第8話 勇者様の隣は、俺の席じゃない
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第8話 勇者様の隣は、俺の席じゃない
東の街道は、討伐依頼の集合場所にしては珍しく整った道だった。石畳の端に立って、俺たちは警備隊の詰所から借りてきた地図を広げていた。
「目撃場所はこの辺り、街道を外れた岩場です」
フィーネが地図の一点を指でなぞる。彼女の指先は迷いなく動いた。
「単体行動のオーガなら、縄張りの中心にほぼ確実にいます。移動範囲は広くありません」
「なら話は早い。行って、殴って、終わりだ」
ガルドが大剣を担ぎ直しながら笑ったが、その笑い方には、いつもよりわずかに硬さがあった。単体でパーティーを壊滅させた記録がある魔物だ、という言葉を、彼自身が誰よりも重く受け止めているのが分かった。
「オーガの拳は、並の防具ごと人間を潰す威力があります。距離を取って戦うのが定石です」
フィーネの説明に、ヒカリが頷く。
「分かりました。私が前で受けます」
「無理はするなよ」
俺がそう言うと、ヒカリは横目でこちらを見て、少し笑った。市場での一件から数日、彼女は表面上いつも通りに振る舞っていたが、時々こうして俺のほうに視線を寄越す回数が増えた気がした。気のせいだと思うことにしている。
岩場に着くと、案の定、巨体がそこにいた。
背丈は人間の二倍近く、灰色の肌に無数の傷跡が刻まれている。手にした棍棒は木ではなく、折れた鉄柱のようなものを削り出したものだった。目が合った瞬間、その巨体がこちらに向き直った。
「来るぞ!」
ガルドの叫びと同時に、オーガが地面を踏み砕くようにして突進してきた。
ヒカリが盾のように前に出て、その一撃を剣で受け流す。だが受け流したはずの拳の余波だけで、彼女の体が数歩後ろに押し戻された。オーガの膂力は、想定していた以上だった。
「フィーネ、援護!」
俺の声に、フィーネの詠唱が応じる。地面から生えた氷の柱がオーガの脚を拘束したが、巨体はそれごと引き千切って前進を続けた。
「拘束が保ちません」
「くそ、硬すぎる!」
ガルドが横から大剣を叩きつけるが、刃はオーガの肌の表面を薄く裂いただけで、致命傷には程遠かった。俺はその只中で、剣も魔法も持たないまま、目だけを動かし続けていた。
群れのときとは、違う。相手はたった一体だが、その一体の圧が、三十匹のゴブリンよりもはるかに重い。攻撃の起点、拳の軌道、踏み込みの間合い。観察できる材料は多いはずなのに、まとまらない。
俺の中で組み立てていた作戦は、単純だった。オーガの動きにはわずかな癖がある。右の拳を振るう直前、必ず半歩だけ左足を軸に体を捻る。そこを狙って攻撃を集中させれば、隙を突ける。
だが、実際に戦況は俺の想定どおりには動かなかった。ガルドが痺れを切らして前に出過ぎ、オーガの間合いに踏み込んでしまう。
「ガルド、下がれ!」
叫んだが、遅かった。オーガの拳がガルドの肩を掠め、大柄な体が横倒しに吹き飛ぶ。
「ガルドさん!」
クレアの光がすぐに飛ぶが、それでも肩からは血が滲んでいた。作戦どおりに動く敵なんて、物語の中にしかいない。当たり前のことを、俺は今さら思い知らされていた。
「イチ、悪い、俺のミスだ」
ガルドが立ち上がりながら苦い顔をする。
「いや、俺の指示が甘かった。もう一回、組み立て直す」
俺は素早く視線を巡らせた。オーガの左足の踏み込みが、さっきよりわずかに深くなっている。焦りか、あるいは苛立ちか。動きが単調になってきていた。
「ヒカリ、次にあいつが拳を振るう瞬間、左の脇腹が完全に開く。一撃だけ、そこに全部乗せろ」
「分かりました」
「フィーネ、足元をもう一度凍らせろ。今度は一瞬でいい、あいつの意識をそっちに向けるだけでいい」
「了解です」
フィーネの氷がオーガの足元を掠めた瞬間、巨体の意識がわずかに逸れた。その隙に、ヒカリが地を蹴った。
右の拳が振り上がる。左足が軸を作る。開いた脇腹。
剣が一閃した。
オーガの巨体が、地響きを立てて崩れ落ちた。
静寂が戻ってくる。ガルドの肩の傷はクレアの治癒でほとんど塞がっていたが、痛みの名残に顔をしかめている。
「勝ったな」
ガルドがそう呟いた声には、いつもの豪快さが薄く戻っていた。
「イチさんの二回目の指示、完璧でした」
「一回目は外したけどな」
自嘲めいた口調で返すと、ヒカリが真顔で首を振った。
「一回目があったから、二回目が当たったんです」
その言い方が妙に真剣で、俺は少し面食らった。何か言い返そうとしたが、うまい言葉が見つからず、結局「そうかよ」とだけ返した。
帰り道、ガルドが上機嫌に今日の武勇伝を語り始める。その隣を歩くヒカリの位置が、いつもより俺に近かった。並んで歩くうち、彼女の肩が俺の腕に軽く触れて、そのままそこに留まった。
「あの……」
「ん?」
「今日、庇ってくれて、ありがとうございました」
「庇った覚えはねえよ。俺は突っ立ってただけだ」
「違います。ちゃんと分かってます」
ヒカリはそう言いかけて、何かに気づいたように急に口を噤んだ。言いかけた言葉の続きを、俺は待った。だが彼女は結局それ以上を続けず、ただ小さく笑って、少しだけ俺から距離を取った。隣は、俺の席じゃない。誰に言われたわけでもないのに、そんな言葉が頭の中に浮かんで、俺はそれを振り払うように前を向いて歩き続けた。
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