第3話(中編)「戦争を会社に売れ」 1781年2月1日~2月28日
2月初旬。
エドワードは東インド会社の関係者を前に、820万ポンドの提案書を置いた。
最初から歓迎されたわけではない。金額が大きいうえ、ヘイル伯爵が次の取締役選挙でアシュコームとベルを候補に立てるつもりであることは、すでに会社内部でも知られている。
年配の取締役が提案書を閉じた。
「伯爵。これは純粋な商売ですかな。それとも、会社へ入り込むための手土産と考えればよろしいのですかな」
「商売ですよ。ただし僕自身が株主ですから、会社が利益を上げれば僕も得をしますし、こちらの候補にとって悪い材料になるとも思っていません。そこまで無関係だと言い張るつもりはありません」
「随分はっきりおっしゃる」
「隠したところで、皆さん御存じでしょう」
別の取締役が提案書を指で叩いた。
「では商売として伺います。この820万ポンドの契約から、伯爵はいくらの利益を見込んでおられるのです?」
「予定どおり進めば300万ポンド前後です」
取締役たちの表情が変わった。
「会社との取引だけで、300万ポンドもの利益を得るおつもりなのですか」
「会社が今から同じ船と物資を市場で集めれば、900万ポンド以上になる可能性があります。僕は820万で揃える。会社は市場で一から集めるより安く、しかも早く手に入れられる。僕の利益が大きいのは、値上がりする前に危険を取って契約したからです」
取締役はすぐには答えなかった。
「それだけの量を、すでに実際に確保していると考えてよろしいのですかな」
「確認してください。倉庫も船も見てもらって構いません。紙だけで820万ポンドを請求するつもりはありません」
◇ ◇ ◇
会社側の確認は1週間続いた。
担当者はロンドン、テムズ沿岸、主要港の倉庫へ出向き、ヘイル商会が確保した品の数量と品質を調べた。モーダントとカートライトは契約済みの船を案内し、修理中の船については完成予定日を示した。出航可能な船では乗組員を集める手配まで進んでいる。
帆布、索具、工具、衣服、保存食についても、すでに倉庫へ入った品と、今後納入される契約分が分けて管理されていた。
調査が進むにつれ、会社側にも事情が見えてきた。
ヘイル商会から買わなければ、自分たちで同じ船と物資を集めるしかない。しかし1月に比較的安い条件で契約できた船や物資のかなりの部分は、すでにヘイル商会が押さえている。市場価格も上がり始めていた。
2月9日、再び交渉が行われた。
「一括820万ポンドの契約は認められません」
取締役はそう告げた。
「まず430万ポンド分だけ契約します。物資と船舶の一部を先に引き渡してもらい、履行を確認したうえで追加を協議したい」
エドワードは隣のベルを見た。ベルがわずかに頷く。
「それで構いません。820万から430万へ値段を下げる話ではなく、まず半分を買うという意味でしょう。それなら半分だけ先に売ります」
取締役は、もう少し押し返されると思っていたらしい。
「随分簡単に受け入れられるのですな」
「430万ポンドの契約を断る理由がありませんから」
第1契約は430万ポンドで成立した。
契約締結と同時に、東インド会社から前払金と準備金として110万ポンドが支払われ、その資金を使ってヘイル商会は商人と船主への残金を払い始めた。これによって、銀行融資だけで仕入れを支える必要はなくなった。
ウェッブは銀行への返済予定表を見ながら言った。
「ひとまず最初の山は越えました。会社から入った金で、会社へ納める商品の支払いを進められます」
「残り390万ポンド分も、いずれ取りたいな」
「430万ポンドの契約を取ったばかりなのに、もう残りを見ておられるのですか」
「最初から820万を用意したんだ。他人に残りを取られるのは惜しいでしょう」
◇ ◇ ◇
最初の引き渡しは速かった。
すでに買付けを終えた物資は、会社側が品質と数量を確認すれば、そのまま納品できた。船も出航準備が進んでいるため、会社が新たに市場へ注文を出し、生産や修理の完了を待つ必要がない。
2月14日までに最初の大型物資群が引き渡され、その3日後には輸送船団へ組み込む船も引き渡し準備を終えた。会社側の担当者は帳簿と現物を何度も照合したが、大きな不足は見つからなかった。
2月19日、残りの契約について会社側から話が持ち込まれた。
「当初の分に加えて、現地への増援準備が必要になりました。衣服、薬、修理資材、それに輸送船をさらに12隻欲しい」
エドワードは船の一覧を確認した。
「10隻ならすぐ出せます。残り2隻は修理が終わる3月中旬になります」
「追加料金をお支払いすれば、12隻すべてを3月初めまでに揃えることはできませんか?」
「船は金を積んでも修理が早く終わるわけではありません。3月初めに出すなら10隻までです」
契約が欲しいからといって、守れない納期を約束するつもりはなかった。一度信用を失えば、その後の大口契約まで危うくなる。
会社側も10隻で了承した。
追加物資と船を含む第2契約は325万ポンドとなり、第1契約と合わせた総額は755万ポンドに達した。
◇ ◇ ◇
2月下旬になると、戦争需要による価格上昇がはっきり表れた。
1月にヘイル商会が契約した帆布と索具を同じ価格で買える商人は減り、大型船の借上げ条件も上がっている。
新しい船主との交渉から戻ったモーダントは、エドワードへ報告した。
「1月と同じ条件では、もう大型船を集められません。船によって3割、人気のある船なら4割近く上がっています」
「先に押さえておいて正解でしたね」
「待ったのではなく、先に市場から取ったのでしょう」
「結果は同じですよ」
「全然違います」
モーダントも笑った。
2月26日、東インド会社はさらに追加の輸送、補給品、修理資材を求めてきた。契約額は155万ポンドで、これを受ければ、この2か月にヘイル商会が会社から取った仕事は910万ポンドになる。
ウェッブは計算書を確認した。
「当初の820万ポンドを超えました。今の原価で進めば利益は250万ポンドを超えそうですが、300万へ届くかどうかは追加分の仕入れ次第です」
「155万ポンドの注文なら受けよう」
「300万ポンドの利益へ届かせるために、この追加契約も取るおつもりですか?」
「それも嫌いじゃないが、目の前に155万ポンドの仕事があるのに断る理由の方がない」
「その答えなら安心しました」
エドワードは契約書へ署名した。
ヘイル商会が扱う船は50隻近くまで増え、数十の商人、船主、製造業者、銀行がこの仕事につながっていた。エドワードが自分で所有する船や倉庫だけでは到底扱えない規模である。
2月末、ウェッブの事務所には東インド会社との契約書だけで、専用の棚が1つ必要になっていた。




