第4話(中編)「17歳の船長」 1774年4月11日~4月20日
ヴェンチャー号の修理費は360ポンドになった。
船を陸へ上げ、傷んだ外板を交換する。索具の一部を新しくし、古くなった帆も取り替えた。造船所では朝から船大工が槌を振るい、熱したタールの匂いが川沿いに漂っている。
エドワードは毎日のように作業を見に来た。
最初の2日ほどで、自分が船についてほとんど何も知らないことも分かった。帆と索具にはそれぞれ役割があり、風向きが変われば扱いも変わる。港へ出入りするには潮を読み、外洋では天測によって位置を確かめなければならない。
職人や水夫へ質問するたびに、新しく覚えることが増えた。
船を買ったからといって、船乗りになったわけではない。
それでも、自分の船がどのように動き、何が危険で、乗組員が何をしているのかを知らないまま船主を続ける気もなかった。まず経験者を雇い、その男から実際の航海を学ぶ必要がある。
ウェッブが、その役を任せられそうな人物を連れてきた。
ウィリアム・カートライト、44歳。
16歳で海へ出て以来、西インド諸島、北アメリカ、地中海を航海し、商船の船長も務めている。2年前に共同所有していた船を嵐で失い、現在は他人の船で航海士として働いていた。
造船所へ来たカートライトは、ウェッブの隣にいるエドワードを見た。
「この若旦那が船主ですか」
「そうです」
「船長はどなたで?」
エドワードが答えた。
「僕です。あなたには航海長を頼みたい」
カートライトは少し意外そうな顔をした。
「外洋航海の経験はありますか」
「ありません」
「天測は?」
「これから覚えます」
「荒天になった時、どの帆を先に減らすか分かりますか」
「まだ知りません」
カートライトは遠慮なく言った。
「それでは船長とは言えませんな」
「だからあなたを雇います。僕が分からないことを教えてください。ただし、船を何に使うかは僕が決めます」
「私が危険だと言っても?」
「理由を聞きます。それでも行くかどうかは、その時に判断します」
「間違えれば船を失いますよ」
「僕も乗っています。自分だけ陸に残って他人へ危険を負わせるつもりはありません」
カートライトはエドワードを見直した。
「船主は普通、陸にいたがるものですが」
「僕は海を覚えたいんです。この先、この船を商売だけに使うとは限りませんから」
「ほかに何を?」
「戦争になれば、武装した船には別の使い道もあるでしょう」
カートライトはウェッブへ一度目を向けたが、詳しくは聞かなかった。
「給金の話をしましょう。いくら出します?」
「月8ポンドです。今回の航海で純利益が1,000ポンドを超えれば50ポンド、2,000ポンドを超えれば100ポンドの賞与を出します」
「月10ポンドなら即決しますが」
「8です。その代わり利益が出れば、賞与は約束どおり払います」
「船が沈んだ場合は?」
「その時は給金を受け取る場所がありません」
カートライトは笑った。
「それもそうですな。分かりました。乗りましょう」
これでヴェンチャー号を実際に動かせる経験者が決まり、エドワードには航海を教わる相手もできた。
◇ ◇ ◇
船の修理と並行して、武装も進めた。
4ポンド砲を6門積み、火薬と砲弾を揃える。接近戦に備えてマスケット銃、拳銃、カットラスも用意し、武装だけで約190ポンドを使った。
甲板へ運び込まれた砲を見ながら、カートライトが言った。
「海賊対策にしては、かなり念入りですな」
「使わずに済むなら、その方がいいんです」
「それはそうですが、先ほどは戦争の話もしていた」
エドワードは答えた。
「北アメリカの様子は知っていますよね」
「ボストンの騒ぎなら知っています」
前年12月、ボストンでは東インド会社の茶が海へ投げ捨てられた。その報復として、イギリス議会はボストン港を閉鎖する法律を成立させ、6月1日から実施することになっている。
「植民地の商人が黙って受け入れると思いますか」
カートライトは首を傾けた。
「私は政治家ではありません。ただ、港を閉じられて喜ぶ商人はいないでしょうな」
「対立が深まれば海運にも影響が出るでしょう。危険が増えれば運賃や保険料も上がるし、武装した船の値打ちも変わる」
「戦争になると考えているのですか」
「そこまでは分かりません。ただ、何も起きないと決めてかかる必要もないと思っています」
植民地との対立とは別に、将来イギリスが外国との戦争へ入る可能性もある。その時には、正式な許可を受けた民間船が敵国商船を捕獲する私掠も行われる。
今のヴェンチャー号にできるのは商売と自衛だけである。それでも、商船として稼ぎながら航海と武装船の扱いを覚えておけば、情勢が変わった時に選べる道は増える。
「そこまで先を見て船を買ったわけですか」
「そのつもりです」
カートライトは船上を見回した。
「先のことより、まずこの船を安全に動かせるようになってください」
「そのためにあなたを雇いました」
「どうも、そこだけは私の方が苦労しそうですな」
◇ ◇ ◇
乗組員は、エドワードとカートライトを含めて総勢18人とした。
甲板員や操舵手のほか、船大工、料理人、砲を扱った経験のある水夫も採用する。
募集の途中では、17歳のエドワードが船長だと知ると、乗船を断る者もいた。
「本当にあんたが船長なのか」
「そうだ」
「外洋へ出たことは?」
「今回が初めてだ。航海長には経験のあるカートライトを雇っている」
男はカートライトを見てから首を振った。
「俺は別を探す」
「分かった」
エドワードは引き止めなかった。
外洋では船長への不信が事故につながることもある。最初から乗りたくない者を、金だけで無理に乗せる必要はなかった。
最終的に採用した者には、条件を先に説明した。一般の商船より給金を少し高くする代わり、船上では命令に従わせる。航海で大きな利益が出れば、給金とは別に賞与も出すことにした。
募集を終えた後、カートライトが言った。
「金で人を集めましたな」
「悪いですか」
「いいえ。その方が分かりやすい。腹を空かせた水夫に忠誠心を食わせることはできませんから」
「なら問題ないですね」
「ただし、金を払えば何をしても付いてくると思わないことです」
「何が必要です?」
「船長が無茶をしすぎないことですな」
「努力します」
「そこは努力ではなく、覚えてください」
◇ ◇ ◇
修理と武装を終えるころには、使える金は約900ポンドまで減っていた。
ここから食糧と水、乗組員への給金の前払い、港湾費用を支払い、北アメリカへ運ぶ商品も仕入れる。
空荷で大西洋を渡れば、往路の航海を利益にできない。
エドワードはウェッブやヘンリー、カートライトから北アメリカで需要のある品を聞き、布地、釘、工具、陶器、金属製の日用品などを候補にした。資金が限られているため、腐りにくく、船倉の場所を取りすぎない品を優先し、酒類も少量積むことにした。
積荷の方針が決まると、カートライトが北アメリカ東岸の海図を広げた。
「さて、どこへ入りますか。ボストンは6月から港を閉じられます。今から向かうには面倒です」
「ニューヨークは?」
「問題ありません。フィラデルフィアも商売には向いています」
エドワードは地図を見た。
「最初はニューヨークにします。そこなら北の様子も南の様子も見られるでしょう」
「商売だけではなく、植民地の情勢も見るつもりですか」
「せっかく海を渡るのですから、現地で確かめたいんです」
ニューヨークには大きな港があり、多くの商人が集まる。必要なら南のフィラデルフィアへも向かえ、その先には西インド諸島もある。
ロンドンにいたころは、市場へ集まってくる情報を待っていた。自分の船を持てば、今度はこちらから別の土地へ行き、商品と情報の両方を探すことができる。
◇ ◇ ◇
4月18日、ヴェンチャー号は試験航海のため初めてテムズを下った。
修理した船体と新しい帆を確かめ、集めた乗組員を実際に一緒に働かせるための航海である。
空は曇り、川面には冷たい風が吹いていた。帆が風を受けるたびに索具が軋み、船腹を水が叩いている。
出航して間もなく、エドワードは自分の命令が遅いことを思い知らされた。
「左へ寄りすぎています」
カートライトに言われ、エドワードは操舵手へ指示を出した。
「戻します」
「もう少し早く。船は命令を出した瞬間に向きを変えるわけではありません」
少し判断が遅れただけで、船は思っていた位置から外れていく。風向きに合わせて帆を調整し、潮の流れと周囲の船にも注意しなければならない。
帳簿なら計算を間違えても書き直せるが、船での判断の遅れは衝突や座礁につながる。実際に甲板へ立って初めて、エドワードにもカートライトが細かく指示する理由が分かった。
午後になると風が強くなった。
ヴェンチャー号が傾き、船首が波を切るたびに飛沫が甲板へ上がる。エドワードはしばらく耐えていたが、次第に胃が持ち上がるような感覚に襲われた。
カートライトが顔を見た。
「船長、顔色が悪いですぞ」
「分かっています」
「船酔いですな」
「そのようです」
「初めてなら珍しくありません」
間もなくエドワードは船縁へ行き、海へ吐いた。背後から水夫たちの笑い声が聞こえたが、吐き終えると口元を拭って甲板へ戻った。
「次は?」
カートライトは前方を指した。
「あの船を避けます。今度は少し早めに指示を出してください」
「分かりました」
夕方、ヴェンチャー号を無事に係留してから、カートライトが言った。
「少し安心しました」
「船酔いしたのに?」
「吐いたくらいで帰ると言い出さなかったからです。船酔いをして船を手放す船主もいますからな」
「僕は売りません」
「なら、慣れるしかありません」
◇ ◇ ◇
4月20日、出航の準備はほぼ終わった。
エドワードは船長室で支出を確認した。
ヴェンチャー号の購入に1,050ポンド、船底や帆、索具の修理に360ポンド、武装に190ポンドを使った。食糧、水、給金の前払い、港湾費用などに約280ポンド、北アメリカへ運ぶ積荷には約580ポンドを使っている。
残った現金は約40ポンドだった。
3月末には現金だった2,500ポンドが、ヴェンチャー号、6門の4ポンド砲、航海に必要な物資、商品を積んだ船倉へ変わった。総勢18人の乗組員も揃っている。
これで利益が出る保証はないが、少なくとも金を銀行へ置いたままでは得られない商売ができるようになった。




