第4話(後編)「港は壊すな」 1781年6月1日~6月30日
6月初旬、アシュコームがハロウデン・ハウスへ持ってきた地図は、これまでのものより細かかった。
描かれているのはインドだけではない。セイロン、マラッカ海峡、その先の島々まで含まれ、英国、フランス、オランダの拠点や航路が書き込まれている。
エドワードは書斎の大机に地図を広げた。そこにはアシュコーム、ベル、モーダント、ウェッブのほか、カートライトも呼んである。
「オランダ側が持つ財産について、分かる範囲で整理しました」
アシュコームは地図上の印を指した。
「商館、倉庫、港湾施設、要塞、船です。もちろん、現地へ命令が届くころには状況が変わっている可能性があります」
エドワードは港の印へ指を置いた。
「軍事的な強さだけでなく、占領した後にどれだけ価値が残るかも知りたい。港や倉庫、船、積荷、商館まで含めて、戦闘で壊せば英国側が最も損をするものを見極めたいんです」
モーダントが笑った。
「敵の財産を前にして、まず値段を考える。いかにも伯爵らしいですな」
「敵だからといって、高い物から壊す理由はないでしょう。砦から撃ってくるなら砦は攻撃する。しかし港まで一緒に使えなくする必要はない」
カートライトが地図を見た。
「実際の戦闘では、壊さなければ取れない場所もあります」
「そこは分かっています。兵士に損得を計算させて死なせるつもりはありません。軍事上必要な破壊と、勝った後には何の得にもならない破壊を分けたいんです」
エドワードは港から船の印へ指を動かした。
「敵船も沈めればそれまでですが、拿捕できればこちらで使える。倉庫も焼けば灰になるが、残せば中の商品まで手に入る。戦った後に使える物は、できるだけ残した方がいい」
アシュコームも頷いた。
「戦闘の安全を損なわない範囲で、占領後の利用価値を残す。そういう方針なら現地軍にも説明できます」
「勝つために必要なら壊してください。ただし、勝った後に使える物まで一緒に灰にする必要はありません」
ベルは地図の横に置かれた資料へ目を向けた。
「商館の帳簿や契約書も保存させた方がよいでしょう。商品そのもの以上に役立つ場合があります」
「それはぜひ残したい。誰と何を売買し、どこから仕入れ、誰に金を貸し、誰から借りていたかまで分かるかもしれない」
「現地商人との契約や信用関係まで分かれば、オランダ人が抜けた後の商売を引き継ぎやすくなります」
アシュコームの言葉に、エドワードは地図を見ながら頷いた。
「僕が欲しいのは、オランダ人を追い出した後の空き地ではありません。昨日までオランダが儲けていた商売そのものです」
カートライトは笑った。
「敵船を捕まえて積荷ごと売っていたころより、ずいぶん獲物が大きくなりましたな」
「今度は船が出入りする港まで残して使えるんです。壊すのはもったいないでしょう」
「そう言われると、やはり船乗りより商人の考えですな」
「最初から商人ですよ」
◇ ◇ ◇
その方針を東インド会社の取締役会へ持ち込むのは、アシュコームとベルの仕事だった。エドワード自身は取締役ではないため、会社の会議へ直接口を出すことはできない。
数日後、ロンドンへ戻ったアシュコームから報告があった。
「予想どおり反対は出ました。ヘイル伯爵の商売を増やすために会社が戦争をするのか、とまで言われましたよ」
「僕の名前を前へ出すほど話がこじれるでしょう。会社自身が得をする話として説明してもらえれば十分です」
「そのようにしました。敵の財産を破壊するより、拿捕や接収によって会社が使った方が利益になる。港湾設備、倉庫、取引記録も、軍事上必要がない限り保存する。その方針には賛成が多かったです」
「船も、沈める必要がなければ拿捕を優先する形で通せそうですか」
「そこも問題ありません。ただ、現地軍へ細かな制限を付けすぎれば戦闘の妨げになるという意見は強い」
「そこは僕も同じ考えです。撃たれている人間に、倉庫の屋根がいくらするか考えろとは言えません。まず勝って生き残り、その後で使える物を使えばいい」
「それなら、この方針でまとめられます」
最終的には、エドワード側が望んだ方針の大部分が認められた。
オランダ側の船舶、港湾設備、倉庫、商品、商館の記録については、軍事上必要がない限り破壊せず利用する。戦利品だけでなく、その背後にある交易網まで英国側へ移すことを狙う方針である。
◇ ◇ ◇
6月中旬、ハロウデンには再び家族と友人が集まった。
今回は大げさな祝いではない。春の間、エドワードがほとんどロンドンで過ごしていたため、アメリアが数日くらい仕事を持ち込まず、家族や友人と過ごすよう求めたのである。
両親、キャサリン夫妻、エリザベス夫妻に加え、モーダント夫妻、ベル夫妻、アシュコーム、ウェッブも泊まりに来た。
初日の午後、屋敷前の広い芝地ではクリケットの試合が始まった。所領周辺から腕の立つ者も呼び、客と混ぜて2組に分けている。もちろん賭けも始まった。
ベルが集まった金を見て笑った。
「今回は賭ける者がずいぶん多いようですな」
「全部合わせて5,000ギニーくらいですよ。僕自身は1,000ギニーだけにしました」
エドワードが答えると、ウェッブがすぐに口を挟んだ。
「エプソムで6,000ポンド失った直後ですから、それでも十分大きいと思いますがな」
「前回より減らしたんだから、少しは進歩しただろう」
「では、その進歩を今日のところは認めておきます」
女性たちは日除けの下に椅子を並べ、息子は乳母とともに少し離れた場所で過ごしていた。
エドワード自身も試合へ出たが、結果はひどかった。最初の打席で大きく打とうとして空振りし、ほとんど何もできないまま戻ってきた。
父リチャードが腹を抱えて笑った。
「拳銃ならあれだけ当てるのに、球になるとさっぱりだな」
「向こうから飛んでくる小さな球を打つのは、的へ撃つのとは別物ですよ」
「敵船だって動くぞ」
「敵船はもう少し大きいでしょう」
エリザベスまで笑った。
「お兄様、負けた時の説明だけは立派ね」
「次にやる時までには少し練習しておくよ」
「遊びまで練習するところは変わらないのね」
アメリアも笑っていた。
この日の試合ではモーダントが意外な活躍を見せ、ベルはエドワードと大差のない成績に終わった。
試合が終わると、芝地には長い食卓が用意された。屋敷の客だけでなく、試合へ加わった者や使用人にも料理と酒が振る舞われる。肉を焼く匂いが辺りに広がり、楽師の演奏も始まった。
エドワードは酒杯を持って父の隣へ座った。
「312万ポンド儲け、今度は500万ポンドの信用枠を会社へ用意して、その合間にクリケットまで始めるとはな」
リチャードは周囲を眺めながら言った。
「昔のお前なら、今日ここで使った金まで次の商売へ入れていただろう」
「今でも必要な分は入れていますよ。ただ、稼いだ金を全部働かせなくても困らなくなっただけです」
リチャードは、少し離れた場所で話している家族へ目を向けた。アンが娘たちと笑い、アメリアは息子を抱いている。ヘンリーとジョナサンは、モーダントたちと先ほどの試合について話していた。
「こうして家族や友人が集まるなら、金を使う相手としては悪くないな」
「父上からそう言われると、妙に説得力がありますね」
「今日は昔の借金の話へつなげるなよ」
「分かりました。酒がまずくなる前にやめておきます」
リチャードは満足そうに酒杯を傾けた。
◇ ◇ ◇
夕食後、客たちは大食堂から舞踏室へ移った。
楽師が演奏を始めると、客たちは踊る者、酒を飲みながら話す者、カードを始める者に自然と分かれていった。
アメリアが夫へ近づいた。
「ラネラの時より少しは上手になったのでしょうね」
「一応練習したから、前よりはましだと思う」
「まさか、誰かに付き合ってもらったのではありませんよね」
「1人で足の運びだけ覚えたんだよ。そんなことで君に疑われるくらいなら、その方が楽だ」
「それなら成果を見せてもらいます」
エドワードは妻の手を取った。
途中で一度足を間違えたが、以前ほどひどくはない。
「本当に少し上達しましたね」
「練習しただけのことはあっただろう」
「商売ほど早く上達しないところが面白いです」
「そこまで比べないでくれ」
曲が終わると、エドワードは妻の手を離さず、そのまま席まで戻った。
別の若い夫人から次の曲へ誘われると、エドワードは礼をして断った。
「今夜は妻の相手だけで手一杯なのです。もう少し上手くなったら考えますよ」
「それでは、奥様にずいぶん練習していただかないといけませんね」
「そのつもりです」
若い夫人は笑って去っていった。
アメリアは夫を横目で見た。
「勝手に私を先生にしましたね」
「ほかの人に習うより安心だろう」
「では授業料は高くいただきます」
「請求書だけは出さないでくれ」
この夜、エドワードは東インド会社の話をしなかった。
◇ ◇ ◇
6月30日。
ロンドンへ戻ったエドワードは、ウェッブの事務所で取締役名簿と各委員会の記録を見ていた。
ウェッブは向かい側に座り、数枚の紙を整理している。
「最初に東インド会社を買うとおっしゃった時には、株を大量に集める話だと思っていました。ところが実際にこちら側と言える取締役は、まだアシュコーム氏とベル氏の2人です」
「その2人が入っただけでも、500万ポンドの信用枠を作り、戦時の調達方針へ口を出し、オランダの港を取った後の扱いまで変えられた。人数だけで見れば少ないが、思っていた以上にできることは多いな」
「その考え方をすると、次は4人ならどこまでできるか試したくなるのでしょうな」
「そのつもりだよ。ただ、次の改選まで何もせず待つ必要はない。今いる取締役の中から、会社が儲かるならこちらの案へ乗ろうと思う人間を増やせばいい」
「また私の仕事が増えそうです」
「株主を何十人も調べた時よりは対象が少ない。今度は24人しかいないんだから」
「人数が少ない分、1人ずつ厄介かもしれませんぞ」
「それも含めて調べてくれ」
ウェッブは新しい紙を取り出した。
「では、既存取締役24人について、会社外の商売、船主との関係、インド勤務の経験、所属する委員会まで洗い直しましょう。誰が何を欲しがり、何を嫌っているかも必要でしょうな」
「そこまで分かれば十分だ。僕への好意はいらない。会社が儲かる話なら聞く人間を探してくれ」
ウェッブは紙へ最初の名前を書き込んだ。
エドワードは、その隣に広げられたインド洋の地図へ目を移した。
オランダの港と商館を示す印は、そのまま残っていた。




