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「シド君、……君を救助する数時間前に、私は自分の隊員達へ、希望者が居るなら脱走や亡命を黙認すると、通達したのだがね……」
イーヴィが、眼光と声色を柔らかくしてそう云い、ふと、傍らの風呂敷包みに掌を乗せた。
え、と瞬きをして、カユーは「どういうことですか」と戸惑った声で訊ねた。
「――ライズ君を含め、EV隊の者は皆、政争に敗れて最前線にやられた私の隊に、『志願』して所属していた者達だ」
そう云ってイーヴィが、ちらりとライズに視線を向けると、彼はこくりと頷いた。
「こんな極限状態に至るまで、一人として逃げもせず私の下に付いていてくれたが……、だからこそ、国家には、完全に失望してしまっても仕方ないだろうと、考えてね」
「――」
「一時的にしろ恒久的にしろ、イー・ルからは逃れたいと思うならば、それを私は黙認すると。サヴァナの筆頭殿に、平原側で匿っては貰えないかと打診し、それも受け入れて頂けた――それで、既に三名が、〝砂の川〟を渡っている。今後も、そのつもりになった者が居れば、私は許すつもりだ」
イーヴィは、本国への裏切り行為を、淡々とシドに告白した。カユーは一瞬だけ顔を顰め、しかし、「そうですか……」と溜息混じりに受け入れた。
尊敬する先達、上司でもあった導師のイーヴィは、現状の国家・軍に隊員を留め置くことの方が、〝神〟への裏切りと判断したのだろう。このまま軍属にあることは、〝経典〟が説く「生き方」を実践することにはならない……「逃げる」ことの方が「生」の方法であると。
「――もしかして、その三名に、チォが含まれていますか、イヴ様」
カユーはイーヴィに顔は向けず、自分の手元を見ながら独り言のような口調で問うた。イーヴィは一瞬「おや」と目を見開いた後、合点が行ったというふうな息を吐いた。
「そうか、そういえば君は、チォ君と同窓だったね」
「はい――」
カユーが大きく息を吐きながら頷き、組んだ両手をギュッと握る。
義務教育を終えるまではいつも一緒だった幼なじみ。その後の進路は異なっても、親愛の情が薄まることはなく、ずっと交流は続いていた――商家の出だったチォは、「経済」について学ぶ教育機関へ進んだが、神学校に進んだ己よりも、余程〝信仰〟に篤かった。今の国家の体制に歯がみしていた彼を、カユーも良く知っている。
最早、イーヴィの下に居ることも慰めにならず、イー・ル国民で居ることすら、苦痛になった――それほどの事態が、彼らに起きた……ということなのか。
イーヴィが「うむ」と頷いて見せた。
「チォ君は、私がそれを云ったその場で、決断したよ」
「そうですか――」
「もう一人、〝デカサ・ボゥ地区〟出身の若人も、直ぐに決断した」
「……」
その地区出身で徴兵された者ならば、「イー・ルと縁を切る」チャンスを、喜んで受け入れただろう――その想像も付く……カユーが黙って頷く。
「その二人は、健康状態がかなり悪かったので、サヴァナの側から『迎えに来る』形になったのだが……その時も、サヴァナの方は兵士や警官ではなく、ドクターとナースを派遣して下さったのだよ」
そう云うとイーヴィは「ふう…」と息を吐き、掌を乗せた風呂敷包みを、改めて自分の正面に置いた。
――傍でライズが、一瞬息を詰め、脈が上がりそうなのを抑えるように、深呼吸をした。
カユーはイーヴィに、「それは何です?」と首を傾げる。
「……。もう一人は、私が告げた段階ではまだ迷いがあったらしいが、――『救助』に来て下さった方の誠実さに触れて、川を渡ることを決めたようだ」
カユーの問いに、イーヴィは、言葉では無く風呂敷包みを解くことで答える――暗がりの中でそれが直ぐには何なのか分からなかったが……ランプの炎が揺らいで「直方体」の角を一瞬輝かせた時、カユーが驚いて口元を覆った。
「そ、それは……」
砦や基地の礼拝所に置かれた簡易版とは違う、重厚にして真正の〝聖生大典〟。
風呂敷に包まれていた箱の蓋をイーヴィが開けると、そこには〝経紙片〟に抹香、香油……。
「救助に来て下さった……サリーさんというナースの方が、『先生から言付かった』と云って、下さったんだよ――大きな物は余計かもしれないが、消耗品は幾らあっても困らないだろう、と……。実際、消耗品は完全に無くなっていたから、とても……有り難いことだ」
「……」
「――サヴァナの筆頭殿から私の申し出を告げられた先代の筆頭殿が、気を利かせて、サヴァナに居る〝導師〟にも、前もって話を付けてくれたようでね……。亡命してきた者が改宗するのでもない限り、あちらでも〝礼拝〟の指揮は執ってくれると……約束して下さって――。サリーさんは、若い女性……いや、少女と云いたい程、無邪気で朗らかで輝かしく、それでいて正にナースらしい落ち着きと慈愛を……持ち合わせた方だったよ――」
カユーが軽く下唇を噛む。
「シド君――君には、私がその時、どんなにか無念で、恐縮し、導師にあるまじき妬みを感じて、同時に感動したか、分かって貰えるだろう? ――サヴァナでは、敵国と同じ信仰を持つ者が、差別も迫害もされていないんだ。それに、サヴァナに居る同胞も、己の所属する集団と敵対している国の信徒を、無視、排斥、嫌悪していない」
「……っ」
カユーは、目頭が熱くなるのを堪え、ぎゅっと鼻の頭に皺を寄せる。
「だのに、我々は、『ただ魔法使い』であるサヴァナの民より余程、サリーさんのような『サヴァナに属す信徒』の方を、背信者として強く憎悪している――タケヨシ殿は、それも知っていて……、『国家』が、『敵』を『悪魔』と呼んで始めた戦争に、付き合っていたんだよ」
「イヴ様――」
「シド……私が、……どんなに情けない想いをしたか、分かって貰えるか――」
〝聖生大典〟に両手を被せ、俯き加減になって、イーヴィが声を震わせた。カユーは顰めっ面のまま頷き、彼もイーヴィと手を重ねる形で〝聖生大典〟に触れた。
――イーヴィが、こんなふうに弱音を吐くところなど見たことが無い……。導師と導師で言葉を交わしているからだろうか――ライズは、多少後ろめたく、いたたまれない気分になった。
だが、己の〝主〟がイーヴィだと、ライズの心は既に定まっている。イーヴィにもこんな「弱さ」があるのならば尚のこと、己は、サヴァナだろうが本国だろうが、イーヴィに害なす者があれば許さない――ライズは膝の上でグッと拳を作った。
しばし静寂の時間が流れ、イーヴィは荷を元の位置に戻してから、軽く鼻を摘まんだ。
「それで、カユー君――」
「はい」
気を取り直して、と云う風に、イーヴィが冷静な声色を取り戻して口火を切る。カユーも、背筋を伸ばし真剣な表情で応じた。
「既に伝わったと思うが、私は今、国家から見れば完全な裏切りを働いているのだ。君がもし、この状況を見過ごせないと思うようなら、済まないが、私は君を拘束しなくてはならない。脱出した隊員と違い、川向こうに移送して、軟禁して貰うことになるだろう――君は今、何を感じている」
真っ直ぐにカユーを見つめて、イーヴィが問う。カユーは一つ息を飲んでから、腹に両手を当てて答えた。
「拘束や軟禁等には及びません。――フリアイ導師、イヴ様……動揺はしましたが、今に至ってつくづく――」
カユーがライズにも一度、真っ直ぐな視線を向け、
「彼と、『タロー殿』に助けられ、イヴ様の下に辿り着けたことに、感謝しています。――この『裏切り』が、〝神〟の御目に罪と映るのならば、私にも、罰を受ける覚悟は出来ております」
「――そうか」
頭を垂れたカユーへ、イーヴィも厳かに頷いて見せた。
「しかし……イヴ様、今後はどうなさるおつもりで、このように深くサヴァナの御方を受け入れてらっしゃるのですか?」
「救命信号への応答」という範囲を超えていることは、既にカユーにも感じ取れている。具体的に、イーヴィは何をしようとしているのか……。
「それも、詳しく語るのは後にしよう……。簡単にだけ云っておけば、『しばらく潜伏』、それだけだね」
「潜伏?」
「そう。現体制に不満があるからと云って、反旗を翻すつもりは無い。サヴァナと手を組んで都に攻め入ろうなどと企んでもいないよ。中央政庁と大導師長が『どういうつもり』であるのか、それを探りたいだけなんだ。――サヴァナの御方も、戦争やEV隊とは関係の無いところで、砂漠側で『やりたいこと』が出来たそうでね……我々に協力することで彼らにもメリットがあるから、親身になってくれているのさ。『敵方』であることを忘れてはならないが、背後を気にするほど警戒はしなくても良い」
「はあ……」
軽く肩を竦めながら云ったイーヴィに、カユーは曖昧な相槌を打った。
完全には納得出来ないという態度であったが、
「さて、では今度こそ休もう、カユー君。この砦は就寝室が随分余っているから、どれでも好きな部屋を選びなさい。――ライズ君、空いた部屋を教えてあげなさい」
そう云ってイーヴィが先ず立ち上がり、部下二人を促す格好になった。
続いて、隊長に頷きを見せながらライズが立ち上がる。カユーの脇に立って手を差し出しながら、
「足下は大丈夫でしょうか」
と声を掛けた。
多少戸惑った表情のまま、カユーは椅子を引き、背もたれとテーブルに手を突っ張りながら立ち上がる。
「……もう、肩を貸して貰うほどでは、なさそうだ。ありがとう」
掌を翳す仕草で、差し出されたライズの手を辞退し、カユーが云う。
廊下を歩いて来る時に持参したライトをライズに持たせ、
「では、二人ともお休み」
イーヴィがそう云って、両手を広げ、二人を促す。カユーとライズが先に礼拝所を出るよう、見届けるつもりなのだ。
お休みなさいませ、とイーヴィに返し、二人が姿を消すと、イーヴィは再び椅子に腰掛けた。
肘をついて額の前で手を組み、ふぅ……と大きく息を吐く。
祭壇の前で一人きりになり、長い一日を反芻する。
しかし、このまま深呼吸を繰り返していると居眠りをしてしまいそうな自覚もあった。
かっと目を開き、すっくと立ち上がって、祭壇画に一礼すると、イーヴィもやっと、ベッドに向かった。
【五日後のサヴァナ】
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