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ベッタベタな異世界転生をしたあいつと同じパーティーにいるハズレ転生者の俺  作者: あさひ


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第16話 誰もいない場所で息をひそめる

お読みいただきありがとうございます。

第16話 誰もいない場所で息をひそめる


 東の森に「危険度:高」の依頼書が貼られたのは、収穫祭の熱がようやく冷めた頃だった。


 いつもの掲示板前とは空気が違った。ガルドは軽口を挟まず荷紐を締め直し、クレアは治癒薬の数を何度も数え直している。フィーネはいつもより早く来て、資料室から借りてきたらしい古い地図を無言で睨んでいた。


「危険度:高、って表記、初めて見ました」


 クレアが依頼書の写しを見ながら呟く。今までの依頼は、どれだけ厄介でも「中」までしか見たことがなかった。


「命の保証をしない、ってことだ」


 ガルドが硬い声で言う。冗談を挟む余地のない声だった。


「イチさんは、どう思いますか」


 ヒカリが俺の顔をのぞき込んでくる。


「分からない。ただ、昨日から胸のあたりがざわつく」


「頼りになるんだか、ならないんだか」


 フィーネが地図を畳みながら、珍しく軽口めいたことを言った。緊張をほぐそうとしているのが分かって、少しだけありがたく思った。


 五人で東の門を出る。街道を外れて森に入ると、木々の間を抜ける風の音まで、どこかへ吸い込まれるように小さくなっていった。前世の物語なら、こういう場面には決まって「この先、引き返せ」の一文が添えられる。もちろん、そんな親切な注意書きはどこにも立っていない。


「フィーネ、反応は」


「森の奥に、動いていない反応がひとつだけ。大きさは、これまで見た中で一番大きいです」


「動いてない、ってのはどういう意味だ」


 ガルドが低い声で訊く。


「分かりません。眠っているのか、それとも……」


 フィーネはそこで言葉を止めた。続きを言わなかったのは優しさというより、彼女自身もその先を言語化できていないからだろうと思った。


 三十分ほど進んだところで、森が唐突に開けた。木々が円形に途切れて、そこだけぽっかりと空が見える広場のような場所だった。地面には黒っぽい染みが放射状に広がっている。近づくと、それが焦げ跡だと分かった。何かが焼けたのではなく、何かに焼かれた跡、という方が近い印象だった。


 中心には、腐りかけた木の切り株のようなものが一本、ぽつんと立っている。


「これは……」


 ヒカリが息を呑む。


 切り株だと思ったそれは、よく見れば木ではなかった。表面に細かい鱗のような模様があって、風もないのにゆっくりと、呼吸するように上下していた。


「デカいな」


 ガルドが大剣の柄を握り直しながら、珍しく一歩下がった。虚勢を張らないガルドを見るのは初めてだった。


 俺は焦げ跡の広がり方を見つめた。中心から放射状に伸びているようでいて、ところどころ不自然に途切れている。まるで焼く強さを意図的に加減したような跡だ。自然に起きた災害の跡は、もっと乱雑に広がるはずだった。これは違う。何者かが、狙ってこの形に仕上げている。


「これが森の異変の正体か」


「たぶん、な。でも」


 「でも」の先を、うまく言葉にできなかった。この森の生き物たちが逃げていたのは、単に巨体が怖かったからではない。もっと根深い、生理的な忌避感だ。動物が本能で嗅ぎ取る、決定的に「違う」種類の気配。


 思えば、これまでの依頼は全部、前世の記憶がどこかで役に立ってきた。ゴブリンの群れには群れの定石があり、オーガにはオーガの弱点があった。物語の型を知っているというだけの取り柄が、俺をかろうじて「その他大勢」の座に留めてくれていた。だが今、目の前にあるものには型がない。型を知っているはずの自分が、初めて型の外側に立たされている。


「近づいて、大丈夫なんでしょうか」


 クレアが不安げに尋ねる。答える前に、ヒカリが一歩前に出た。


「私が見てきます。皆はここで」


「待て」


 反射的に声が出た。ヒカリが振り返る。


「まだ何も分かってない。刺激するくらいなら、遠くから様子を見た方がいい。フィーネ、探知の精度を上げられるか」


「やってみます」


 フィーネが杖を掲げると、濃い光の膜が周囲に広がった。膜が「切り株」に触れた瞬間、彼女の肩がびくりと跳ねる。


「弾かれました。探知の魔法を、明確に拒絶する反応がありました」


 フィーネの声から、いつもの平坦さが消えていた。


 拒絶。つまり、あれは少なくとも「気づいていない」わけではない。気づいたうえで、静かにこちらを黙殺している。


「イチ、お前の勘は、これをどう見る」


 ガルドがまた俺に訊いてきた。この森に入ってから、彼が俺に意見を求める回数がやけに多い。


 俺は答える代わりに、もう一度「切り株」を見つめた。呼吸のリズムが、さっきよりわずかに速い。こちらの気配に反応しているのだとしたら――


「後退した方がいい。今すぐに」


「イチさん?」


「理由はうまく言えない。でも、これは今の俺たちが手を出していい相手じゃない。少なくとも、今日はまだ」


 根拠のない直感だった。だが、ヒカリが合流してからの半年、こういう勘が外れたことはほとんどない。今日ばかりは、それに賭けるしかなかった。


 ヒカリが俺の顔を見て、それから「切り株」を見て、それからまた俺を見た。何かを天秤にかけているのが分かる。


「分かりました。イチさんが言うなら」


 あっさりと引いた。あっさりすぎるくらいに。


 俺たちは音を立てないよう、じりじりと後退を始めた。誰も口を開かない。半分ほど下がったところで、「切り株」の呼吸のリズムがはっきりと変わった。上下する速度が二倍になり、周囲の空気が微かに震えたような気がした。


「止まるな。歩き続けろ」


 声を絞り出すように言った。前世の物語なら、こういう場面の定石は「静かにゆっくり離れる」だ。動く獲物にしか反応しない捕食者、という設定は数えきれないほど見てきた。だが今、目の前の「切り株」は、静かに離れているこちらに、むしろ反応の速度を上げている。定石が外れている。だとしたら、頼るべきは前世の記憶ではなく、今この場で見えているものだけだ。


 誰も走らない。走れば追いかけてくる、根拠のない確信だったが、少なくとも「知っている型」よりは、今の自分の目を信じたかった。


 木々の間に完全に姿を隠したところで、ようやく「切り株」の呼吸が元のリズムに戻っていくのが、遠く背後の気配から伝わってきた。まるで、獲物を見失って興味を失ったかのように。


「生きた心地がしなかったな」


 森の入口に戻ったところで、ガルドが大きく息を吐いた。


「戻ったらすぐにギルドへ報告しましょう。私たちの手には負えないと、正直に」


 フィーネが淡々と言う。声にはまだ、さっきの拒絶反応の余韻が残っているようだった。


「情けない話だが、それが正解だろうな」


 ガルドが珍しく素直に頷いた。いつもの豪快さが鳴りを潜めたままの彼を見ながら、俺はふと、以前掲示板の前で見せた、あの遠い目を思い出していた。あのときも、こんな顔をしていた気がする。


「ガルド、お前」


 言いかけて、やめた。今はまだ、聞くべき時ではない気がした。


「なんだ」


「いや。今日は、お前の判断が正しかった。無理に突っ込んでたら、危なかったかもしれない」


「柄にもないこと言うなよ」


 ガルドは笑ったが、声にはいつもの張りがなかった。


 街への帰り道、日はすでに傾きかけていた。橙色の光が木々の隙間から差し込んで、行きに見た森とはまるで違う、穏やかな景色に見える。だが誰も、その穏やかさを素直には受け取っていなかった。


「イチさん」


 ヒカリが隣に並んで、小さな声で言った。


「さっき、後退しようって言ったとき、ちょっと怖い顔してました」


「そうか」


「はい。いつもの、なんとなく分かる、みたいな顔じゃなくて、本気でまずいと思ってる顔でした」


 図星だった。今日の「切り株」を見たときの感覚は、これまでの依頼で覚えたどの警戒とも質が違っていた。


「珍しく勘が外れてないといいけどな」


 軽い調子で流そうとしたが、ヒカリはそれ以上追及してこなかった。ただ、俺の顔をじっと見て、それから小さく頷いた。


「大丈夫です。イチさんが怖いって言うなら、たぶん本当に怖いことなんだと思います」


 その一言が、思いのほか胸に残った。誰も俺の判断の中身までは信じない。信じるのはいつも、隣にいるこいつだけだ。


 ギルドに戻り、受付にことの次第を報告すると、担当の職員は顔色を変えて奥へ駆け込んでいった。程なくして出てきたのは、ギルドマスターだった。この街に来て以来、初めて顔を合わせる相手だ。


 初老の男は俺たちの報告を聞き終えると、腕を組んで長く黙り込んだ。棚から古びた革表紙の資料を取り出し、ページをめくりながら独り言のように呟く。


「フィーネ殿、その探知が弾かれた瞬間の感覚を、もう少し詳しく」


「拒絶、というより……無視、に近かったです。まるでこちらの魔法自体が、取るに足らないものだと判断されたような」


 フィーネはそう言ったあと、資料室で以前見せてくれたあの「式」のことをちらりと思い出すような目をした。


「あの式と、何か関係があるのか」


 小声で尋ねると、フィーネは一瞬だけ視線をこちらに寄越し、それからすぐに逸らした。


「まだ、分かりません。ただ、似た手触りがある気はします」


 フィーネの目が、一瞬だけ俺の方を向いた。式の正体を探ろうとしていたときと同じ、値踏みするような光がそこにあった。俺の直感も、この「切り株」も、同じ棚に並べて考えている顔だ。何が同じで、何が違うのか。それを最初に言葉にするのは、俺ではなく彼女になるのかもしれない。


 ギルドマスターは資料の一冊を開いて、机の上に置いた。古い地図の写しで、大陸の北側に赤い印がいくつも打たれている。日付を北の端から順にたどると、時期が古い順にきれいに並んでいた。北が古く、南に来るほど新しい。


「北から南に、時期が新しくなってる。何かが、南下してきてる」


 俺が先に言うと、ギルドマスターがわずかに眉を上げた。


「よく気づいたな。北の大陸で、似たような報告が上がっている。噂の域は出ないが、魔王軍とやらが動き出しているという類の話だ」


 その言葉に、その場の空気が一段冷えた。


「確証はない。ただの言い伝えかもしれん。だが、もし本当だとしたら、あの森の異変はその先触れかもしれない。それだけは頭に入れておいてほしい」


 魔王軍。前世で読んだ数えきれない物語の、決まって最初に置かれる一文と同じ響きを持つ言葉が、現実の重みを伴って耳に届いたのは、これが初めてだった。


「調査は一旦、上級部隊に引き継ぐ。無理に突っ込まず、報告に戻ってきたことが、今回の何よりの手柄だ」


 その言葉に、ガルドがどこか複雑そうな顔をした。手柄という単語が、いつもの彼なら喜んで飛びつくはずのものだったからだ。


 ギルドを出ると、日はすっかり暮れていた。


「なあ、イチ」


 隣を歩くガルドが、ぽつりと言った。


「今日みたいな日は、名を上げるとか、そういうことより、まず生きて帰ることの方が大事なんだな、って、柄にもなく思った」


 その一言に、俺は思わず彼の顔を見た。いつもの豪快な笑みではなく、どこか遠くを見るような表情が浮かんでいた。


「お前らしくないな」


「かもな」


 ガルドはそれ以上何も言わず、大剣を担ぎ直して先を歩いていった。その背中を見送りながら、この男が抱えている何かに、そろそろ触れる時が近づいているのかもしれない、と思った。


 宿の前でクレアとフィーネと別れ、ガルドも部屋へ引き上げると、残ったのは俺とヒカリだけになった。夜風が少し冷たくて、ヒカリは両腕を軽くさすっている。


「怖かったですね、今日」


「ああ」


 珍しく素直に認めた。強がる余裕もないくらい、今日は疲れていた。


「イチさんが怖い、って言うの、初めて聞いた気がします。でも、それで安心しました。イチさんも、ちゃんと怖いって思うんだな、って」


 その言葉の意味を、俺はうまく飲み込めなかった。ただ、彼女がそう言って笑う顔を見ていると、さっきまで胸の奥に残っていたざわつきが、少し和らいだ気がした。


「明日も早いから、もう休め」


「はい。おやすみなさい、イチさん」


 部屋に戻って窓の外を見上げると、月が雲に隠れかけていた。森の奥のあの生き物は、今もあそこで、呼吸を続けているのだろうか。魔王軍という単語が、まだ現実味を持たないまま頭の中で燻っていた。


 森の異変の正体は、まだ何一つ分かっていない。だが、確実に何かが動き出している。その気配だけが、夜が更けてもずっとまとわりついていた。


お読みいただきありがとうございます。続きも楽しんでいただければ嬉しいです。


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