる。港の倉庫や荷役を握る一族もあれば、複数の勢力と同時に取引する者もいた。
「会社の看板だけで何でも売ってもらえる土地ではなさそうだな」
「むしろ、誰と組むかで仕事の速さも値段も変わります。現地へ着いたら、英国人だけを見ていてはいけません」
「そのつもりです」
エドワードは相手の名前や地域を書き留めていった。
◇ ◇ ◇
8月11日の午後、見張りが南西の海上に帆を見つけた。
最初に見えたのは1隻だけだった。距離があり、国籍も船種もまだ分からない。望遠鏡を向けると、相手は船団に気付いたらしく、少しずつ進路を変えていた。
カートライトも確認した。
「商船であれば、武装船を含むこちらの船団を見て避けたのでしょう。グレイミア号なら追いつけます。ただし、本隊から離れることになります」
「武装船を2隻伴おう。残りは輸送船を守りながら予定航路を進ませる。日没までに相手を確認できなければ戻る」
「それなら本隊への危険も抑えられます」
信号が上がり、グレイミア号を含む3隻が本隊から離れた。
帆を増やすと、船は一気に速度を上げた。輸送船に合わせていた時とは違い、船首が波を大きく切り、索具が風を受けて鳴る。
逃げる船との差は少しずつ縮まった。
夕方近くになり、相手がオランダ船であることが確認された。
「オランダ船です。こちらに気付いてから明らかに逃げています」
「ここまで追ったんだ。拿捕しよう」
オランダ船も武装しており、船尾砲で追撃を妨害してきた。砲弾がグレイミア号の前方へ落ち、海面から大きな水柱が上がる。
カートライトは砲手へ命令を送った。
「船体より帆と索具を狙わせます。拿捕するなら、その方が後で使いやすい」
「頼む」
最初の砲弾は外れたが、次の1発が相手船の索具を切った。帆の一部が崩れ、速度が目に見えて落ちる。それでもオランダ船は降伏せず、船尾砲を撃ち続けた。
さらに距離が縮まったところで、カートライトが相手船を見た。
「このまま砲撃を続ければ、いずれ船体にも当たります。接舷して決着をつけた方が傷は少なく済みそうです」
「僕もそう思う。輸送船団を長く待たせるわけにもいかない。ここで終わらせよう」
カートライトはエドワードの腰にある2丁の拳銃へ視線を落とした。
「伯爵まで乗り移る必要はありませんぞ」
「前へ出すぎないようにはするよ」
「英国を出る時に、母上と奥方から何を言われたか忘れたわけではないでしょうな」
「ずいぶん2人の側に立つんだな」
「船団を無事にマドラスへ届けるのが私の仕事です。その中には伯爵も含まれております」
「それなら仕方ない。できるだけ壊さないように使ってくれ」
「御自分を船と同じ扱いになさらないでください」
グレイミア号が相手の側面へ寄り、鈎と綱が投げられた。波に揺られた船体同士が激しくぶつかり、木材の軋む音が砲煙の残る甲板に響く。
英国側の水夫と兵が一斉に乗り移った。
エドワードも2丁の拳銃を持って続いた。
オランダ側にはまだ抵抗する者がいた。短銃を構えた男がエドワードへ銃口を向けたが、撃つより先にエドワードの拳銃が火を噴き、男は武器を落として甲板へ倒れた。
別の男が剣を手に近づいたところへ英国兵が入り、斬り合いになった。
抵抗は長く続かなかった。帆を傷めたうえ、複数の英国船に囲まれている。オランダ船長は武器を捨てるよう命じ、旗を下ろした。
戦闘が終わると、エドワードは負傷者の治療と船内の確保を命じた。
「敵味方を分けず、怪我人から診てくれ。動ける者は武装解除してまとめておく。それから船長室と商人の部屋を押さえろ。帳簿と手紙は捨てさせるな」
少し遅れて甲板へ上がったカートライトは、先ほど倒れたオランダ人を確認した。
「伯爵が撃った男は肩を負傷しただけです。命に別状はなさそうですな」
「それならよかった」
「しかし、結局御自分で乗り込まれましたな」
「前へ出すぎないとは言ったが、乗らないとは言っていない」
「母上には通じても、奥方には通じない理屈でしょう」
「アメリアへの手紙には、そこまで詳しく書かなくていい」
「航海日誌には事実を残します」
「そういうところだけ妙に真面目だな」
「船長ですから」
エドワードは反論を諦めた。
◇ ◇ ◇
その夜、拿捕船から回収した書類がグレイミア号の船長室へ運び込まれた。
積荷目録、航海日誌、取引記録、封をした指示書まである。通訳と会社勤務経験者が内容を確認しているうちに、1人が海図を机へ引き寄せた。
「伯爵。この船は途中で別のオランダ船団と合流する予定だったようです。複数の東インド船が喜望峰方面へ向かい、その後さらに東へ進む計画になっています。軍需品のほか、アジアで商品を買い付けるための銀を積んだ船も含まれているようです」
エドワードは海図へ身を乗り出した。
「合流予定とこの航海日誌を合わせれば、通過する海域と時期も絞れそうですね」
「かなり狭められると思います」
カートライトは先に航路表を引き寄せた。
「面白い話ではありますが、我々の目的地はマドラスです。輸送船を連れたまま何週間も敵を待つわけにはいきません」
「そこまで待つ気はないよ。予定を大きく崩さずに使える日数だけ教えてくれ」
カートライトは補給計画と航路を見比べた。
「5日です。それ以上なら、その後の予定まで組み直す必要があります」
「なら5日だけ待とう。現れなければ東へ進む」
エドワードは海図の一点へ印を付け、その横に「5日」と書き込んだ。




