第2話(後編)「敵が1つ増えた」 1780年12月1日~12月31日
12月初旬、エドワードはロンドンへ戻った。
寒さが強まり、朝には通りの水たまりへ薄い氷が張る日もある。テムズでは冬になっても多くの船が動き、甲板では厚い上着を着た水夫たちが冷たい風を受けながら索具を扱っていた。
ウェッブの事務所へ入ると、机には東インド会社関係の帳簿が並んでいる。
「完成祝いの途中で帰ったのは残念だったな。まだ何日も続いたぞ」
「私は2泊しました。それ以上いたら仕事が止まります」
「僕も仕事はあるよ」
「その仕事までハロウデンへ持ち込める方と一緒にしないでください」
ウェッブは帳簿を開いた。
「どうせ最初に票の話を聞かれるでしょうから、先に申し上げます。取締役候補について、あなた方と協議する意思を示している株主は29人、現在使える票は合計79票です」
「16票増えたのか。ずいぶん集まったな」
「完成祝いで知り合った人まで、帰った途端に数字として見るのはどうかと思いますが」
「その数字をまとめたのはウェッブだろう」
「それが私の仕事ですから」
ウェッブはもう1枚の紙を取り出した。
「それからベル氏から返事があります。来年の取締役選挙へ出るそうです」
エドワードは紙を受け取った。
「これでアシュコームさんとベルさんの2人が決まったな。アシュコームさんにはインド、ベルさんには財務を見てもらう。船についてはモーダントさんから外で意見を聞けばいい」
「モーダント氏を随分便利に使いますな」
「本人も取締役になるより船主を続ける方が好きだろう」
次の改選へ出す2人が決まったことで、エドワードは票の目標を100まで引き上げることにした。
「また随分切りのいい数字を選びましたな」
「79より100の方が強そうだろう」
「実際に21票多いですからな」
「なら問題ない」
ウェッブは苦笑しながら次の株主名簿を開いた。
◇ ◇ ◇
12月中旬には、株主だけでなく東インド会社そのものを調べる時間も増えた。
エドワードの書斎には、インドとその周辺を描いた地図が何枚も広げられていた。ベンガル、マドラス、ボンベイだけでなく、各地の港、周辺諸国、フランスやオランダの拠点、海上交通の経路まで確認している。
現地事情の説明役は、長くベンガルで働いたアシュコームだった。
「ロンドンから見れば、どこもインドで片付けてしまいがちですが、ベンガル、マドラス、ボンベイでは事情が違います。南では現地勢力との戦争もあり、同じ会社軍でも置かれている状況は一様ではありません」
アシュコームが地図上を指でたどるのを見ながら、エドワードは兵数より兵站へ興味を示した。
「会社軍には英国兵だけでなく現地兵も大勢いるんですよね。給金や食糧、弾薬は誰が手配しているんです?」
「地域ごとの組織が担います。もちろん宗教や忠誠、土地の事情も無視できませんが、給金が遅れれば兵の士気へ響きますし、食糧や弾薬が届かなければ軍隊として動けません」
「そこは船と同じですね。人数が多くても、食わせられず、撃てず、命令が届かなければ役に立たない」
「伯爵は何でも船に置き換えますな」
「僕にはその方が分かりやすい」
エドワードは別の地図を引き寄せた。
「フランス以外にも、東方で会社と競争している国がありますね。オランダはどの程度の規模なのです?」
アシュコームはインドからセイロン、さらに東南アジア方面へ指を動かした。
「オランダ東インド会社は広い交易網を持っています。英国だけが東方の交易を押さえているわけではありません」
「もし英国とオランダが戦争になれば、こちらでも競争相手では済まなくなる」
「正式に敵国となれば、当然事情は変わるでしょう」
この時点では、英国とオランダ共和国はまだ正式な戦争状態には入っていなかった。しかし両国の関係が悪化していることは、ロンドンでも知られている。
「この地図はしばらく借りていいですか。会社を動かすなら、競争相手が何を持っているかも知っておきたい」
「どうぞ。ただし、そのうち本当にインドへ行くと言い出しそうですな」
「今はまだ地図で十分ですよ」
エドワードはそう言った。
◇ ◇ ◇
数日後、その地図の意味が変わった。
英国とオランダ共和国の関係は、北米との交易や敵国へ流れる物資などをめぐって以前から悪化していた。12月後半、両国は正式に戦争へ入った。
知らせを受けたエドワードは、その日の午後にウェッブの事務所を訪れた。
「今度はオランダまで敵国になった」
「その言い方をすると、また敵商船が増えたと喜んでいるように聞こえますぞ」
「今回は僕が私掠船で追い回す話じゃない。気になっているのは東インド会社の方だ」
エドワードは持ってきた地図を机へ広げた。
「オランダにも東インド会社があり、インド、セイロン、東南アジアに港や商館を持っている。昨日までは競争相手だったが、今日からは敵国の会社になる」
「だから英国の東インド会社に攻めさせるおつもりですか?」
「まだそこまで決めていない。まず、何を持っているのか知らないと話にならないだろう。港、倉庫、要塞、船、商館、それにどこで何を売り買いしているのか。英国側がどこまで把握しているのかも知りたい」
「株主票を集めながら、今度はオランダ東インド会社まで調べるのですか」
「戦争になったんだから仕方ない。アシュコームさんには現地の拠点を、モーダントさんにはオランダ船を聞いてみたい。ベルさんには会社の戦時資金や信用について分かる人間を紹介してもらおう」
ウェッブは地図を見下ろした。
「3人とも、取締役になる前から働かされますな」
「仲間なんだから、知っていることを聞くだけだよ。酒くらいは出す」
「またハロウデンで?」
「次は春だとアメリアが言っていた」
「もう日程まで決められているのですか?」
「そこまでは聞いていない。ただ、僕の意見を聞かずに決まる可能性は高いな」
ウェッブは声を上げた。
エドワードも笑ったが、目は地図の上にあった。
オランダ東インド会社は商船だけでなく、港や倉庫、広い交易路まで持っている。そこで扱われる商品と金額を調べれば、英国の東インド会社にとって戦争がどの程度の危険になり、逆にどれほどの商機になり得るのかも見えてくる。
エドワードは地図上のオランダ拠点へ印を付けた。
◇ ◇ ◇
クリスマスはハロウデンで過ごした。
11月の完成祝いとは違い、今回は東インド会社の株主を集めるための会ではない。父リチャードと母アンが滞在し、姉キャサリン夫妻と妹エリザベス夫妻も日を合わせて訪れた。
大食堂には冬の料理が並び、暖炉では薪が燃えている。外では冷たい風が吹いていたが、本邸の中には朝から家族の声が絶えなかった。
食後、エドワードは父とビリヤードを始めた。
「いつの間にこんなものを覚えたんだ?」
リチャードは構えながら尋ねた。
「最近ですよ。客に負けたので練習しました」
「お前が遊びの練習までするとはな。昔は金のことばかり考えていたのに」
「父上の借金を返す必要がありましたからね」
「また私のせいにするのか」
「せいにはしていません。きっかけです」
リチャードが球を突いたが、狙いは外れた。
「今は借金もない。この家も船も土地も金もある。それでも働き続けるつもりか?」
エドワードは次の球を狙った。
「もちろんです。船を動かすのも、人を集めるのも、土地を良くするのも面白いですから。最近はカードとビリヤードまで増えました」
「金を稼ぐことだけが面白いわけでもないのか」
「最初から、そのつもりだったのかもしれません。稼がないと何もできなかっただけですよ」
エドワードの球が穴へ落ちた。
リチャードはキューを持ったまま、少し離れた場所へ目をやった。アメリアが息子を抱き、母アンや姉妹と話している。
「では女遊びも覚えたらどうだ?」
「妻がいます」
「23歳にしては真面目だな」
「父上を見て育ちましたから」
「結局そこへ戻るのか」
2人とも吹き出した。
しばらくして、リチャードが次の勝負を申し込んだ。
「今度は少しくらい賭けるか?」
「5ギニーなら」
「安いな。さっきまで何百万ポンドの会社の話をしている男とは思えん」
「今は遊んでいるんですよ。それに父上から大金を取ったところで、家族の財布の中を移動するだけでしょう」
「やっぱり計算はしているじゃないか」
リチャードは笑いながら球を並べ直した。
暖炉のそばではアメリアたちの話が続き、息子の声も時折聞こえてくる。
「今度は私が先だ」
リチャードがキューを構えた。
「どうぞ。さっき負けた分を取り返してください」
「言ったな。5ギニーはもらうぞ」
「取れるものなら」
年の最後の勝負が始まった。




