第9話 魔法使い様は、勘定が合わないと言う
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第9話 魔法使い様は、勘定が合わないと言う
オーガ討伐から三日、俺はギルドの資料室で埃をかぶった魔物図鑑をめくっていた。特にやることがあったわけではない。ただ、あの日の戦闘で見えた「癖」の正体を、後付けでもいいから言葉にしておきたかった。
「イチさん、こんなところで何を」
声をかけてきたのはフィーネだった。フードを外した素顔を見るのは、これが初めてかもしれない。思ったより幼い顔立ちをしていた。
「暇つぶしだよ。お前は?」
「同じです。資料室は静かなので」
彼女は俺の対面の椅子に、断りもなく腰を下ろした。ヒカリとはまた違う種類の距離の詰め方だった。
「聞きたいことがあります」
単刀直入な切り出しだった。
「オーガ戦での二回目の指示、あれはどうやって組み立てたんですか」
「勘だよ」
「勘、で片付くには精度が高すぎます」
フィーネは眼鏡の位置を直しながら、淡々と続けた。
「一回目の指示は外れました。でも二回目は、オーガの踏み込みの変化を的確に読んだうえでの狙いでした。あの短い時間で、そこまで精度を上げられる根拠が分かりません」
「経験だよ、経験。あの手の魔物は前にも見たことがあってな」
嘘ではなかったが、全部でもなかった。前世の記憶からの類推だと言えるはずもない。フィーネはしばらく黙って俺を見ていたが、やがて小さく息をついた。
「イチさんは、いつもそうやってはぐらかしますね」
「別にはぐらかしてるわけじゃ」
「勘定が合わないんです」
唐突な言葉だった。
「勘定?」
「イチさんのランクはCです。戦闘力も身体能力も並以下。それなのに、群れ討伐でもオーガ戦でも、決定的な局面で必ず正しい指示を出している。個人の観察力だけで説明するには、的中率が高すぎます」
俺は答えに詰まった。フィーネの言葉には、感情の圧がまるでない代わりに、逃げ場を塞ぐような正確さがあった。
「式の答えが合わないとき、大抵は前提が間違っています。イチさんのランクがCだという前提そのものが、何かの見落としを含んでいるのかもしれません」
「買いかぶりすぎだよ。俺はただの、Cランクの索敵係だ」
「そう思っているのは、イチさんだけかもしれません」
その一言は、意図せずかなり深いところまで届いた。俺は何も言えなくなって、視線を図鑑に戻すふりをした。
「まあ、いいです。式は逃げませんから」
「式?」
「解くべき問題、という意味です。今すぐでなくても、いつか答えは出ます。ただ一つだけ言っておくと」
フィーネはそこで初めて、わずかに口の端を上げた。感情表現の乏しい彼女にしては珍しい笑い方だった。
「その式を解いたとき、一番驚くのは、たぶんイチさん自身だと思いますよ」
言葉の意味を掴みかねているうちに、彼女は静かに立ち上がって資料室を出て行こうとした。扉の手前で一度だけ足を止め、フードを被り直しながら、こちらを振り返らずに付け加えた。
「答えが出るまで、待つのは苦になりません。式を解く過程のほうが、たいてい面白いので」
それだけ言うと、今度こそ本当に扉の向こうへ消えた。
残された俺は、図鑑のページをめくる手を止めたまま、しばらくその場に座り込んでいた。式が指しているものが何なのか、直感の正体なのか、それとも別の何かなのか、判然としない。ただ、フィーネという女は、ヒカリとはまるで違う角度から、俺という人間に近づいてきている。それだけは確かだった。
窓の外はもう夕暮れで、資料室の埃っぽい空気に橙色の光が斜めに差し込んでいる。誰もいなくなった部屋で、俺は一人、小さく呟いた。
「こわいな、それ」
何が怖いのか、自分でもうまく説明はつかなかった。
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