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泥のように眠る、というのはこういうことだろう。一体何年ぶりか全く夢も見ず、分単位で飛び起きたりすることもなく、ぐっすりと寝入っていたようだ。
部屋に備えられた時計は、電源が切れているせいでアラームも効かなくなっている。
就寝室にも大きな窓はなく、通風口から漏れ入る光くらいだと、陽の高さで時刻を計ることもできない――。
こんこんこん、こんこんこん――と、何となく焦りを滲ませたような、早いリズムのノック音にやっと気付いて、イーヴィは目を開け、寝台に腰掛けた。
――体がだるくて仕方なく、まだドアまで近づく気になれない。意識して声を大きめに「誰だね」と問うと、
「恐れ入ります、隊長。ガ・トゥフです。……大丈夫ですか?」
返事があったことに安堵しつつ、それでも少し焦ったような声が聞こえた。
まだ立ち上がる気になれなかったので、「おはよう、大丈夫だ。どうぞ入ってくれ」とイーヴィが答えると、ゆっくりドアが開く。
オリバーは、盆を手にして中に入り、寝台に腰掛けて前屈みになっている隊長の傍らに立った。
「……余り大丈夫には見えません」
とオリバーが戸惑った声を出す。彼を見上げ、イーヴィは苦笑を浮かべた。
「具合が悪いという訳じゃない。久しぶりに良く寝たので、却ってだるくなったような、そんな感じさ。――随分寝坊してしまったようだね、済まないな」
しっかり覚醒して、既にしばらく活動をしていたらしいオリバーに、イーヴィは小さく首を振った。
今度はオリバーも苦笑を返す。
「イヴ様が深夜・早朝のシフトに入っていたと思ったら、まだ休まれててもおかしくない時刻ではありますから、お気になさらず。――幸い……と云っては妙な云い方になりますが、カユー様が居られたので、朝の〝礼拝〟もちゃんと行うことが出来ました」
「カユー君ももう起きているのか、それじゃあやはり、恥ずかしいよ」
「それでもイヴ様は最後に休まれたのでしょう? こちらこそ、お疲れのところを無理に起こすことになって済みませんでした。しばらくノックと声掛けをしたのですが、余りに静かだったので、……もしかして、体調が良くないのかと」
「いや、大丈夫だよ、有難う――それは?」
イーヴィがオリバーの手にした盆へ視線を向ける。筒状に丸めた白い布が何枚か、俵を重ねるような格好で載せられていた。
オリバーが微笑を浮かべ、
「発電機と水道設備の修繕が未だ出来ていませんので、リッカ様やハナ様が外で大鍋に水を沸かして、大量に蒸しタオルを準備されてまして……。隊の全員に、『これで顔と体を徹底的に拭け』と、リッカ様から大号令が発せられました」
多少おどけた云い方で答えた。イーヴィが「ふ」と口元を綻ばせる。
「イヴ様には、髭の手入れもなさりたいだろうと、道具をご用意下さいましたが」
彼に見えるように、オリバーが少し身を屈めて腕を伸ばす。鋏、剃刀、櫛のセットが蒸しタオルの陰にあった。
「……いや、今はまだ、そんな精神的余裕が私に無いね。毎日髭を『整える』というのは、心身に『余裕』があって出来ることだと気付いたよ。――いっそ、この機会に全部剃ってしまえば良いのかもしれないな……」
顎を擦った後、苦笑混じりに首を振り、イーヴィは俵状の蒸しタオルを一つ手に取って、顔に押し当てた。
「……ああ、何とも気持ちが良いな…」
思わず嘆息を漏らしたイーヴィだった。湿気のある熱が肌を包む、涙が出そうな程に快適だ。
オリバーは寝台の近くに備え付けられた小さな棚に盆を置いた。
「修理のための工員の方々も到着されていますが、肌着を含む追加の物資を持参して提供して下さいました。――昨日の……ライズ達の救助に向かった時の経験から、川向こうでは突貫で、一般的な作業着を、『ぱっと見ならイー・ル兵服』に改造する作業をしているそうです。変装の必要に迫られる場合に備えて」
「成る程……機転が利くね、サヴァナの御方は」
「イヴ様のお許しが出るならば、コピーを改めて仕立てさせたいと、タケヨシ殿が仰っていました。サヴァナ側の変装に限らず、隊員の着替えも全然無いのは困るだろう、と……」
微かに恐縮そうな声色になってオリバーが云うと、イーヴィは苦笑を浮かべた。
「――此処に居る者にだけ明白にコピーだと分かるような……暗号のような印を入れてくれるのならば、それも良いんじゃないかな。チォ君達が着の身着のままで川を渡ったから、見本は既に向こうにあるのだし」
「では、タケヨシ殿に『諾』と答えて宜しいのですか?」
「ああ」
「了解しました。――では、肌着を取ってきますので、その間にお身体も拭いて下さい」
敬礼をして、ドアの前では一礼してオリバーが去って行った。イーヴィは素直に兵服を脱ぎ、首から丁寧に体を拭く。それも何とも快適であった。オリバーが戻って来て渡された清潔な肌着を付けると、「生まれ変わった」ような心地すらした。
随分寝坊したらしい自覚が出来ているので、祭壇の前で丁寧な礼拝を行う余裕は無い。イーヴィは腹の前で手を組み目を閉じて、朝の詠唱をもぐもぐと諳んじた。
それを見届けるとオリバーが、
「サヴァナの方が、外に、羊のスープと甘酒の大鍋も用意して下さってます」
「――。至れり尽くせりで、何とも有り難いことだな……」
「タケヨシ殿は、『我々だけじゃなく、サヴァナも右往左往するんだから、腹減ったら、その都度食べられるようにしといた方が手間が無い』と仰っていました」
嘆息したイーヴィに、オリバーも頷きながら苦笑した。
実際、それは「合理的」であるが、やたら感謝を表現されるのは困る、と……「照れ」があるのだろうことを、直接に剛義と言葉を交わしたオリバーは感じ取っていた。
イーヴィも「ふ」と笑みを浮かべた後で、「状況を教えてくれ」と云いながら部屋を出た。
「夜明け頃に工員の方々が物資を持って到着されたようです――私もその時は未だ目覚めておりませんでしたので、ハナ様が教えて下さいました――。現在は、エ=ドン軍医殿の指揮の下、タロー殿とリーチ殿が、まず地下施設の点検をされてます。それを終えてから発電機の修理に掛かるとのことで、クォンさんとスォ=ハム君、タケヨシ殿が段取りの設定や道具の確認等、準備段階にあります。ウィト君は昨日隊長から云われた通り、応答請う発信を断つ作業を少しずつ進めているようです。キルシュ殿が彼を手伝ってくれています。――ヤム君とベリー君は、まだ完全には足が治っていないので、重労働にはならない場面で、手の足りないところを手伝っている、という状況です」
それを聞いて、イーヴィはオリバーに見咎められない程度、口元を綻ばせた。……つまり、ヤムとベリーは「雑用」をしている、ということだが、そうは云わないところが、オリバーの配慮だ――。
「先程の話からすると、リッカ殿とハナ殿は、炊き出しや衛生管理を主に担ってくれている、というところか」
「はい」
「――ジン殿は? 何か新しい情報が入った様子はあるかね?」
「無くは無い……ようですが、それほど大きなものではないのかもしれません。重要、あるいは緊急の情報なら、いくら隊長が熟睡されていても、『叩き起こして』来るよう云われたでしょうから」
ジンも「兵隊」「軍人」のようなものである。緊急事態に於いて「隊長」の眠りを邪魔しない、なんて優しさは的外れにも程がある、その「価値観」は所属が違えど共通だ。
成る程、と、今度はオリバーにも伝わる微笑を浮かべて頷く。
「サヴァナからは工員の他に、ジン殿の配下である隊員の方も数名いらっしゃいました」
「……。君は、隊長の私が寝ていた代わりに、副隊長として全体を把握するべく動いてくれていたようだね、すまない」
イーヴィが横を歩くオリバーに顔を向けて云うと、彼は戸惑ったのか照れたのか、小首を傾げた。
「当然のこと……でもありますから――。それこそ、イヴ様ご自身の判断を仰がなければならないような重要事案があれば、私も『叩き起こす』ことになっていた筈です」
「ふっ……。――シド君はどうしてる? 君はもう寝ていたから、彼が居たので驚いたろう?」
「それは……はい、その通りです、私に限らず。――ライズから事情を聞きました。礼拝の指揮を執って下さった後は、ライズと少し話し込まれていまして、その後、タケヨシ殿やジン殿へ、私からご紹介させて頂きました」
「……そうか。シドに、戸惑った様子は無かったかね」
「多少、緊張したご様子はありましたが――少なくとも私の目には、戸惑ったり訝ったり……『反感』を思わすような、ネガティブな雰囲気は見えませんでした」
「そうか……」
ほう、と息をついて頷きながら、イーヴィは「玄関」から外に出た。
砂漠の気温差は激しい、夜から早朝にかけては「寒い」と云って良いくらいだ――が、朝のほんの僅かの「涼しさ」は既に無くなっており、先程蒸しタオルで解された肌へ、日射しがジリッと突き刺さってきた。
――この陽光の下で、昨夜教えられた〝筋〟は一体どう見えるのか。
ふと、それを思い出すが、敢えて気にしないことにする。外に出た瞬間には目に入らず、昨夜のような怖気も過らなかったのだから、今は、「理性」で無視することの方が、己の「やるべきこと」だと感じられた。
オリバーから「あちらです」と鍋のある場所を教えられ――砦の陰になる西側にテントが張られていた――、そちらへ向かうと、
「よぉ、おはようさん。良ぉ眠れたごたんの、蝦さん」
剛義が、手を挙げてイーヴィに近づいて来る。――剛義の方も、強いて〝筋〟に触れてこず、あくまで朗らかな声と表情であった。
「おかげさまで……。――皆様が既に活発に動かれてますのに、お恥ずかしいことですが」
今は鍋の傍にフローラや六花が居なかったので、オリバーが装った甘酒の碗を受け取りつつ、イーヴィは苦笑を見せる。剛義は軽く肩を竦めた。
「それでん、『普通』ン人の健康な睡眠時間に比べたら、寝ちょらん方じゃろ。隊員の命預かって七日も気ィ張っちょったあんたが、やっと数時間熟睡したち、バチは当たらんで」
甘酒を二口ほど啜ってから、
「オリバー君から聞きましたが、発電機の修理は開始していないとか」
「そうなんよ、浄化槽のある地下の様子を見てからじゃねえと、通電がされんっちゅう話でな。じゃあけん、取りあえず根っこのブレーカー落として、ボコボコのカバー外しただけじゃ」
イーヴィが問うと、剛義は大げさに嘆く顔を作った。
イーヴィは「ふ」と笑みを見せてから、甘酒をもう一口啜り、真面目な声で云う。
「クォンさんとスォ=ハム君は、今、手が離せない作業をしていますか? ヤム君とベリー君も、今はそちらを手伝っていますか」
「ん? いや、手が離されんっちゅうことは無ぇよ。段取りはもう打ち合わせちょるけん、サヴァナの職人だけでも仕事は出来る」
「そうですか――。では、今のうちに〝映写機〟で例の映像を隊員に見せておきたいので、一旦〝礼拝所〟へ戻るよう、云ってくれませんか」
「ああ……そうな、分かった」
剛義も表情を引き締めて頷く。
先に碗の甘酒を飲み干して、イーヴィは「オリバー君」と彼に声を掛ける。
「シドとライズ君は、今どこに居る?」
「タロー殿とリーチ殿のサポートで、医務室に居ります。――お二方がされている作業は多少、職人や医師の専門知識があった方が良いものだそうで――エ=ドン先生が直接動けるならば、『素人』でも作業を手伝えたようなのですが、先生自身が監督しか出来ませんので……まだ本調子と云えないカユー様とライズの方が補佐に回っています」
最重要と云える設備であるから、本来ならサヴァナよりもイー・ル兵が入るべきだが、という意味であろう。オリバーの声色は若干言い訳めいていた。
イーヴィは特にそれを気にしたふうもなく、「そうか」と受け入れて、
「では、二人を呼んできてくれ。――ウドゥも……居た方が良いんだが、彼の指揮が無ければタロー殿とリーチ殿の作業も中断してしまう、ということならば無理は云わない。それと、ウィト君も手が離せるようなら礼拝所へ来るように声を掛けてくれ。どうしても駄目ならそちらも無理は云わないが、キルシュ殿に頼めるならば、任せることになっても構わないので」
「畏まりました」
オリバーは敬礼を見せて、医務室の方へ去って行った。
鍋の近くに、使用済みの器を入れておく籠がある。イーヴィは手にしていた碗をその中に置くと、剛義へ
「ジン殿は探査車に居られますか」
と訊ね、「車の付いた小屋」の方へ視線を向けた。剛義が「多分な」と答える。
「少しの間、彼をお借りして構いませんか」
「俺に尋ねんでも良いよ。仁君の手が空くんじゃったら、いくらでんこき使うちゃって」
剛義は、おどけた笑みを見せてから
「じゃ、俺はコンさん達に云うちくるわ」
と手を振りながら去った。イーヴィも「宜しく」と云ってから、探査車へ小走りに向かった。




