第4話(中編)「312万ポンドの遊び方」 1781年5月1日~5月31日
5月になると、エドワードの仕事は以前より複雑になった。
アシュコームとベルは正式に東インド会社の取締役となったが、2人が入っただけで24人の取締役会を自由に動かせるわけではない。エドワード自身は取締役でもないため、会社内部で何をするかは2人が自分で判断しなければならなかった。
選挙から半月ほどたった日、アシュコームとベルがロンドン邸を訪れた。
「24人全部を一度に動かそうとしても無理でしょう。今の2人では、取締役会そのものを押さえるには足りません」
ベルが言うと、エドワードは会社の組織をまとめた紙を広げた。
「僕も最初から24人全員を動かすつもりはありません。実務を少人数で扱う委員会から始めた方が早いでしょう」
アシュコームが紙へ目を落とした。
「船舶、調達、財務を扱うところですな」
「案件の多くは少人数で整理した後、取締役会へ上がる。24人のうち13人を一度に味方へするより、5人の委員会で3人が同じ方を向く方が早い」
ベルが笑った。
「会社を丸ごと買うと言っていた人が、今度は委員会の使い方を考え始めましたか」
「買収するわけじゃありません。同じ方針の方が会社にも自分にも得だと思ってもらうだけです」
「伯爵の中では、そこに大きな違いがあるのですな」
「金を渡して言うことを聞かせるのと、利益が一致するから同じ票を入れるのでは全然違いますよ」
アシュコームも、その点には異論がなかった。
戦時の船舶、調達、財務を扱う委員会には、既存取締役の中にも現状へ不満を持つ者がいた。船を知らない者が価格だけで契約を決めることを嫌う者もいれば、資金調達の遅れを問題にする者もいる。それぞれ求めるものは違っても、会社を確実に動かして利益を増やしたいという点では一致できる。
「僕への好意は必要ありません。こちらの案に賛成した方が会社にも自分にも得だと思ってもらえれば十分です」
ベルは椅子へ深く座った。
「その考えで進めるなら、次は相手に見せられる利益が要りますな」
「今の会社が一番必要としている金を用意します。戦時資金を、必要な時に出せるようにしましょう」
「やはり伯爵らしい話になりましたな」
◇ ◇ ◇
数日後、ベルは銀行家数人との協議を始めた。
目的は、東インド会社が戦時に必要とする資金を、必要な時に引き出せる大きな信用枠を作ることである。エドワード自身が150万ポンドまで裏付け、残りを複数の銀行家や商人が分担する。全額を一度に貸し出すのではなく、会社の需要に応じて段階的に資金を出せる仕組みとした。
上限は500万ポンドだった。
ウェッブは資料を読むと、しばらく黙っていた。
「312万ポンドを儲けたと思えば、今度は500万ポンドの信用枠ですか。最近は、こういう数字を見ても驚かなくなってきた自分の方が心配になりますな」
「500万全部が僕の金ではありませんし、貸した分には利息も取りますよ」
「そこではありません。あなたが500万ポンドという数字を、普通の商談のように扱い始めたことを言っているのです」
「僕にとっても小さい金ではないよ。ただ、東インド会社が戦争を続けるには、それだけの資金を必要な時に動かせる仕組みが要る。銀行から金を借りるだけなら誰でもいい。僕たちが用意する意味は、会社が困った時に誰が金を出せるのか覚えてもらうことにある」
ウェッブは苦笑した。
「貸した後の金にまで仕事をさせるわけですな」
「せっかく出すなら働いてもらいます」
信用枠の話は会社内部でも好意的に受け止められた。戦争が続けば、船を借りるにも兵を動かすにも金が要る。必要な時に資金を確保できるのであれば、取締役にとっても悪い話ではない。
やがて戦時の船舶と調達を扱う5人の委員会では、アシュコーム、ベルに加え、既存取締役の1人が継続的に同じ方針へ投票するようになった。
ウェッブから報告を受けたエドワードは、委員会の名簿を見た。
「5人のうち3人か。会社全体を動かせるわけではないが、戦時の船と物資についてはこちらの案が通りやすくなった。2人を取締役へ入れただけでも、使い方次第ではかなり違うな」
「だからといって、『会社がこちらを向き始めた』などと取締役の前で言わないでくださいよ」
「そこまで馬鹿じゃない」
「伯爵の場合、嬉しくなると口が滑るので念のためです」
◇ ◇ ◇
5月下旬、エドワード一家はエプソムへ向かった。前年に始まったばかりのダービーを見るためである。
ロンドン邸からは数台の馬車が連なって出発した。エドワードとアメリア、息子と乳母、両親のリチャードとアン、キャサリン夫妻、エリザベス夫妻が乗り、後ろにはモーダント夫妻、ベル夫妻、アシュコーム、ウェッブらの馬車も続いた。食事や酒を積んだ荷車まで別に用意されている。
エプソムへ着くと、辺りはすでに人と馬車で混雑していた。競走馬を見ようと集まった者、賭けを持ちかける者、酒や食べ物を売る者が入り交じり、馬のいななきと人々の声が絶えない。
ヘイル家の一行には広い天幕と食卓が用意され、銀器、ワイン、冷たい肉料理、菓子まで運び込まれていた。
父リチャードは、その様子を見て笑った。
「競馬を見に来ただけとは思えんな。遠征軍でも連れてきたようだ」
「家族と友人をまとめて連れてきたら、こうなったんですよ」
「客より使用人の方が多く見えるぞ」
「食事も酒もここで用意するんだから必要でしょう」
母アンが夫を見た。
「文句を言いながら、一番楽しそうなのはあなたですよ」
「競馬場へ来るのは久しぶりだからな」
リチャードは素直に認めた。
エドワードは、大人の家族全員へ500ギニーずつ遊び金を渡した。
革袋を受け取ったエリザベスが中を確かめた。
「随分入っていると思ったら500ギニーもあるのね。全部賭けなくてもよいのでしょう?」
「もちろん。使う分だけ使って、残りは持って帰ればいい」
母アンも自分の袋を手に取った。
「家族全員へ500ギニーずつ配るとは、ずいぶん豪快になったものね」
父リチャードは早くも自分の袋を懐へ入れた。
「私はありがたく使わせてもらう」
「あなたは最初から全部使う気でしょう」
「借金をしなければ文句はないと言っていたではないか」
「それでも限度はあります」
周囲から笑いが起きた。
エドワード自身は別に10,000ポンドを用意していた。
それを知ったウェッブは眉をひそめた。
「ご家族へ500ギニーずつ渡したうえに、御自分は10,000ポンドですか。今夜になって、負けを取り返すために追加するのだけはやめてくださいよ」
「今日は最初から10,000までと決めてきた。それを使ったら終わりだよ」
「そこまで決めているなら、私から止めるのはやめましょう」
競走が始まると、家族の性格がそのまま賭け方に表れた。
ヘンリーは馬の血統と評判を聞いてから慎重に決め、ジョナサンも似た選び方をした。キャサリンとエリザベスは実際の馬を見てから選ぶ。
一方、母アンは説明をほとんど聞かず、馬の名前だけで賭ける相手を決めた。
「母上、せめて馬を一度くらい見てから決めたらどうです」
「あなたは競馬まで商売のように調べるつもりなの?」
「そこまではしませんが、名前だけで500ギニーを賭けられるのは大した度胸ですよ」
「今日は遊びでしょう。だったら好きな馬へ賭ければいいのよ」
エドワードには、それ以上言うことがなかった。
自分も選んだ馬へ大きく張った。
そして負けた。
10,000ポンドのうち6,000ポンド近くを失った一方、母アンが名前だけで選んだ馬は好走し、彼女は元手を大きく増やしていた。
父リチャードは腹を抱えて笑った。
「商売なら何百万ポンドも稼ぐ男が、競馬では母親に負けたな」
「母上の選び方を参考にしようと思っていたんですが、名前が気に入ったというだけでは真似のしようがありませんね」
「だから遊びなのよ」
アンは涼しい顔で答えた。
アメリアも笑っていた。
「それだけ負けても機嫌を悪くしないのですね」
「最初から今日使うと決めた金だからね。追加して取り返し始めたら、それこそまずい」
リチャードが酒杯を上げた。
「そこだけは父親より賢く育ったな」
「あなたが胸を張って言うことではありません」
アンに叱られ、また笑いが起きた。
◇ ◇ ◇
競走の後も一行はすぐには天幕へ戻らず、芝地を歩いて馬を見たり、知人と話したりして過ごした。
エドワードには、以前よりはるかに多くの貴族や商人から声がかかった。若い伯爵というだけでなく、土地、船、商会を持ち、東インド会社へも影響を及ぼし始めた男として知られるようになっていた。
夕方、天幕で食事をしていると、ベルがアメリアへ遠慮がちに声をかけた。
「伯爵夫人、今日は仕事の話をしない約束でしたが、委員会について1つだけ報告してもよろしいでしょうか」
「1つだけなら許します」
ベルはエドワードへ向き直った。
「船舶契約と戦時資金について、既存取締役のうちさらに2人が、こちらの提案を聞くと言っています。必ず賛成するという段階ではありませんが、話し合えるところまでは来ました」
「それで十分です。続きはロンドンへ戻ってから聞きます」
エドワードがそこで話を切ると、アメリアは満足そうに頷いた。
「では、仕事はここまでにしてください」
「今日はもう帳簿を開かないよ」
夜になる前に一行は帰路についた。
馬車の中では、息子が乳母の腕の中ですでに眠りかけていた。
「今日のような遊びなら、また皆で来たいですね」
アメリアが声を落として言った。
「僕もそう思う。次は6,000ポンドも置いてこないようにするよ」
「賭け金を増やして取り返そうとしなければ、それで十分です」
「そこは約束する」
アメリアは眠った息子へ掛け物を直した。
馬車は夕暮れの街道をロンドンへ向かって走っていった。




