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僕だけが違う

 殴られた頬の痛みが、ようやく少しだけ引いてきた。

 カイルはよろよろと立ち上がる。足元がおぼつかない。視界も少し揺れている。

 気がつけば、辺りはすっかり暗くなっていた。夕暮れはとっくに過ぎ、夜の帳が学園を覆っている。

 いつもなら、今頃は、リオンとハルトが訓練場で特訓している時間だ。


 カイルはふらふらと歩き出した。寮には戻らず、ただ、学園の外を当てもなく歩いていた。

 自分でも、どこへ向かっているのか分からなかった。

 そして、ふと、自嘲するように笑った。

 「はは……」

 僕は、勘違いしていた。自分は変われたんだと思っていた。

 昔の自分とは違うんだと。

 ダンジョン攻略授業で総合一位を取った。

 上級モンスター黒淵の獣蛇アビス・バジリスクを倒した。

 それで、周りの生徒たちも、僕を褒めてくれた。

 父上も褒めてくれた。

 だから、僕は思ってしまったんだ。自分は変われたんだって。

 「ははははははっ……」

 笑いが止まらない。

 違う、違う、違う。

 僕がすごいんじゃない。チームのみんなが、すごかっただけだ。

 リオンくんは言うまでもない。

 シエラさんはリュカオン族の戦士。

 セリナさんは闇魔法の名門、ノワールヴェイル家の令嬢。

 リーナさんは、学園で知らない人がいないルミナス。

 ハルトくんだって、最初はダメダメだったけど、今は毎日放課後に特訓していて、黒淵の獣蛇アビス・バジリスクにとどめを刺した。

 それに、何と言っても。全適性Sランクの規格外の才能の持ち主だ。


 そうだ、そうなんだ。僕だけ、僕だけが、みんなと違うんだ。

 何も変わっていない。あの時と同じだ。初めての剣の立ち合いの時、恐怖で、漏らしてしまった。

 あの時から、剣の立ち合いが怖い、怖くてしょうがない。剣を握って相手と向き合うだけで震える。恐怖で、身体が動かなくなる。

 だから、ダンジョン攻略授業の時も、遠距離からの弓と魔法だけだった。

 前に出られない、剣を振れない。結局、僕なんて、大した役に立っていない。


 そして、もう一つ、カイルの胸を締め付ける。

 リーナさんに完全に嫌われた。

 リーナさんとお出かけできて、これってデートなんじゃないかって。

 もしかして、これをきっかけに付き合えるんじゃないかって、そんな妄想までしてしまった。

 「……馬鹿だ」

 自分で自分を笑う。

 リーナさんが、こんな情けない僕のことを好きになるわけがないのに。

 目の前で女の子が泣いているのに、痛みと恐怖で動けないでいた。

 泣かせた相手に怖くて何も言えなかった。そんな男を誰が好きになるっていうんだ。


 「ああ……」

 恥ずかしい、死にたい。

 いや、死ぬ勇気なんて僕にはない。

 だったら、このまま、静かに消えてしまえたらいいのに。

 でも、そんな都合よく、人間が消えるわけもなく。

 気がつけばカイルは、学園の訓練場の前まで来ていた。

 カンッ!!

 金属音に引かれるように視線を向けると、訓練場ではハルトくんが特訓の最中だった。


 ハルトの剣が振り下ろされる。

 カンッ!!

 リオンはそれを、わずかに刃をずらして受け流した。

 「遅い」

 「くっ……!」

 体勢を崩しかけながらも踏みとどまる。

 「もう一度だ」

 リオンの声に、ハルトは歯を食いしばって踏み込む。

 カンッ!!

 弾かれる。

 「今度は踏み込みが浅い」

 「あー!もう、疲れた!ちょっと休憩しようぜ!休憩!」

 「さっきしたばかりだろうが」

 「そんなこと言ったって、疲れたものは――」

 パンッ!!

 「ぎゃああああああああ!!」

 セラフの鞭が容赦なく叩き込まれる。

 「いけません、ハルトさん」

 にこりと、慈愛に満ちた笑顔。

 「怠惰は罪です。女神様が見ておられますよ」

 「いやいやいや、もう夜も遅いし、女神様も寝てるって。そんな熱心じゃないよ、あの女神」

 パンッ!!パンッ!!

 「女神様への冒涜、許しません。懺悔なさい」

 「ぎゃああああああ!!違う!本当だって!実際会って見たんだから!」

 パンッ!!パンッ!!パンッ!!

 「ぐぎゃああああああ!!」

 「虚言は大罪です」

 ハルトは地面をのたうち回る。


 その光景に、リオンは額を押さえた。

 (……いや、まあ、ハルトの言ってることは間違ってないんだよな……この時間なら、もう寝てそうだよな……セリス様)

 リオンが小さく息を吐いた。

 「ほら、諦めて剣を構えろ」

 「わかったよ……」

 ハルトは渋々と剣を握る。一歩踏み出し――

 「……と見せかけて!」

 足元に魔力が広がる。

 「闇よ、覆え――〈黒煙ダーク・ミスト〉!」

 ボンッ!!

 濃い黒煙が一気に広がり、視界を完全に遮る。

 「ちっ!」

 リオンが舌打ちする。気配を探る――だが。

 「〈潜伏シャドウ・ハイド〉」

 完全に気配が消える。

 「〈疾駆ライトニング・ラッシュ〉!」

 音すら残さず、ハルトの気配が一気に遠ざかる。


 だが――

 パンッ!!

 「ぎゃああああああああ!!」

 煙の外から悲鳴が響いた。次の瞬間、黒煙の向こうからハルトの身体が転がり込んでくる。地面に叩きつけられ、のたうち回る。

 「な、何故だ!?何故いつも、俺の完璧で鍛え抜かれた逃亡スキルが通じない!?」

 「無駄です」

 セラフが一歩踏み出す。頬を上気させ、どこか恍惚とした表情。


 「どれだけ視界を遮ろうが、気配を消そうが、あなたの中にある“怠惰”は隠せませんそれを正すのが、私の役目です。そうこれは女神様のお導きなのです」

 (……いや、絶対、女神様とか関係ないだろ)

 セラフの目が、わずかに細められる。

 その瞬間、リオンは理解した。あれは、獲物を見つけた猛獣の目だ。

 視界を遮っても、気配を消しても意味がない。セラフは“見ている”んじゃない。

 ダメな男を見つけ、矯正したいという歪んだ欲求そのもので、獲物を捉えている。

 理屈じゃないな本能が追っているのだ。

 (怖えよ……)

 リオンは、ぞっとした。

 

 気を取り直し、陽翔に向き直る。

 「頼むから、逃亡スキルじゃなくて戦闘スキルを鍛え抜いてくれ……」

 リオンはため息をつく。

 「ほら、構えろ。特訓再開だ」

 「う~……」

 渋々と立ち上がり、剣を構える。

 だが、その姿にやる気はまったく感じられない。

 「しょうがない」

 リオンが軽く肩を回す。

 「じゃあ、僕から一本取ったら今日は終わりにしてやる」

 「馬鹿言うな!それが出来たら苦労しねえわ!」

 「やる前から諦めるな」

 リオンは少しだけ口元を緩める。

 「じゃあ、僕は剣を使わない。素手でやってやる。あと左手だけしか使わないでやる」

 「言ったな!?その言葉、取り消せねえからな!どりゃ!どりゃ!!どりゃ!!どりゃああああああああ!!」

 先ほどとは別人のような踏み込み。鋭い連撃が連続で放たれる。


 「……やればできるじゃないか」

 しかしリオンはその攻撃を、素手の左手だけで受け流す。

 刃をいなす。逸らす。完全に制している。

 「やっぱり、今まで手を抜いてやがったな」

 そして、一瞬で懐に入り込む。

 陽翔の腹に寸勁を叩き込む。

 「ぐほっ……」

 ハルトの身体が折れ、そのまま崩れ落ちた。

 「ほら立て。一本取れなかったんだから、もう一度だ」

 「お、鬼~……」


 (すごいな……)

 その光景を、カイルは呆然と見つめていた。グダグダで、騒がしくて、滅茶苦茶な特訓。

 それでも、確かに、前に進んでいる。

 (あのハルトくんが……)

 武器・スキル訓練の初日、あれだけ隙だらけだったハルトが

 僕ですら一本取れた相手。

 でも、今は違う。

 あの時とは別人のように強くなっている。

 Dクラスなら、リオンとシエラさん以外ならもう誰もハルトくんにはかなわないだろう。


 (僕も……変われるんだろうか……?)

 胸がざわつく。

 (死にたいと思った……でも、死ぬ勇気なんてない…… だったら――いっそ……)

 カイルは一歩踏み出した。

 「あ、あの!」

 3人が振り向く。

 「そ、その訓練……」

 喉が震える。それでも、言い切った。

 「ぼ、僕も参加させてくれないかな!」

 それは、カイルが人生で初めて本気で「変わりたい」と願った瞬間だった。

  

 

 

 

 


 


 

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