第28話 谷底に降りる、五つの断片
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第28話 谷底に降りる、五つの断片
拠点攻略の日が来た。夜明け前、部隊は三班に分かれて谷へと降りていった。何もかもが同時に進んでいたその朝のことを、俺はまだ順序立てては思い出せない。ただ、いくつかの断片だけが今もはっきりと残っている。
◆
谷を降り始めてすぐ、先頭を歩く斥候班の足元で地面がふいに割れた。悲鳴が上がり、崩れた土砂の下から手が伸びる。ヒカリが跳んでその手を掴んだ。
「大丈夫、しっかり掴んでてください」
引き上げられた斥候の顔は土まみれで、目だけが恐怖に見開かれていた。
「地面が、崩れる音がしなかった……!」
その言葉に、俺の背筋が冷えた。崩れる前触れの音がない崩落は、自然現象ではあり得ない。
◆
谷の中腹、岩の隙間を進んでいたとき、フィーネが不意に足を止めた。
「イチさん、あの岩、見覚えありませんか」
「いや」
「私はあります。三十分前に通った岩と同じ形です」
言われて振り返ると、確かに同じ亀裂の入った岩が進行方向にも横たわっていた。
「同じ場所を、ぐるぐる歩かされてる」
「たぶん。空間そのものに細工がされています」
フィーネが計算板を取り出し、何かを素早く書きつける。俺はその横で周囲の地面の傾斜と風の流れの方向だけを頼りに、正しい進行方向を探した。
「風は谷底から吹き上げてる。傾斜が緩くなってる方向へ進めば、たぶん本物の道だ」
「賭けますか」
「賭けるしかない」
二人でその方角を示すと、部隊がそちらへ動き出した。三度目の亀裂の岩は、二度と現れなかった。
◆
谷底が近づくにつれ、あちこちから悲鳴に似た声が聞こえ始めた。誰かの名を呼ぶ声、助けを求める声。だが姿はどこにもない。
「幻聴か」
ガルドが大剣を構えたまま、低く唸った。
「聞こえてるのは、俺たちの記憶の中から拾われた声かもしれない」
俺が言うと、ガルドの表情が強張った。
「弟の声は、聞こえてない」
「なら、まだ大丈夫だ。狙われてない証拠だろ」
「そうだといいがな」
ガルドは前を向いたまま、それ以上何も言わなかった。だがその横顔から、さっきまでの動揺は少しずつ消えていった。
◆
谷底にほど近い場所で、クレアが不意に立ち止まった。視線の先、霧の向こうに小さな村のような輪郭がぼんやりと浮かび上がっている。
「あれ、私の村に……」
言いかけたクレアの手を、ヒカリが強く握った。
「見なくていいです。私が見ます」
「でも」
「クレアさんの目には、映さなくていいです」
ヒカリはそう言って、クレアの視界を遮るように前に立った。半年前、誰かを庇うことにためらいのなかった少女は、今では庇い方まで、こんなに丁寧になっている。
◆
最後の断片は、谷底の入口に立ったときのものだ。岩壁の裂け目の奥、松明の灯りとは違う紫色の光がゆらゆらと揺れているのが見えた。
「あれが、本拠点か」
部隊長の声が、緊張で低くなる。
「フィーネ殿、探知は」
「反応、一つ。ただし規模は、これまで見たどの反応よりも大きいです」
フィーネの声が、初めて明確な怯えを含んでいた。
「メルジェ、本人でしょう」
その名前が、谷の空気を一段と重くした。ここまでの道のりは、崩れる地面も、繰り返す岩も、聞こえない声も、すべて前哨戦に過ぎなかったのだと、誰もが同時に理解していた。
俺はもう一度、五つの断片を頭の中で並べ直した。崩落、繰り返す道、幻聴、故郷の景色、そして紫の光。バラバラに見えて、一つだけ共通していることがある。どれも視覚か聴覚か記憶のどれかに確実に付け入ってきていた。相手はこちらの五感を一つずつ丁寧に試している。まるで、この先にある本番のための下準備であるかのように。
「行くぞ」
部隊長の号令に、二十三名が同時に足を踏み出した。谷底の光は、近づくほどに強さを増していく。まだ何も終わっていない。むしろ、ここからが本当の始まりだった。
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