第3話(前編)「戦争には値段がある」 1781年1月1日~1月31日
1781年1月1日。
エドワード・ヘイルは24歳の誕生日を、ハロウデン・ハウスで迎えた。
夜のうちに雪が降り、5万2,000エーカーの所領は朝から白く覆われていた。完成して最初の冬を迎えた本邸では各室の暖炉に火が入り、朝食室には石炭の燃える匂いと焼いたパンの香りが漂っている。
食卓にはアメリアが座り、生後10か月になる息子は乳母に抱かれていた。息子は父親より食卓のパンに興味があるらしく、何度も手を伸ばしている。
「まだ食べられないぞ」
エドワードが皿を遠ざけると、息子は不満そうな声を上げた。
「欲しい物を見つけると、すぐ手を伸ばすところはあなたに似ていますね」
アメリアが笑う。
「僕は取れる物にしか手を出さないよ」
「本当に、取れない物には手を出さないのですか?」
「少なくとも昔よりは慎重になった」
「それなら認めます」
24歳になっても、必要になる物を先に押さえ、手元の金を次の利益へ回す考え方は変わっていなかった。
「今日は誕生日ですから、さすがに仕事は休むのでしょう?」
アメリアが尋ねると、エドワードは少し申し訳なさそうに紅茶を飲んだ。
「夕食は家族と取るよ。ただ、午後からウェッブたちが来る。オランダとの戦争が始まったばかりだから、今のうちに決めておきたいことがあるんだ」
「またご自分で海へ出る話ではありませんよね?」
「今回は違う。船に乗らなくても、戦争で必要になる物は山ほどある」
夫が自分で敵船を追うつもりではないと分かり、アメリアの表情が少し緩んだ。
「結局、誕生日にも商売の話になるのですね」
「戦争を始めたのは僕じゃない。始まった以上、必要な物を用意する人間はいる」
「それで、今回はどれくらいの利益を狙っているのです?」
エドワードは少し考えてから答えた。
「100万ポンドでは少ないと思っている」
アメリアは夫の顔を見た。
「24歳の誕生日の朝にする話としては、ずいぶん景気がよいですね」
「儲かったら祝い直そう」
「それなら、まず儲けてください」
その日の夕食だけは家族と過ごすと改めて約束し、エドワードは朝食を終えた。
◇ ◇ ◇
午後、ハロウデンの書斎にはウェッブ、アシュコーム、ベル、モーダントが集まった。大机の上には、インド洋から東南アジアまでを描いた地図と、それぞれが調べてきた資料が広げられている。
12月末に英蘭間の戦争が明確になると、エドワードは4人へ調査を頼んでいた。アシュコームはインドの会社拠点と必要物資、モーダントは船舶、ベルは資金、ウェッブは英国側の商人と契約条件を調べている。
最初に報告したのはアシュコームだった。
「東インド会社が現地でオランダ勢力と衝突することになれば、兵だけを増やせば済む話ではありません。港や要塞を維持し、船を修理し、増えた兵へ食糧を届ける必要があります。帆布、索具、木材、鉄製品、火薬、砲弾、衣服、靴、薬、保存食まで、平時より必要量が増えるでしょう」
「つまり、戦争になれば軍需品だけではなく、船を動かす物まで一斉に不足し始めるわけですね」
エドワードが言うと、モーダントが頷いた。
「船腹そのものもですな。戦争需要が本格化すれば、大型船を平時の条件で借りるのは難しくなります」
ベルは資金面から話を続けた。
「兵を増やせば給金が要り、物資を買えば支払いが増える。船主も危険が高まった分だけ条件を上げるでしょう。英国から東方へ送る追加物資、船腹、修理用品、予備まで広く見れば、今後1年から1年半で800万ポンドを超える仕事になっても不思議ではありません」
「今回増える分だけで800万ポンドですか」
「会社全体の支出ではありません。あくまで戦争によって新たに必要になる分を広めに見積もった数字です」
エドワードは地図から顔を上げた。
「それなら十分大きい。800万ポンドの仕事なら、こちらに取れる利益も相当ある」
ウェッブが警戒するように見た。
「その顔を見ると、また大きな利益を考えておられるようですな」
「300万ポンドくらいは欲しい」
モーダントは笑うのをやめた。
「伯爵、それは売上ではなく、純粋な利益として300万ポンドを狙うという意味ですか?」
「もちろん利益ですよ」
ウェッブは額へ手をやった。
「24歳になった途端に言い出したのなら、誕生日を祝うのをやめたくなりますな」
「昨日から考えていましたよ」
「それなら誕生日は無罪です」
ベルは計算書を見たまま口を開いた。
「300万の利益を残すなら、会社が実際に必要として市場へ買いに出てからでは遅いでしょう。相場が上がる前に仕入れなければなりません」
「だから今から押さえます。正式な注文が出て、市場中の商人が同じ物を買い始めてからでは利益が消える」
モーダントにも考えがあった。
「船も同じです。私の知り合いまで回れば30隻前後は押さえられると思いますが、買うのではなく、必要になった時に優先して借りられる契約にした方がよいでしょう」
「それでお願いします。使わない船まで丸ごと買う必要はない」
ベルはエドワードの考える規模を確かめた。
「物資については、どの程度まで先に契約しておくおつもりですか?」
「400万ポンド分を目安にしたい。ただし現金で一括払いはしません。手付金を入れ、残りは納品時払いにする。銀行も使いますし、東インド会社との契約が取れれば、それ自体を信用として銀行へ見せられる」
「ずいぶん会社らしい金の使い方になってきましたな」
「大きな会社を手に入れようとしているんです。使える仕組みは覚えますよ」
エドワードはウェッブへ向いた。
「商会、土地、船の運転資金を残したうえで、すぐに動かせる現金はどこまで用意できますか?」
「100万ポンド余りです。さらに銀行信用を使えば、動かせる額は増えます」
「最初の100万は僕が裏付けます。銀行で150万、商人や船主へ納品まで支払いを待ってもらう分を200万ほど作れれば、最初の買付けには十分でしょう」
ベルは数字を合わせた。
「合わせて450万ポンド前後です。条件次第では500万近い仕入れ能力になります」
「それを800万以上の売上にする」
モーダントが笑った。
「そこまで言われると、ずいぶん分かりやすい商売ですな」
「僕はその方が好きです」
◇ ◇ ◇
1月第2週から、ロンドンと主要港で大量の契約が始まった。
ヘイル商会が買ったのは、目についた軍需品すべてではない。長期間保存でき、戦争になれば需要が増え、仮に東インド会社へ売れなくても民間市場へ回せる物を優先した。帆布、麻、索具、木材、鉄製品、工具、毛織物、靴、薬品、塩漬け肉、乾燥豆、船用ビスケットなどである。
火薬と砲弾はすでに相場が動き始めていたため、市場から無理に買い上げるのではなく、既存の製造業者と数量と納期を決めて契約した。
船舶については、モーダントとカートライトが実際に船体を確認した。安値だけを理由に老朽船を押さえることはせず、高価な積荷を載せて長期間航海できる船だけを選んだ。1月18日までに24隻、25日には31隻を確保し、月末には自社船を含めて40隻を超える輸送・護衛能力を、ヘイル商会が直接または契約によって動かせるようになった。
ウェッブの事務所では机だけでは書類を置き切れず、別室にも契約書を収める棚が増えた。
1月28日、ウェッブが集計を持ってきた。
「契約した商品、船舶の借上げ、修理準備などをすべて実行した場合、総額は約470万ポンドです。現時点で実際に支払った前金、保証金、買付代金は約112万ポンド、銀行信用は140万ポンドまで確保しました。残りの多くは納品時払いです」
エドワードは数字を追った。
「東インド会社との契約が取れなければ、残りの支払いはすべてこちらで負担することになるな」
「そうです。会社が買わなくても他へ売ることはできますが、戦争が早く終われば値下がりするでしょうし、売れ残れば倉庫へ積むことになります」
「その場合は100万や200万の損では済まない。それは承知しているよ」
ウェッブはしばらくエドワードを見た。
「それだけの損失も覚悟したうえで、このまま進めるおつもりですか?」
「進める。大きく取るなら、大きく外す危険も引き受けるしかない」
ウェッブはそれ以上止めなかった。
◇ ◇ ◇
1月31日、東インド会社へ提出する提案書が完成した。
内容は、帆布を何反売る、船を何隻貸すという個別契約ではない。輸送船の確保から武装護衛、出航前の整備、修理用品、衣服、薬品、食糧、船具、工具、追加調達までを一括して請け負う内容だった。
予定総額は820万ポンドである。
ウェッブは最後にもう一度数字を見た。
「市場で会社が今から同じ物を個別に集めれば、ベル氏の試算では900万ポンドを超える可能性があります。820万なら会社側にも十分な利点はありますな」
「こちらが先に危険を取った分は、利益としてもらいます」
エドワードは提案書を閉じた。
「1月に押さえた物を、2月の値段で売る。それだけですよ」
翌朝、この提案書は東インド会社へ持ち込まれることになっていた。




