震える剣と、踏み出せない僕 その7
「リ、リーナさん……あ、あの、これ……」
放課後、学園の中庭。
カイルはリーナを呼び出し、三日三晩ほとんど寝ずに修理したカメラを差し出した。
リーナは驚いたようにそれを受け取る。
「……え、もう直ったの?」
カイルはこくこくと頷く。
「……外装は、ほとんどそのままですけど」
少し言葉を探す。
「中は……だいぶ調整しました」
リーナは電源を入れる。カメラがすぐに起動した。
「あれ?」
リーナは目を瞬かせる。
「起動……めっちゃ早くない?」
カイルは少し恥ずかしそうに答える。
「魔力導線を全部組み直しました」
リーナはシャッターを押す。
――ぱしゃり
軽い音。画面に写真が表示される。リーナの目が大きく開いた。
「……え、なにこれ」
写真を拡大する。
「画質めっちゃ良くなってる!」
もう一枚。
――ぱしゃり
「シャッターもすぐ切れる!」
カイルは慌てて説明する。
「き、記録結晶を調整して、魔力回路も作り直したので……」
リーナは動画モードに切り替える。
少しカメラを振る。画面は滑らかに動いていた。
「動画もめっちゃ滑らか!」
そしてリーナはカメラをぎゅっと抱きしめた。
「……すごい」
ぽたり、と。
涙が一滴、頬を伝って落ちた。
「新品みたい」
カイルは視線を逸らす。
「そんな……ただ……使いやすくしただけです」
小さく答える。
リーナは笑った。
「ううん」
カメラを胸に抱く。
「これ、お母さんが買ってくれた時より性能いいかも」
そしてまっすぐカイルを見る。
「ありがとう、カイルっち」
リーナの笑顔。そして、その言葉を聞いた瞬間――胸の奥がじんわりと温かくなる。
三日三晩、ほとんど寝ていない。体は重い。頭もぼんやりしていた。
しかし、リーナの感謝の言葉を聞いた瞬間、全部が吹き飛んだ。
(……ああ)
三日三晩の徹夜だけじゃない。
子供のころから、魔道具を分解しては怒られた。
父には何度も言われた。
――そんな細工に夢中になるな。
――剣を振れ。
――魔法を鍛えろ。
――お前はベルネス家の跡取りなんだぞ。
魔道具をいじる時間は、いつもこっそりだった。
好きだった。でも、それはただの自己満足だと思っていた。
誰の役にも立たない、無駄なことだと。
だから、リーナのその一言は、あまりにも大きかった。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
(僕のやってきたことは無駄じゃなかった)
ほんの一瞬、それまでの自分の人生が全部、今この瞬間に肯定されたような気がした。
気づけばカイルは、小さく頭を下げていた。
「……あ、ありがとうございます」
思わず口から出た言葉だった。
リーナはきょとんとする。
「え?」
カイルは顔を上げる。
「あ……その……」
言葉が出てこない。どう説明すればいいのか、自分でも分からなかった。
リーナは不思議そうに首をかしげる。
「なんでカイルっちがお礼言うの?」
カイルは慌てて手を振る。
「い、いや……その……」
胸の中にあるこの気持ちを、どう言えばいいのか分からなかった。
リーナは少しだけ考えて、くすっと笑った。
「変なの」
その言葉に、カイルもつられて笑ってしまう。
「あははははは」
「はははははっ」
二人の笑い声が、中庭に静かに広がった。
夕方の柔らかな光が石畳を染め、時間がゆっくり流れているようだった。
「おい」
その時だった。その空気をぶち壊すように、声が響いた。
「ザコカイルじゃねえか?何、馬鹿みたいに笑ってんだ?あ?」
それは聞き慣れた声だった。しかし、今この瞬間、一番聞きたくなかった声だった。
カイルの肩がびくりと震え、振り返る。
「ヴ、ヴィンスくん……とレオンくん……」
リーナはきょとんとする。
「え?誰?」
カイルは視線を落とした。
「い、いや……その……二人とは幼馴染で……」
そこに立っていたのは、ヴィンセント・アルバレクス・フォン・ローゼンハルト。
上級貴族ローゼンハルト家の嫡男。同じ勇者派閥に属する家同士ということもあり、幼いころからの付き合いだった。
だが、カイルとはまるで違う。複数のAランクの適性を持つ才能に恵まれた体格。カイルより頭一つ高い長身。
学園の制服は着崩され、耳にはピアス。指には高そうな指輪がいくつも光っている。
整った顔立ちではあるが、吊り上がった目と、へらへらした笑い方がその印象をすべて台無しにしていた。
その隣に立つのは、レオンハルト・ヴァルド・フォン・エーデルシュタイン。
同じく勇者派閥の上級貴族で、Aクラスの生徒。
ヴィンスよりさらに長身で、筋肉質な体格。ヴィンスとは対照的に制服をきっちりと着こなし、余計な装飾は一つもない。
髪をオールバックに固めたその姿は、どこか大人びていた。
制服を着ていなければ、教官と間違われてもおかしくないほどだった。
二人とは幼馴染とはいえ、特別仲がいいわけではない。
むしろ逆だ。二人は、才能もなく弱々しい僕を見下していた。
特にヴィンスくんは、顔を合わせるたびに嫌味を言ったり、からかったりしてくる。今日もきっと、僕を見つけて面白がって近づいてきたのだろう。
ヴィンスはニヤニヤしながらカイルを見る。
「なんだ?部屋に引きこもって魔道具いじりばっかしてるから、ついに頭がおかしくなって……」
そこで、ヴィンスの言葉が止まった。カイルの後ろに立つ人物に気づいたからだ。目が大きく見開かれる。
「もしかして……ルミナスのリーナちゃん!?」
次の瞬間だった。ヴィンスの態度は一変した。
カイルをぐいっと肩で押しのける。
そのままリーナの前に出ると、さっきまでの態度が嘘のような猫なで声になる。
「配信いつも見てるよ!Dクラスにいるって聞いたけどさ、本当にいたんだ」
へらりと笑う。
「やっぱ可愛いね」
「あ、あはは……ありがとう」
リーナは少し困ったように愛想笑いを浮かべた。
その様子を見て、隣にいたレオンが眉をひそめる。
「……ん?誰だ?」
ヴィンスが振り返る。
「あ?知らねーのかよ」
肩をすくめる。
「ルミナスのリーナちゃんだよ。SNSでも有名だし、最近テレビにも出てたじゃん」
レオンは無表情で答える。
「SNSもテレビもほとんど見ない」
「はあ……」
ヴィンスは呆れたようにため息を突く。
「ったくよ、お前は訓練ばっかりしてるから世の中の流行りを全然知らねえんだよ」
レオンは淡々と言う。
「お前こそ、遊んでばかりいないでたまには訓練に参加しろ。俺たち勇者派閥は勇者の血を引く――」
「あーはいはい」
ヴィンスは面倒くさそうに手を振った。
「その手の説教は父上たちから散々聞かされてるから、もうお腹いっぱいなんだよ」
そして、再びリーナに向き直る。
「それよりさ、リーナちゃん」
にやりと笑う。
「こんなところで何してんの?」
カイルは慌てて口を開いた。
「い、いや……その……僕がリーナさんを呼び出して――」
「ああ?」
ヴィンスの顔が一瞬で険しくなる。
「テメーと話してねえんだよ」
ぐっと睨みつける。
「すっこんでろ」
「ご、ごめん……」
カイルは思わず口をつぐんだ。
ヴィンスはすぐに表情を戻し、再びリーナへ笑顔を向ける。
「それよりさ」
軽く髪をかき上げる。
「これからAクラス専用食堂で夕食でもどう?本当はAクラスの生徒しか入れないんだけどさ、大丈夫。ローゼンハルト家の俺が言えば、特別に許可してもらえるから」
これはヴィンスがよく使う口説き文句だ。彼は学園でも有名なプレイボーイだ。
すでに何人もの女子生徒と関係を持っている。そんな噂をカイルも何度も耳にしていた。
ヴィンス自身も、それを自慢げに語っていた。
「あー、ゴメンね。今日はカイルっちとご飯の約束してるから。ねー」
「え、あ、はい」
もちろん、そんな約束はしていない。とっさの嘘にカイルは話を合わす。
「えー、別にいいじゃん。そんなのキャンセルしなよ」
しかし、ヴィンスは食い下がる。リーナの肩も腕を回す。
「こんな、魔道具オタクのキモオタなんかと、食事するよりさ。俺とAクラス専用食堂で食事たほうが絶対楽しいって」
「は?」
リーナの顔か険しくなる。
しかし、ヴィンスは気づかず続ける。
「知ってる?Aクラス専用食堂って王国の一流シェフをスカウトして雇ってるんだぜ。もちろん、食材もえりすぐりの高級食材。なんで、学生の食堂でこんなことができると思う?俺たちAクラスの貴族が多額の寄付金を出してるからなんだよ」
止まらない自慢話。呆れたリーナはその場を立ち去ろうとする。
「もういいよ。行こう。カイルっち」
そんなリーナの腕をヴィンスはつかむ。
「おいおい、待てよ。そんなやつと一緒に食事したってつまんねえって。ああ、そうだ良い事教えてやるよ。こいつと俺は幼馴染なんだけどよ……」
「ちょ……!」
ヴィンスが何を言おうとしているのか察する。止めようとするがヴィンスは止まらない。
「初めての剣での立ち合いの時によ、こいつビビッてしょんべん漏らしたんだぜ!ハハハハハ!笑えるんだろ!?」
カイルは顔を真っ赤にする。リーナさんにはリーナさんだけにはこのことは知られたくなかった。
「何それ、だっさい」
「……!」
一瞬、自分のことを言われたのかと思った。しかし
「そうだろ!だっせーだろ!コイツ!」
「ダサいのあんたよ」
「あ?」
「さっきから聞いてれば何?聞いてもいない自慢話ばっかりしてさ!挙句の果てに人の小さいときの恥ずかしい話でウケ狙いとか全然笑えないんですけど!カイルっちがキモオタ?キモいのはあんたでしょう!」
「ああ!なんだと!人が下手にでてりゃあよ!ルミナスだからって調子に乗ってんじゃねえぞ!」
「調子に乗ってんのはあんたでしょう!」
ヴィンスは大きな声で恫喝する。しかし、リーナは一歩も引かない。
リーナはカメラをヴィンスに突き出した。
「見てよ!カイルっちが直してくれたの!ママの形見なんだよ!?それを三日も徹夜して直してくれたの!カイルっちはキモくなんかない!カイルっちは凄いんだから!」
ヴィンスの視線がカメラに向く。
「ああ?なんだ?そのボロいカメラは?何がそんなにすごいんてんだよ?」
ヴィンスはカメラに手を伸ばす。
「ちょっ、触らないで!」
リーナが慌てて引こうとする。しかしヴィンスの手がカメラを掴んだ。
「や、やめろ!」
カイルの体が勝手に動いていた。ヴィンスの腕を掴む。
一瞬、場が静まる。
ヴィンスがゆっくりカイルを見る。目が冷たく細くなる。
「ああ?やめろだ?」
次の瞬間、拳が飛んだ。
「誰に口きいてんだ!」
バキッ!鈍い音が響く。
カイルの体が宙に浮いた。
そのまま石畳に叩きつけられる。
「カイルっち!」
リーナの叫び声が響いた。
視界が揺れる。頬が焼けるように痛い。
立ち上がれない。
恐怖で体が動かなかった。
ヴィンスはその間にカメラを奪う。
「きったねーカメラだな。さすがDクラスの平民、新品買う金もねーのか?」
カメラを待つ手を無造作に振り上げる。
「こんなゴミ!」
「や、やめて!」
リーナが叫ぶ。
しかし、ヴィンスはやめることなくカメラを地面に叩きつけた。
ガシャッ!
カメラが地面に転がる。
「いやああああああ!!」
「うるせーよ!」
バキッ!
地面に転がったカメラを踏みつけ、レンズが割れる。
そして、その勢いのままカメラを蹴飛ばした。カメラはそのまま、中庭の池へと飛んだ。
ぽちゃん。
濁った水面が揺れる。
その池はほとんど手入れされていない。落ち葉と泥で濁っていた。カメラはゆっくり沈んでいく。
リーナは池の手すりにしがみついた。
「……うそ」
声が震える。そのまま泣き崩れた。
ヴィンスは興味を失ったように背を向ける。
「行こうぜ」
レオンが眉をひそめる。
「おい、いくらなんでもやりすぎだ」
ヴィンスは肩をすくめた。
「知るかよ」
そして二人はその場を立ち去る。
残されたのは泣き崩れるリーナと、地面に倒れたままのカイルだった。
カイルはその光景を、ただ見ていることしかできなかった。
分かっている。立ち上がらなければいけない。リーナのところへ行かなければならない。泣いているリーナさんを慰めなければならない。
「なにしてるんだ!リーナさんに謝れ!」
そう叫んで、ヴィンスを止めなければいけなかった。
でも――体が動かない。
頬の痛みが、胸を締め付けるような恐怖が心を支配する。
カイルはただ、そこに倒れたまま動けなかった。
池の手すりにしがみついたまま、リーナはしばらく泣き続けていた。
肩が小さく震えている。濁った水面には、さっきまでそこにあったはずのカメラの姿はもう見えなかった。
やがてリーナは袖で涙を乱暴に拭うと、ゆっくりと立ち上がる。そして振り返り、地面に倒れたままのカイルに気づいた。慌てて駆け寄る。
「カイルっち……!」
リーナはその場にしゃがみこみ、震える声で言った。
「……ゴメン」
それだけだった。何をどう謝ればいいのか分からない。ただ、その一言しか出てこなかった。リーナはそっと手を差し出す。
「立てる?」
しかし、カイルは動かなかった。視線も上げない。拳を固く握りしめたまま、ただ地面を見ている。頬は赤く腫れ、体はわずかに震えていた。
(僕のせいだ……)
頭の中ではそればかりがぐるぐる回っていた。僕が弱いから。僕が止められなかったから。僕が余計なことをしたから。リーナさんを泣かせてしまった。
リーナはその様子を見て、少しだけ寂しそうに笑った。
「……怒ってるよね」
カイルの肩がびくりと震える。しかし言葉は出ない。リーナは差し出していた手をゆっくり引っ込めた。
「……ごめんね」
それだけ言うと、リーナは立ち上がった。しばらくその場に立ったまま、何か言おうとしているようだったが、結局何も言わなかった。そして小さく背を向けると、そのまま寮の方へ歩き出していく。
カイルはその背中を呼び止めることができなかった。




