第3話(後編)「300万ポンド」 1781年3月1日~3月31日
3月に入ると、ヘイル商会の倉庫から東インド会社向けの物資が大量に動き始めた。
荷車が倉庫と港を往復し、船具、衣類、工具、食糧、医薬品などを指定された場所へ運んでいく。船も出航準備を終えたものから順に、会社との契約へ組み込まれた。
この規模になると、エドワード自身が1つずつ荷を確認することはしなかった。ウェッブが契約全体を管理し、ベルが銀行と決済を担当する。モーダントとカートライトは船を確認し、アシュコームは東インド会社側との調整に加わっていた。エドワードのところへ上がってくるのは、数字と判断を必要とする問題だけである。
3月4日、最初の問題が持ち込まれた。
「医薬品が予定より1割ほど不足しています」
ウェッブは仕入れ表を机へ置いた。
「別の商人から調達できますが、1月より相場が上がっており、6万ポンド前後余計にかかります」
「買ってください。ここで納期を破れば、次の何百万ポンドの仕事を失う」
「利益は減りますが、その方がよいでしょうな」
4日後には、今度は船の修理で追加費用が発生した。3隻で合計9万ポンドだったが、こちらも必要な修理をすべて行わせた。
「海へ出てから壊れるより安い。直してから渡そう」
3月11日には保存食の一部で品質に問題が見つかり、代替品を買わせ、不良分は仕入れ先へ返した。
追加費用が重なり、当初の見込みより利益は削られていった。それでも、安値の品へ交換したり修理を省いたりして帳尻を合わせることはしなかった。
◇ ◇ ◇
3月中旬、エドワードは2日だけハロウデンへ戻った。
アメリアから、息子が家具につかまって立つようになったと手紙が届いたためである。
居間へ入ると、息子は低い椅子につかまり、危なっかしい足で立っていた。エドワードの姿に気付くと、嬉しそうに両手を離す。
「待て」
倒れる前に抱き止めると、アメリアが笑った。
「間に合いましたね。最近は毎日のようにやっています」
「目を離した途端に転びそうで怖いな」
「そうやって歩けるようになるのでしょう。あなたがロンドンで戦争に必要な物を売っている間に、この子も少しずつ成長しているのです」
「戦争そのものを売っているわけじゃないぞ」
「私にはあまり違いが分かりません」
エドワードは息子を抱いたまま椅子へ座った。アメリアも向かいへ腰を下ろす。
「それで、商売の方は順調に進んでいるのですか?」
「ああ。まだ全部確定したわけではないが、利益は300万ポンド近くまで行くかもしれない」
アメリアはすぐには返事をしなかった。
「300万ポンドというのは、売上ではなく利益の話なのですよね」
「そうだよ。僕も最終の帳簿を見るまでは半信半疑だけどな」
「それだけの利益が出たら、次は何に資金を使うつもりなのですか?」
「そこまではまだ決めていない。本当だよ」
アメリアはしばらく夫の顔を見ていた。
「では、東インド会社をこちらの望む方向へ動かすためには、今のあなたに何が足りないのです?」
「4月の改選で、まずアシュコームさんとベルさんを取締役に入れる。その後は会社の中をもっと見てから考えるよ」
「それなら構いません。ただし、会社の中を見るあまり、家の中を忘れないでくださいね」
「今日はちゃんと帰ってきただろう」
「今日は、ですね」
「明日はロンドンへ戻らないといけないからな」
「やはり、そう長くはいてくれないのですね」
エドワードは笑い、息子をアメリアへ渡した。
その夜は書類を開かず、家族と食事をした。
◇ ◇ ◇
3月21日、東インド会社から追加の申し入れが来た。
予定より早く輸送を始めるため、船主へ追加金を払い、積み込みと出航準備を急がせたいという。会社側は、その費用を別途負担する条件を提示した。
エドワードはベルと数字を確認した。
追加契約は74万ポンドで、実際に増える費用は約31万ポンドである。予定どおり進めば、差額だけでも40万ポンド以上が残る。
「これで300万ポンドの利益がかなり現実的になってきましたな」
ベルが計算書を差し出した。
「それでも、まだ確定には届かないのですね」
「十分でしょう。普通なら250万ポンドを超えたあたりで喜び始めます」
「最初から300万を狙ったんですよ。そこまでは行きたい」
「その普通でないところは、もう皆知っています」
エドワードは契約を承認した。
◇ ◇ ◇
3月27日、ウェッブの事務所にベル、モーダント、アシュコームも集まった。
大机には、この3か月で結んだ契約書と、すでに履行を終えた分の決算資料が積まれている。
「今日は利益だけ聞こうと思っていたが、ウェッブが嫌な顔をする前に売上から聞くよ」
エドワードが椅子へ座ると、ウェッブは帳簿を開いた。
「ようやく学びましたな。東インド会社との契約総額は、追加分を含めて984万ポンドです」
「1,000万ポンドには少し届かなかったか」
「そこを惜しむ数字ではありません」
モーダントが笑った。
「私はもう伯爵の金額には驚かないことにしました」
ウェッブは計算書へ目を落とした。
「仕入れ、船主への支払い、修理、追加購入、保険、倉庫、金利、人件費など、この契約に直接かかった費用を差し引いて、現時点で確定した利益は286万ポンドです」
エドワードは机の上の数字を確認した。
「残っている契約まで履行を終えた場合、最終的な利益はどの程度になりそうです?」
ベルが答えた。
「今月中に引渡しが終わる分があります。大きな問題が出なければ、さらに30万から40万ポンドほど利益が増える見込みです」
「それなら300万を超えそうだな」
「その見込みです」
今度はエドワードも満足そうに笑った。
◇ ◇ ◇
3月31日、最後の大口物資について受領確認が届いた。
午後からウェッブが帳簿を締め、エドワードは同じ部屋で結果を待った。急かしたところで数字が増えるわけではないため、途中から紅茶を飲みながら別の書類を読んでいた。
やがてウェッブが計算を終えた。
「伯爵、出ました。今回の契約による純利益は312万ポンドです」
エドワードは杯を置いた。
「仕入れ代や船舶費用だけでなく、金利や保険まで全部差し引いた数字なのか?」
「今回の契約に直接かかった費用は、すべて差し引いてあります。312万ポンドで間違いありません」
エドワードは差し出された帳簿を受け取った。最後の欄には、純利益312万ポンドと記されていた。
「今度こそ満足されましたかな」
「今回は満足したよ。300万を超えた」
「次は500万と言い出さないでくださいよ」
「それは次の商売を見てから決める」
「やはり否定はしないのですね」
ウェッブが呆れているところへ、ベルが別の帳簿を持って入ってきた。
「利益だけでなく、取締役選挙の方にも動きがありました。アシュコーム氏と私への支持を明言した株主を合わせると、現在131票です」
「1月初めの79票から、そこまで増えたのか」
アシュコームも部屋へ入り、ベルの隣に立った。
「念のため申し上げておきますが、伯爵が312万ポンド儲けたから票を入れるという話ではありませんよ」
ベルが続けた。
「会社へ900万ポンドを超える物資と船を用意し、それでも会社が市場で個別に集めるより安く済ませた。その仕事を見て、あなたの話を聞いてみようという株主が増えたのです」
エドワードは利益の帳簿を閉じた。
「それなら十分だ。利益を出しただけでなく、僕たちのやり方を見てもらえたわけだからな」
「珍しく、すぐ金の話へ戻りませんでしたな」
ウェッブが言うと、エドワードは取締役名簿を手元へ引き寄せた。
「会社を動かせるようになれば、そのうち金にもつながるよ」
「やはり同じでしたか」
改選される6席のうち、まず狙うのはアシュコームとベルの2席である。
エドワードが2人の名前へ指を置くと、ウェッブはその様子を見て言った。
「312万ポンドを稼いだばかりだというのに、もう次の仕事へ頭が移っておられるようですな」
「利益を数えているだけでは増えないからな」
「それで、次に狙うものもすでに決めておられるのでしょう」
エドワードは取締役名簿をウェッブの方へ押し出した。
「東インド会社だ」




