第5話 勇者様は、今日も強い
お読みいただきありがとうございます。
第5話 勇者様は、今日も強い
統率個体が崩れ落ちてからの数分は、あっという間だった。
主を失ったゴブリンの群れは統制もへったくれもなく、ガルドの大剣とフィーネの炎に次々と薙ぎ倒されていく。抵抗らしい抵抗もないまま、森は元の静けさを取り戻しつつあった。最後の一匹が逃げ出す背中を見送って、ガルドが大剣を地面に突き立てた。
「終わったな。ヒカリ、お前あの跳び方はなんだ。俺には真似できねえ」
「フィーネさんの風があったからです」
「いや、その風に乗るタイミングだよ。あんな一瞬の隙間、俺なら間違いなく巻き込まれてる」
ガルドの声は、遠くまで届く大きさで響いた。豪快な称賛だった。裏表のない、まっすぐな賛辞だ。
「風の道自体は単純な術式です」
フィーネが淡々と付け加える。感情の起伏こそ薄いが、その言葉選びには的確さがあった。
「難しかったのは、狙いを外さず一撃で仕留めた判断のほうです。あの位置取りから、あの一瞬で急所に届かせるのは、並の反応速度ではありません」
「フィーネさんまで、そんな」
「褒めてるんです」
クレアが両手を合わせて、目を細めた。
「本当にすごいです、ヒカリさん。今日も無事に終わって、みんな怪我もなくて」
豪快な称賛、分析的な称賛、穏やかな称賛。温度も言葉選びもまるで違うのに、三本の視線は同じ一点にだけ集まって、そこから一度も逸れなかった。
俺はその輪から少し外れた位置に立って、崩れた岩の欠片を蹴りながらその光景を眺めていた。誰も、こちらを見ない。当然だった。剣を振ったのはヒカリで、風を通したのはフィーネで、俺がやったことといえば、遠くから的の位置と一瞬のタイミングを言葉にして渡しただけだ。手柄という形になるものを、俺は最初から何も持っていない。
それでいい。
その言葉を、いつものように胸の中で繰り返そうとした。この世界にステータス画面なんてものが本当にあったなら、俺の欄はきっと空白のままだろう。手柄の項目に何も刻まれない代わりに、責められることもない。前世でよく見た経験値バーが、もしこの体にも仕込まれていたら、俺のそれだけは今日も一ミリも動いていないはずだ。だが今日はなぜか、その先にわずかな引っかかりが残った。届けたのは言葉だけだったが、あの一撃が的を外していたら、群れの何倍もの数がここに押し寄せていたはずだ。それでも功績はゼロで数えられる。ゼロというのは、案外きれいな数字だ。何も足さないし、何も引かない。だから居心地がいいはずだったのに、今日に限って少しだけ、その平らな感触がざらついて感じられた。
考えるのをやめて、俺は荷物をまとめ始めた。深く考えたところで、答えが出る種類の話ではない。
「イチさん」
名前を呼ばれて顔を上げると、ヒカリがすぐそばに立っていた。三人はまだ戦利品の確認や周囲の警戒で少し離れた場所にいる。ちょうど、彼女たちの視線が届かない角度だった。
ヒカリは声には出さず、口の形だけで何かを伝えてきた。
ありがとうございます。
そう読み取れた。確信は持てなかったが、たぶん間違っていない。三人に聞こえるように言うつもりなら、普通に声を出せばいい。それをしなかったということは、これは俺にだけ向けられた言葉だった。
「……別に、大したことしてねえよ」
小さくそう返すと、ヒカリは首を横に振って、それからいつもの調子でにっこり笑った。何事もなかったかのように三人のほうへ駆けていく後ろ姿を見送りながら、俺は自分の頬のあたりがやけに熱いことに気づいた。
森を歩いてきた疲労だろう。そう結論づけて、俺はそれ以上その熱について考えるのをやめた。
帰り道、ガルドは討伐の手応えを上機嫌に語り続け、フィーネは時折こちらへ視線を寄越しては何かを考えるような顔をしていた。クレアはヒカリの隣で、今日の出来事を楽しそうに振り返っている。俺は最後尾で、ただその背中を眺めながら歩いた。
誰にも見られていない場所で、誰かの勝利を支える。それが俺のやり方で、それでいいはずだった。だが今日だけは、その「はずだった」の部分に、小さな穴がひとつ開いたような気がしていた。穴の正体を確かめる勇気は、今の俺にはまだない。
お読みいただきありがとうございます。続きも楽しんでいただければ嬉しいです。
ブックマーク・評価・感想をいただけると、今後の励みになります。




