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「〝花ちゃん〟が施したのは、消毒と包帯と湿布だけですか」
剛義達の――義理ではあるが――身内である分、その呼称が使われている「場」であれば、リーチもそれが自然と出てくる。彼の言葉に、エ=ドンは小首を傾げ、
「ハナ殿は、抜糸もやってくださいました。――ああ、いえ、その前に、彼女の助けは何より、点滴を私に施してくれたことですよ。彼女のおかげで体力が回復して、今、頼りなくはあっても軍医としての務めを果たせた」
そう云って苦笑を浮かべた。
「彼女は『ナース』ということですから、医者からの指示無しには、他に何をすべきか、決められなかったでしょう」
リーチの顰めた眉と思案げな表情から、彼が何を考えているのか同業者として何となく察し、エ=ドンは「彼女の判断と処置が間違っていた訳では無い」という意味を籠めて、そう云った。
「ハナ殿は、抗生物質も含んだ点滴を開始すべきか、と尋ねても下さったのですが、私が栄養剤だけで良いと答えたもので――」
「……そうですか」
はあ、と息を吐きながらリーチが頷き、
「この砦に、〝レントゲン室〟は無いんで?」
隅に転がっている超音波検査機へチラリと目を向け、改めて尋ねた。
「有りません。――打撲を越えて骨折が疑われる負傷兵は、もう一つ後ろのラインの砦に移送することになっているんです、原則は」
「――」
原則に従うことが出来なかった、金輪際出来ない、訳か。
リーチがエ=ドンの顔を見上げ、冷静な声で問う。
「欠けてるかヒビか折れてるか――御自分でも、骨がいってる予想は出来てるんですよね? 今んとこ皮膚に壊死が見えてはいませんが、皮下で血腫が出来てる可能性も否定出来ませんよ、このまま放っておくと切断する羽目にならないとも限らない。貴方こそ――亡命というのじゃなく、ちゃんとした検査と治療のために、一旦、サヴァナにいらしてはどうです」
後ろのラインに下がれないなら、いっそ前線を越えれば良いのだ……と。
――リーチが「誘惑」「懐柔」をしようとしているのじゃないことは判っている、純粋に「心配」してくれているのだ。しかし、エ=ドンは迷う様子も見せずに首を横に振った。
「そうした『医師の見解』を知ってしまえば、恐らくイヴも、私にそれを勧める……いえ、命令までするでしょう。だから私は黙っているのですよ」
「……」
「私自身、もう己を『軍人』ではないと思っています。だからこそ、足の一本を切断する羽目になったとて困ることもない――死にさえしなければ良い。今のイヴの傍らから離れることは、私が生きている甲斐を失うことです」
それほど熱の籠もった声ではないが、云いよどんでいる訳でも無い――強い意志を感じる。
「元々『野戦病院』というのは、野蛮な治療が普通ですよ。貴方方がいらっしゃらずに足が腐りかけでもしていたら、自分で切り落とす覚悟はしてました――まあ、その前に、脱水で死んでいたかもしれないのですが――。それを思えば、貴方方がいらしてくれた今は、相当恵まれています」
「まあ……それはそうでしょうけどもね」
ふう、とリーチが溜息をつく。
エ=ドンも、リーチが目配せした超音波検査機に視線を向けた。
「あれが無事であってくれれば、切断ほど雑な処置ではなく、切開して血腫だけ取り除いたりも考えていたでしょうが、あの通りですから――サヴァナの御方、修理は出来ませんでしょうか」
「ああ、そうですねぇ……――蹴倒されただけならまだ望みがありましたが、一回撲られた様子がありますからねぇ、ああいう精密機械は流石に、『ちゃっちゃ』と直るものじゃないでしょうな……」
リーチがそこで太狼にも顔を向ける。太狼は肩を竦めた。
「いくら兄やんより俺の方が手先は器用でも、そげな専門的な機械は一人じゃ修理しきらん。兄やんに付いち貰うて細かく指示を受けりゃ何とかなるかしれんけど、あんたはあんたで、やることがあるやろ」
「まあ……、それもそうだ」
「修理が難しいち云うんなら、百代姉ちゃんに連絡して後続の衆に云うち貰うち、サヴァナにあるのを持って来さしたらどげぇな。診療所のおっけなんだけじゃねえで、往診用の、簡単じゃけどこんめなんもあるやろ?」
鎮痛剤と水を処置台の上に準備した六花がリーチに云うと、彼も「ああ、それが良いッスね」と口元を綻ばせながら大きく頷く。
それからエ=ドンを見上げた。
「決まりだ。工員が来るときに、検査機器も持って来て貰います」
「恐れ入ります――」
「隊長さんに添うて居りたいっていうエ=ドン先生の意思は尊重しますが、検査の結果によっちゃ、この先は痩せ我慢で『熱血医師』しようとせず、此処で可能な最善の処置をちゃんとやって、安静にすることを約束しちゃ貰えませんか。――そうでなけりゃ、俺もさっきの貴方と同じように、無理くりにでもサヴァナの百代さんちに搬送させますよ」
多少困惑した表情も見せながら頭を下げたエ=ドンに、真摯な声でリーチが続ける。するとエ=ドンは薄く笑みを浮かべて、「心します」と返した。
そんじゃ取りあえず、とリーチが傷を消毒し、湿布と包帯を取り替える間に、六花がエ=ドンに薬と水を手渡す。
処置と服薬を終え、エ=ドンは再び背もたれに身を預けた。
その様子を見届け、六花がライトを手に取り、エ=ドンの背後に回る。
「私が寝室まで車椅子を押しますよ、エ=ドン先生。案内して下さい」
「え、いえ……大丈夫です、自分で漕げますよ」
肩越しに振り返り、エ=ドンが微かに焦った声を出す。
「遠慮することぁないです。もう相当疲れておいででしょう、楽出来るときには楽すりゃいいんですよ」
「いえ、本当に、大丈夫ですから」
もう少し焦った顔と声になって、エ=ドンは固辞する。そんなやりとりに、太狼が苦笑して姉に声をかけた。
「――姉ちゃん、イー・ルの男性は、年齢関係無く、相当『硬派』か『奥手』のごたるで。遠慮しちょんのじゃねえ。軍事施設なんじゃけん『私室』じゃあねえちゅうても、異性に『寝室』入らるんのは嫌なんじゃわ」
「あらま」
六花が目をぱちくりとさせた。エ=ドンは、太狼のからかい混じりの声色に多少眉を顰めつつも、否定はしない。
フローラは「紳士」と表現していたが……成る程、「硬派」か「奥手」、そういう表現もあるか。
「それはまあ、デリカシーの無い事を云うてすいませんでした」
そう云うと、六花はドアの方へ視線を向けた。エ=ドンが「こちらこそ、すみません」と少しばかり口ごもる。
六花はエ=ドンの正面に立ち、懐中電灯を手渡すと、少し腰を曲げて彼の顔を覗き込んだ。
「……しかし、それにしたってね、エ=ドン先生。性別意識したせいで、ナースに身を委ねるのを断固拒むようじゃ、行きすぎってもんですよ? ナースにしてみたら、『患者』に老若男女の別はありゃせんのですから、痛い時は痛い、苦しい時は苦しい、助けて欲しいときは助けて、って、異性同性気にせんと云えば良いんです」
六花は、まるで子供に云い聞かせるように顔の横に指を立て、エ=ドンに語った。
エ=ドンは微かに戸惑いの表情を浮かべた後、苦笑して、
「それはその通りですな……。医者も同じです」
と頷きを見せた。
六花はスイングドアまでは車椅子を押してやり、
「リーチ君は朝から何事かやることあるんでしょ、仮眠取った方が良いでしょうから、私が医務室に控えておきますよ。あの子の具合が悪くなった時、誰も居ないのは困るでしょうしね」
オリバーが寝入っているベッドの方に顔を向け、エ=ドンにそう宣言した。エ=ドンは「宜しくお願いします」と返す。
「搬送口の扉、真ん中に閂があります。それを閉めておいて貰えますか。大きな閂の方は必要ありません」
六花が扉を掌で押さえておき、エ=ドンが一漕ぎしながら彼女に云った。
「承知しました、お休みなさい」
「お休みなさい、有難うございました」
エ=ドンが闇に向かって懐中電灯を照らし、去って行く。
六花は振り返り、
「リーチ君、太狼、あんた達はもう寝なさい」
義理の甥と弟に向かって母親のような口調で云った。
ほれほれ、と二人を搬送口の方にせき立て、苦笑混じりに「お休み」と返した二人が外に出ると、六花はエ=ドンから云われた通り、閂を閉めた。




