第32話 王都へ向かう馬車の、空いた一席
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第32話 王都へ向かう馬車の、空いた一席
王都への出発は、三日後と決まった。謁見に随行できるのは、ギルドの規定でパーティーの代表者のみ。つまり、ヒカリ一人だった。
「五人で行けないんですか」
クレアが不満げに尋ねると、ギルドマスターは申し訳なさそうに首を振った。
「王都の格式でな。随行は最小限、というのが慣例だ。護衛は王都側で用意される」
その説明に、ヒカリの顔が曇った。
「イチさんたちと離れて、私一人で行くんですか」
「一人じゃない。王都の護衛がつく」
「そういう意味じゃありません」
ヒカリは珍しく強い口調でそう言うと、それ以上何も言わずに黙り込んだ。
出発前夜、宿の食堂で簡単な壮行会が開かれた。前回のような凝った席ではなく、いつもの隅の席に少しだけ料理が増えた程度の、ささやかな集まりだった。
「王都かあ。俺なんか一生縁がないと思ってた場所だな」
ガルドが感慨深げに言う。
「弟が生きてたら、行ってみたいって言ってたかもな。田舎から出たことのない奴だったから」
その言葉に、誰も茶々を入れなかった。ガルドが自分から弟の話をするのは、これが初めてだった。
「ヒカリさん、王都でも堂々としててください。イチさんの教えた通貨の数え方、忘れないでくださいね」
クレアがからかうように言うと、ヒカリは少しだけ笑った。
「忘れません。あれのおかげで、露店で騙されなくなりましたから」
「王都の作法も、俺は教えられないけどな」
俺が言うと、ヒカリはこちらを見て、少し寂しそうに笑った。
「教えてもらえなくても、大丈夫です。でも」
「でも」
「一人で王都の空気を吸うの、初めてで、少し心細いです」
その言葉には、討伐の緊張とはまた違う種類の不安があった。剣を持って戦う不安ではなく、誰も知らない場所で一人だけの言葉で立たなければいけない不安だった。
「大丈夫だ。お前はもう、露店で騙されてた頃のお前じゃない」
「イチさんが、そう言うなら」
ヒカリはそう言って、少しだけ表情を和らげた。
翌朝、王都へ向かう馬車の前で五人が別れの挨拶を交わした。護衛の騎士たちが並ぶ中、ヒカリは荷物を積み込みながら、ふと馬車の中を覗き込んだ。
「一席、空いてますね」
「随行者は一人、って話だっただろ」
「そうなんですけど」
ヒカリは荷物の隙間、本来は誰も座らないはずの席を見つめて、小さく笑った。
「ここに、イチさんが座ってるつもりで行きます」
その言い方に、俺は何と返せばいいか分からなかった。
「気のせいだろ、それは」
「気のせいでいいです。私が、そう思って乗るので」
馬車が動き出す。窓越しに、ヒカリが小さく手を振った。俺は列の後ろからではなく、今日は正面からその姿を見送った。
馬車が見えなくなってから、フィーネが隣で呟いた。
「イチさん、行かなくてよかったんですか」
「行けるわけないだろ、随行者は一人だって決まってる」
「規定はそうですが、こっそり同行する方法くらい探せばあったかもしれません」
「無茶言うな」
だが、フィーネの言葉に俺は少し引っかかりを覚えた。行けない理由を規定のせいにするのは簡単だった。だが本当は、王都という場所で自分の名前がどう扱われるのか、少し怖かったのかもしれない。
その日の夕方、宿の前で見覚えのある外套の男とすれ違った。数日前、井戸端で声をかけてきた男だった。
「勇者様、王都へ発たれましたね」
「あんたには関係ないだろ」
「関係、ないでしょうか」
男は薄く笑って、こちらを見た。
「王都には、様々な思惑を持つ人間が集まります。勇者様お一人で、大丈夫でしょうか」
「何が言いたい」
「いえ、何も。ただ、あなたが隣にいない王都というのは、少し危ういのではないか、と思っただけです」
男はそう言うと、一礼して去っていった。その言葉には、脅しでも同情でもない何か別の温度があった。まるで、こちらの弱点を正確に測ってその場所にだけ触れていくような話し方だった。
部屋に戻って、窓の外を見上げる。王都へ続く街道の方角に、夕焼けが赤く染まっていた。ヒカリの乗った馬車は、今頃どのあたりを進んでいるだろうか。
空いた一席のことを思い出す。座ってもいない席に自分がいるつもりで進んでいく彼女の言葉が、まだ耳に残っていた。前世の物語なら、こういう離れ離れの場面はたいてい何か事件の伏線として描かれる。だが今夜は、ただ純粋に隣にいない誰かのことを考えるだけの夜であってほしいと、俺は柄にもなく願っていた。
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