第25話 その他大勢のまま、明日へ発つ
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第25話 その他大勢のまま、明日へ発つ
出発前夜、宿の一室に五人分の食事が並んだ。いつもの食堂の隅ではなく、ギルドマスターの計らいで用意された、少し広めの個室だった。
「こんな席、初めてですね」
クレアが物珍しそうに部屋を見回す。テーブルには質素だが、いつもより一品多い料理が並んでいた。
「壮行会ってやつだろ。景気づけだ」
ガルドがエールの入った木の器を掲げる。
「討伐成功に」
「討伐成功に」
四人がそれぞれの器を掲げる中、俺だけは水の入った杯を掲げた。誰も突っ込んでこなかった。半年前なら、こういう場面で自分だけ違うものを掲げていることに、もう少し引け目を感じていたはずだった。
「明日から、しばらく街を離れるわけですけど」
クレアが料理を取り分けながら言う。
「モルカ村みたいな景色、今度はどこで見ることになるんでしょうね」
「考えたくねえな」
ガルドが顔をしかめてから、思い出したように付け加えた。
「けど、今度は前より、ちゃんと備えてる。俺もお前らも」
その一言に、フィーネが小さく頷いた。
「情報面での準備は、私が請け負います。メルジェの権能について、集められる限りの資料は頭に入れてきました」
「頼りにしてる」
俺が言うと、フィーネは珍しく、少しだけ照れたように視線を逸らした。
「頼られること自体は、悪くない気分です」
食事が進むにつれ、部屋の空気は少しずつ和らいでいった。誰かが討伐後の予定を軽口交じりに話し、誰かがそれに乗っかって笑う。半年前、五人がまだ互いのことをよく知らなかった頃には想像もつかなかった空気だった。
「そういえば」
ヒカリがふと思い出したように言う。
「私たち、気づけばもう半年ですね。この街に来てから」
「半年、か」
ガルドが感慨深げに天井を見上げた。
「あっという間だったな。長かったような気もするが」
「両方だと思います」
クレアがそう言って微笑む。フィーネは何も言わなかったが、計算板を懐に手を当てて、静かに頷いていた。
半年前、この五人はただ同じ依頼を受けただけの、名前と役割しか知らない集まりだった。今は違う。ガルドの弟の名前も、クレアの生まれた村のことも、フィーネの才能ランクのことも、俺は知っている。そして俺の秘密の輪郭も、少しずつだが、確かに誰かに知られ始めている。
食事が終わり、それぞれが部屋へ引き上げていく中、俺は一人、宿の外に出て夜風に当たった。
「イチさんも、こういうとこ来るんですね」
背後から声がかかる。ヒカリが宿の入口に寄りかかって立っていた。
「眠れなくてな」
「私もです」
ヒカリは隣に並んで、街の灯りを見下ろした。半年前、露店で騙されかけていた彼女は、今はこの街の誰もが名を知る勇者になっている。それでいて、今夜のこの顔は、あの頃と変わらない一人の少女のものだった。
「明日から、しばらくこの景色も見られませんね」
「討伐が終われば戻ってくる」
「そうですよね」
ヒカリは胸元に手をやった。渡したお守りと対になる、小さな組紐が彼女の手首にも結ばれている。
「私にも作りました。お揃いです」
「お前も持ってたのか」
「はい。イチさんばかり守ってもらう気はありません。私も、イチさんを守りますから」
その言葉には、以前の彼女なら口にしなかったであろう、対等な響きがあった。守られる側と守る側という役割が、この半年でいつの間にか崩れて、混ざり合っている。
「イチさん」
「なんだ」
「丘の日、言いかけてやめた言葉。まだ覚えてますか」
「忘れるわけないだろ」
「今日も、言いません」
ヒカリは苦笑して、街の灯りに視線を戻した。
「討伐が終わって、皆で無事にこの景色をまた見られたとき。そのときに、ちゃんと言います。今度こそ、途中で止めずに」
「気の長い話だな」
「気が長いくらいで、ちょうどいいと思ってます。私たちには、まだ時間がありますから」
その言い方に、俺は不思議と焦りを感じなかった。急がなくていい約束が、目の前にひとつ増えただけのことだった。
部屋に戻る前、宿の掲示板に貼られたままの討伐部隊名簿にもう一度目をやった。俺の名前は、やはりどこにもない。支援要員、一名。その六文字だけが、俺の居場所を示している。
半年前の俺なら、この扱いに何の疑問も持たなかっただろう。名前が書かれないことは、失敗作の転生者としては当然の扱いだと、むしろ安心していたかもしれない。
だが今夜は、少しだけ違う感触があった。名簿に名前がなくても、この街には俺の名前を知っている人間が五人いる。お守りを縫ってくれた少女がいる。弟の名前を明かしてくれた男がいる。生まれた村のことを話してくれた娘がいる。式の答えに近づこうとしている女がいる。そして、遠くから俺を見つめ続けている、名も知らぬ語り部がいる。
前世で読んだ数えきれない物語の中で、名簿に名前のない登場人物は、大抵そのまま忘れられて終わる。だが今夜に限っては、その型がどこか間違っているように思えた。名前が書かれる場所と、誰かに大切にされる場所は、必ずしも同じ場所にあるわけではないらしい。
窓辺に立って、渡されたお守りを握りしめる。半年前、女神の間で「失敗作」という言葉を突きつけられたときの自分には、想像もできなかった夜だった。
明日、五人は名簿の順番通りに街を出る。俺の名前はどこにもないまま、それでも確かに、俺はこの物語の中を歩いている。
その他大勢のまま、明日へ発つ。悪くない出発の形だと、今夜だけは、心からそう思えた。
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