第46話 正しく認める、という誘惑
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第46話 正しく認める、という誘惑
街外れの旧塔は、かつて見張り台として使われていたらしい、崩れかけた石造りの建物だった。月明かりの下、その最上階に、あの男が一人で立っていた。
「よくいらっしゃいました」
男は穏やかに一礼した。
「今夜は、腹を割って話したいと思っています」
「単刀直入に言え。あんた、何者だ」
俺の問いに、男は薄く笑った。
「情報を扱う仕事をしている者、とだけ言っておきましょう。誰が何を成し遂げ、誰がその功績を持っていくのか。そういう歪みを、私は長年見てきました」
「それで」
「あなたのような人材を、私は初めて見ました。メルジェを退け、グロズを退け、それでいて名前一つ表に出さない。並の欲がないのか、あるいは途方もなく深い理由があるのか」
男は塔の縁に近づき、街の灯りを見下ろした。
「私は、あなたに正当な評価を差し上げたい。あなたの功績を然るべき形で世に示す力が私にはあります。国王への直接の推挙、貴族位、資金。あなたが望むものは大抵、私が用意できます」
「見返りは」
「察しがいい。ええ、対価はいただきます。とはいえ、大したことではありません。あなたの持つ観察眼と判断力を、時折、私のために使っていただく。それだけです」
その提案には、確かな重みがあった。名前も功績も、望めば手に入る。半年前の俺なら、想像すらしなかった話だった。
「あんたの下で働け、ってことか」
「働くというより、協力関係です。私はあなたの価値を正しく認めます。あなたはその評価に見合う働きをする。対等な取引です」
「正しく認める、か」
俺はその言葉を、口の中で繰り返した。
「今の世界は、あなたを正しく評価していません。手柄はすべて勇者様のもの。あなたの名は記録の片隅にすら残らない。それはあなたにとって本当に望ましい状態でしょうか」
男の声には、こちらの心の柔らかい部分を正確に狙う響きがあった。
「今のままでいい、と本気で思っていますか。誰かに正しく見られたい、認められたいという願いは誰の心にもあるものです」
その言葉に、俺は一瞬言葉に詰まった。図星だった。名前が出ないことに慣れたつもりでも、心のどこかで認められたいという願いが消えたことは一度もなかった。
「魅力的な話だ」
「でしょう」
「だが、断る」
その即答に、男は意外そうに片眉を上げた。
「理由を、聞いても」
「あんたが認めてくれる評価は、あんたの都合のいい俺の姿にだけ与えられる評価だ。俺が誰かの隣で見つけてきたものを、あんたを通した形でしか示せなくなる」
「それの何が問題です」
「今の俺の評価は不完全かもしれない。だが、それは俺が選んで積み上げてきたものだ。ヒカリが証言してくれたことも、フィーネが式を組んでくれたことも、ガルドが気づいてくれたことも、全部あんたの手を借りずに手に入れたものだ」
自分でも意外なほど、迷いのない言葉が出ていた。
「あんたの取引に乗った瞬間、俺の評価は、俺のものじゃなくなる。あんたの道具としての評価になる」
男はしばらく沈黙していたが、やがて小さく笑った。
「見事な回答です。ですが、いずれ考えが変わるかもしれません。孤独な承認は、いつか人を疲れさせるものです」
「疲れたら、また断る」
「頑固ですね」
「頑固で結構だ」
男は肩をすくめて、一礼した。
「今夜のところは、これで失礼します。あなたのような人材を諦めるつもりは、まだありませんが」
男はそう言い残し、塔の階段を降りていった。その足音が完全に消えるまで、俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。
塔の下、街灯の陰から、見慣れた人影が駆け寄ってくるのが見えた。
「イチさん」
ヒカリだった。フィーネとガルドも、少し遅れて姿を見せる。
「聞いてたのか」
「途中からです。ちゃんと、断ってくれましたね」
ヒカリの声には、隠しきれない安堵があった。
「当たり前だろ。俺の評価は、俺のものだ」
その言葉に、ヒカリは目を潤ませながら笑った。
「それ、さっき塔の上で言ってたのと、ほとんど同じですね」
「聞いてたなら、隠れて聞くな」
「心配だったんです、当然です」
軽口を交わしながら、俺は月明かりの下の塔を振り返った。誘惑は、確かに魅力的だった。だが、断った今、胸の中に残っているのは後悔ではなく、静かな確信だけだった。
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