第57話 物語の外側を、知らない王
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第57話 物語の外側を、知らない王
境界を越えてから三日、連合軍は、魔王城と呼ばれる黒い尖塔の連なる城塞の手前まで進軍した。空はさらに暗く、城の周囲だけ、夜のような闇に包まれている。
「威力偵察を行う。第一陣、前へ」
部隊長格の号令で、選抜された数百名が前進を始めた。俺たちもその中に含まれていた。
「フィーネ、探知は」
「城内、無数の反応があります。ただ中心の一つが、他とは比較にならないほど巨大です」
フィーネの声には、これまでにない緊張があった。
城門に近づいたところで突然、周囲の空気が変わった。地面から黒い靄が立ち上り、視界を覆っていく。
「散開!」
部隊長の号令に、隊列が広がる。だが靄はすぐに晴れ、その中心に一つの人影が立っていた。
黒い装束を纏った青年のような姿だった。表情は静かで、これまで戦ってきたどの敵とも違う、穏やかささえ感じさせる佇まいだった。
「よく来た」
声は思いのほか静かだった。
「魔王、か」
ガルドが大剣を構えながら問う。
「その呼び名で構わない」
魔王は隊列を見渡しながら静かに続けた。
「多くの命を賭けてここまで来たのだろう。その覚悟には敬意を払う」
「敵に敬意を払われても嬉しくねえな」
「かもしれない。だが他に言葉が見つからない」
その受け答えには、これまでの幹部たちにはなかった奇妙な理知が滲んでいた。
「イチさん」
ヒカリが小声で呼ぶ。
「何か見えますか」
俺は魔王の全身に目を走らせた。予兆、癖、動きの型。だがどれだけ観察しても、これまで培ってきたどの型にも当てはまるものが見つからなかった。
「分からない。まだ何も」
正直にそう答えるしかなかった。
「お前たちの中に、他とは違う気配を持つ者がいるな」
魔王の視線が不意に俺の方へ向いた。心臓が跳ねる。
「何も持ってない、ただの索敵担当だ」
「そうか。だがお前の目は、他の誰とも違う動きをしている」
その指摘に、フィーネとヒカリが緊張した様子で俺の隣に寄った。
「何が言いたい」
「特別な意味はない。ただ観察している者を観察し返しただけだ」
魔王はそう言うと、ゆっくりと踵を返した。
「今日のところは、これで引く。お前たちの覚悟を測るには十分だった」
「待て、勝負はまだ」
ガルドが叫ぶが、魔王の姿は再び黒い靄に包まれ、瞬く間に城の奥へと消えていった。
「……逃げた、のか」
誰かの声に隊列がざわめく。
「逃げたわけじゃない。あれは様子見だ」
俺は呟いた。
「様子見って、なんのための」
「分からない。だが俺たちの手の内を見て、何かを判断しようとしてる」
その分析に、フィーネが険しい顔で頷いた。
「魔王本体の権能、まだ何一つ分かっていません。攻撃らしい攻撃も一度もありませんでした」
「今日は様子見同士だったってことか」
ガルドが渋い顔をする。
その夜、野営地で吟遊詩人が珍しく静かに俺のもとへやってきた。
「今日の魔王、どう思いましたか」
「分からない、が今のところの答えだ」
「私には少し違って見えました」
男は焚き火を見つめながら続けた。
「あの王は、どこか寂しそうでした。敵を前にしているというより、誰かに話しかけたがっているような」
その観察に、俺は少し驚いた。
「あんたにも、そう見えたか」
「ええ。歌を作る者の勘、というやつです。的中率は自分でもあまり信用していませんが」
男は苦笑した。
「イチさん。あなたも何か感じましたか」
俺はしばらく考えてから答えた。
「あいつは、俺たちを敵として見てない気がする。もっと別の何かとして見てる」
「別の何か、とは」
「分からない。ただ次に会うときは、たぶん今日みたいな様子見じゃ済まない」
その言葉に、吟遊詩人は静かに頷いた。
「歌う準備をしておきます。どんな結末になっても記録できるように」
男はそう言い残し、自分の天幕へ戻っていった。
俺は焚き火を見つめながら、今日見た魔王の姿を思い返していた。敵意はあった。だが、それ以上に強く感じたのは、何か根源的な孤独だった。物語の型で言えば絶対的な悪役のはずだ。だが、目の前で見たものは、その型にきれいには収まらなかった。
その違和感の正体を掴めないまま、夜はゆっくりと更けていった。城の奥、まだ姿を隠したままの王が次に何を見せてくるのか。誰もその答えをまだ知らなかった。
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