第27話 斥候の手記と、まだ声にならない策
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第27話 斥候の手記と、まだ声にならない策
山岳地帯に入って二日目の夜、野営地に一人の斥候が息を切らして駆け込んできた。
「拠点付近の偵察、戻りました。報告書、こちらに」
部隊長がそれを受け取り、焚き火のそばで広げる。俺たちも自然と、その周りに集まった。
「拠点は谷を挟んだ岩山の中腹。入口は一つしか確認できず。ただし――」
部隊長が読み上げる声が、途中で止まる。手記の文字は、途中から明らかに乱れていた。
「入口を確認したのち、周辺で複数の人影を目撃。声をかけたところ返事なし。近づくと姿が消失。その後、谷底に見覚えのある光景が広がっているのを確認。故郷の村と酷似。判断つかず、撤収」
「故郷の村、って」
クレアが不安げに呟く。
「この斥候の生まれ故郷が、谷底に見えた、ってことか」
ガルドが低い声で言う。
「モルカ村と同じ手口ですね。ただ、今回は個人の記憶を狙い撃ちにしている点が違います」
フィーネが手記の文字を目で追いながら、抑えた声で言った。
「モルカ村は、見る側の心理を計算して作った景色でした。今回は、狙った相手の記憶そのものを引き出している可能性があります」
「記憶を、直接読んでるってことか」
「断定はできません。ただ、手記のこの部分――『判断つかず』という表現。訓練された斥候が、こんな曖昧な言葉を報告書に残すのは異例です」
フィーネは手記を丁寧に机代わりの木箱に置いた。
「相手にとって都合の良い記憶を見せられると、人はその真偽を疑う力そのものが鈍る。モルカ村のときより、性質が悪いです」
部隊長が腕を組んで唸った。
「幻術対策の要となる索敵担当、意見を聞かせてくれ」
視線が俺に集まる。名簿に名前のない支援要員に、部隊長が正面から意見を求めるのは初めてのことだった。
「記憶を材料にされると、目で見た違和感だけじゃ判断できなくなる。動きの起点を見る、ってやり方も、故郷の景色相手じゃ機能しない可能性が高い」
「では、どうする」
「分からない。今の時点では」
正直に答えると、部隊長は特に落胆した様子も見せず、小さく頷いた。
「分からないことを分からないと言えるのは、悪いことじゃない」
その一言に、俺は少し驚いた。前世の物語なら、こういう場面の指揮官は、大抵、分からないと言った人間を叱責する役どころだ。目の前の男は、その型をなぞらなかった。
「今夜のところは、各自休め。策は明日までに練る」
部隊長がそう言って、資料をまとめ始めた。
解散の直前、ヒカリが俺の袖を軽く引いた。
「イチさん、無理して答えを急がなくていいですから」
「急いでるつもりはないけどな」
「分からないって、はっきり言えるの、私は好きです。分かった振りをされるより、ずっと信用できます」
ヒカリはそう言うと、部隊長の後ろに続いて自分のテントへ戻っていった。その背中を見送ってから、俺はフィーネの方に向き直った。
解散のあと、フィーネが計算板を膝に置いたまま、焚き火の傍らに残っていた。俺もその隣に腰を下ろす。
「フィーネ、何か考えてるのか」
「記憶を材料にする幻術、というのが引っかかっています」
フィーネはページをめくりながら答えた。
「見せられる景色そのものを疑うのが難しいなら、景色以外の部分で真偽を測る必要があります。たとえば、匂い、音の反響、地面の硬さ。記憶には残りにくい、些細な感覚の部分です」
「五感の中で、一番後回しにされる部分ってことか」
「はい。故郷の景色を再現できても、その日の匂いまで正確に再現するのは、術者にとっても難しいはずです」
俺はその話を聞きながら、頭の中で東の森とモルカ村の記憶を並べてみた。どちらも、視覚以外の違和感が先に来ていた。金属質の臭気、虫の声の不在。フィーネの理屈と、今までの俺の勘は、根っこの部分で繋がっている気がした。
「それ、明日の作戦会議で言えるか」
「言えます。ただ、証明にはまだ足りません」
「足りない分は、俺が埋める」
自分でも意外なほど、迷いのない声だった。フィーネがこちらを見た。値踏みでも答え合わせでもない、ただ真っ直ぐな目だった。
「その言い方、初めて聞きました」
「なんの言い方だ」
「証明できるまでは、当てずっぽうと呼ぶ、って言った私に、今度はイチさんの方から歩み寄ってくるような言い方です」
言われて、俺は少し言葉に詰まった。今日の斥候の手記を読んでから、何かが自分の中で変わった気がしていた。誰かの記憶が武器にされる相手に対して、自分の勘だけで乗り切れる保証はもうどこにもない。だとすれば、フィーネの理屈に自分から寄っていく方が、ずっと確実だった。
「お前の式が正しければ、俺の勘の半分くらいは、いらなくなるかもしれないな」
「いらなくなりはしません。ただ、二つが揃った方が精度は上がります」
フィーネはそう言って、計算板の珠を静かに弾いた。
「感覚の違和感を見つけるのがイチさんで、その違和感を裏付ける理屈を組むのが私。今回の作戦は、たぶんその両輪が要ります」
その言い方に、俺は妙な納得感を覚えた。半年前は、俺一人の勘だけがこのパーティーの綻びを繕ってきた。今は、それを一緒に支える人間が、ちゃんと隣にいる。
「クレアさんの方は、大丈夫でしょうか」
フィーネがふと、話題を変えた。
「今日の手記、故郷の村の話でしたから。あの人にとっても、他人事ではないと思います」
言われて、俺はテントの方を見た。クレアの影が、まだ小さく動いているのが見えた。眠れていないのかもしれない。
「様子、見てくる」
「お願いします」
テントの前で声をかけると、クレアが少し驚いた顔で顔を出した。
「眠れないのか」
「……はい。少し」
「今日の斥候の話、聞いたんだろ」
クレアは小さく頷いた。
「自分の村があんな風に使われたら、って考えると、怖くなってしまって」
「使われるのは景色だけだ。中身までは、誰にも渡さない」
その言葉に、クレアはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
「イチさんに言われると、なんだか本当にそんな気がしてきます」
「気がするだけで十分だ。今夜は、それで寝ろ」
「はい。おやすみなさい」
テントの前を離れて、俺は星空を見上げた。明日、拠点への最終的な作戦が固まる。分からないことばかりだが、分からないなりに、埋め合わせる仲間の数だけは、半年前より確実に増えている。
声にならない策は、まだ形になっていない。だが今夜、フィーネと交わした言葉の中に、明日への足がかりのようなものが、確かに転がっていた。
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