第26話 列の後ろから、地図にない道を見る
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第26話 列の後ろから、地図にない道を見る
出発の朝、街の東門には見送りの人だかりができていた。討伐部隊二十三名が隊列を組んで並ぶ中、俺は列の一番後ろ、荷馬車の脇に控えていた。
「頑張ってきてくださいねー!」
露店の女将が声を張り上げる。歓声に応えるように、ヒカリが軽く手を振った。歓声の対象に、支援要員という肩書きの人間は含まれていない。それでいい。半年前から変わらない位置取りだった。
「イチさん、こっちです」
列が動き出すと、ヒカリが馬の歩調を緩めて、俺の隣まで下がってきた。
「先頭にいろよ、お前は」
「先頭は部隊長です。私は副将の位置で十分です」
軽口を叩きながら、ヒカリはお守りの結ばれた手首を軽く掲げてみせた。俺も懐に触れて、同じ組紐の感触を確かめる。
街道を三日進んだところで、地形が明らかに変わり始めた。緑が減り、代わりに灰色がかった岩肌が目立つようになる。メルジェの拠点があるとされる山岳地帯まで、あと二日という距離だった。
「妙な臭いがするな」
先頭近くを歩いていたガルドが、鼻を鳴らしながら呟いた。金属が焼けたような、東の森で嗅いだのとよく似た臭気だった。
「フィーネ、探知は」
部隊長の指示に、フィーネと上級部隊の魔法使いたちが同時に杖を掲げる。
「反応、複数あります。ただ、輪郭がやはり不明瞭で……」
フィーネの声が途切れた瞬間、街道の両側の岩陰から、鱗のような光を纏った魔物が飛び出してきた。数はそれほど多くない。だが動きが妙だった。統率された群れというより、あちこちからばらばらに湧き出すような現れ方だ。
「散開! これは偵察部隊への牽制だ、深追いするな!」
部隊長の号令が響く。俺は荷馬車の陰から、飛び出してきた魔物の一体を目で追った。動きの端々に、既視感があった。
「これ、本物じゃない」
思わず声が出た。近くにいたヒカリが振り返る。
「本物じゃない、とは」
「動きの起点が、地面から生えてる。本来の生き物なら、走ってくる前に足音や気配があるはずだ。こいつら、いきなり岩陰の位置に湧いてる」
言っている途中で、目の前の一体が剣の一撃を受けた瞬間、煙のようにかき消えた。実体を持たない幻影の攻撃だけが、そこにあったということだ。
「幻術部隊による攪乱か」
部隊長が舌打ちする。
「本物と偽物が混ざってる。フィーネ、見分けられるか」
「難しいです。ただ……」
フィーネが杖を握り直しながら、俺の方を一瞬だけ見た。
「イチさんの言う通り、動きの起点に違和感があるものは、たぶん偽物です。実体のあるものは、地面を踏む前段階の重心移動が見えます」
「それでいい。フィーネの判断を軸に動け! 実体反応の薄いものは無視、本物だけ叩け!」
部隊長の指示に、隊列が動き出す。ヒカリと上級部隊の剣士たちが、フィーネの声を頼りに的を絞っていく。俺はそのやり取りを、少し離れた場所から見つめていた。今回は、自分の勘よりもフィーネの観測の方が前に出ている。それが、意外なほど落ち着いた気分をもたらした。
「イチ、後ろは気にするな、フィーネの目がある」
ガルドが叫びながら、実体のある一体を大剣で薙ぎ払う。俺にできることは、今日は本当に少なかった。だが少ないなりに、荷馬車の陰から全体の位置取りを見て、隊列の崩れそうな箇所を見つけて叫ぶくらいのことはできた。
「右翼、詰めすぎだ! 一歩下げろ、囲まれる!」
声を張ると、部隊長が即座に指示を継いだ。名前を出さず、声だけが戦場に届く。それでいい、と思う一方で、今日は少しだけ、その響きが寂しくもあった。
小競り合いは十数分で収まった。偽物の魔物はすべて煙のように消え、本物の数体は上級部隊とヒカリによって片付けられている。怪我人は軽傷が数名、致命的な損害はなかった。
「軽傷ばかりで、助かりました」
クレアが治癒の光を消しながら、額の汗を拭った。
「上級部隊の人にも、遠慮なく声かけていいですよ。私、意外と手が空いてますから」
「頼もしいな、聖職者殿は」
傷を負った隊員の一人がそう言うと、クレアは照れくさそうに笑った。半年前、依頼のたびに不安げだった彼女は、今ではもう初対面の相手にも臆せず声をかけられるようになっている。
「フィーネ殿の判断、正確だったな」
部隊長がフィーネに歩み寄る。
「イチさんの指摘がなければ、私も判断が遅れていました」
フィーネは淡々とそう答えたが、部隊長は「イチさん」という名を特に気にした様子もなく、次の指示に移っていった。名前が記録に残らないのは、いつものことだった。
夜、野営地でヒカリが俺の隣に腰を下ろした。
「今日、イチさんの声、久しぶりに戦場で聞きました」
「声だけだけどな」
「声だけでも、十分です。私、あの声が聞こえると、なんだか安心するんです」
ヒカリはそう言って、焚き火の炎を見つめた。
「フィーネさんの判断が前に出てるの、見ててどう思いましたか」
「悪くない気分だった。俺じゃなくても、ちゃんと考えられる人間がいる。それだけ、安心材料が増えたってことだろ」
「嫉妬とか、しないんですね」
「するわけないだろ、そんなもん」
言ってから、少し嘘くさい気がした。フィーネの判断が的中するたびに、自分の役割が薄まっていくような感覚が、正直、まったくなかったわけではない。だがそれ以上に、誰かがこの重さを分け合ってくれることの方が、今は素直にありがたかった。
「地図にない道、って言葉、知ってますか」
唐突にヒカリが言った。
「なんだそれ」
「今日、部隊長さんが言ってたんです。正規の地図に載ってない、獣道みたいな抜け道が山にはあるはずだって。イチさんなら、そういう道も見つけそうだなって思って」
「見えるかどうかは知らないが、探すのは得意な方だ」
「明日からは、もっと山深くなります。イチさんの目が、また必要になると思います」
ヒカリの声には、今日の戦闘とは違う種類の緊張があった。メルジェの拠点が近づくにつれて、この半年で積み上げてきたものが、いよいよ本番の局面に差し掛かっている。
焚き火の向こうで、フィーネが計算板を膝に置いたまま、静かに目を閉じていた。ガルドは大剣の手入れをしながら、時折こちらに視線を寄越す。クレアは怪我人の治療を終えて、疲れた様子で毛布にくるまっていた。
列の一番後ろ、名前の載らない場所から見る景色は、それでも確かに、この五人が積み上げてきた半年分の重みを映していた。前世の物語なら、こういう夜の場面は、たいてい嵐の前の静けさとして描かれる。だが今夜のこの静けさは、それだけでは片づけられない、確かな手応えのようなものを含んでいた。
地図にない道の先に何があるのか、まだ誰も知らない。ただ、その道を最初に見つけるのは、たぶん今日と同じように、列の一番後ろにいる人間の役目になるだろうと、俺は静かに確信していた。
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