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――軽い脱水症状、熱中症の様子があったので、一先ず体を楽にして熱を放散させるためだけに、ライズには靴を脱がすよう頼み、リーチはベルトを外し始めたのだったが……シャツに手を掛けようとしたところで「ん?」と眉を寄せた。
どうかしましたか、と緊張した声でエ=ドンが問う。
リーチは口に咥えたライトを手に持ち替え、エ=ドンの問いに答える前に、ザッとカユーの上半身を照らした。
眉を寄せたまま、リーチがエ=ドンへ、
「……シャツに血痕がありますよ」
と云いながら、襟と右手の手首辺りへライトを向けた。
「む」とエ=ドンも眉を寄せる。自分が近いのはそちらだから、襟の方へ顔を近づけた。
リーチの云う通り……首から胸に掛けて、血がポタポタと落ちたような染みが見える。――「兵服」なのだから、それも当たり前と云えるだろうが、これは、余り古いものじゃない……。
「怪我してるのかもしれませんね」
リーチが再び口にライトを咥えて手元を照らしつつ、ボタンを手早く外す。幸い、インナーも前開きのスナップボタンだった、一気に両側に開いて肌を顕わにする。
そこで「おや?」とリーチとエ=ドンの両方が、拍子抜けした風に目を見開いた。かなり古い銃創や火傷の跡はあるが……兵服に見えた血痕の位置に、予想した出血量と見合う傷が確認出来ない。
というより……この血痕から予想出来る傷を負っているなら、こうも安らかに寝入ることは出来ないのじゃなかろうか。
リーチが袖を捲って手や腕も確認したが、こちらも同様だ。
「鼻血か……歯が折れた? ……にしては、多すぎるか――? ……もしかして、返り血なんかな」
「――彼に何があったのかは、覚醒した後に尋ねるより他ありませんが……他の兵士の服を拝借した、ということも考えられますな」
リーチとエ=ドンは顰めっ面を見合わせて、溜息をついた。そこに、六花が薬剤等を乗せたトレイを携えて戻ってくる。処置台にトレイを置きつつ、
「戦争してんですよ。まして患者は兵士、彼に起きたドラマに思いを馳せてる場合ですか、先生方」
若干、呆れたような響きのある声を、二人の医者に掛けた。
「怪我が無いなら、それで良し。切り替えて、その他の部分を診なさいよ」
リーチとエ=ドンは、一瞬ぽかんとした後で、今度は無理矢理に苦笑を見合わせた。
「それもそうッスね、姉さん」とリーチが六花に返し、改めて聴診器をカユーの胸に当て、エ=ドンは、六花へ血圧計を託した。
イーヴィに促され、ライズが報告する。
トーチカの位置発信をレーダーで捉えた後、SOSと思しき無線電波も受信したが、かなり弱かったので、SOSだと確信は持てなかった。到着後、少しして、その無線も途絶えた。
無線が途絶えたと認識した後、先ず、太狼と共に車両を確認した。その際、車両の方に爆薬等の罠が仕掛けられている様子も無かったので、改めて車載機器を確認した。太狼が車両の機関部を確認し、電源が不能になっていたところからして、SOS信号は車両から発進されており、それが我々の到着直後に切れた――と推測された。
そこで、トーチカの「呼び鈴」にライズ一人で向かうと、弱々しい声で誰何されたので答え、続けてカユーが名乗ってきた――
「この段階で、自分は、罠の可能性を完全に消しました」
「それはそうだろう。私も、君からカユー君の名を聞いて、少しホッとしたくらいだったから」
ライズの言葉にイーヴィも大きく頷き、「それで」と先を促した。
ライズは南東ハッチのロックを外すよう依頼し、其処から内部に入ったが、カユーもロックを外した後、自ら脱出しようとしたらしく、呼び鈴と梯子の中間辺りで、頭をこちらに向けて倒れていた。それで、太狼にも助力を頼み、収容して帰還した。
「そうか……。ご苦労だった。タロー殿にも、お世話になりました」
ライズに労いの言葉を投げ、イーヴィは太狼にも軽く頭を下げた。
「……ライズ君、それで、カユーは――丸腰で、一人だったのか」
改めてイーヴィが尋ねると、ライズは一瞬息を飲み、「は、はぁ」と答えた。歯切れの悪い返事に、イーヴィは一瞬目を細める。
「――。物資は、最近補給されている様子だったか? 兵糧は残っていたのか」
ライズが「う…」と口ごもる。太狼が直ぐに飄々と、
「居たのは彼一人だけで、兵糧という意味の物資は、全然残ってなかったですよ」
とイーヴィに云った。
「蓋がちゃんと閉まってなかったらしく、羽虫が溺れてしまってる、水か酒の瓶が一本と――『蛆が集りはしたものの羽化出来てなかった』ってぇガッチガチで食えたもんじゃない、拳くらいの干し肉が転がってはいましたがね。――潤沢だったのは弾薬だけです。鉄砲の弾が詰まってる、この位の大きさの木箱が二つありましたよ」
太狼が両手を使って大きさを示しつつ、そう云った。
「……ちなみに、生きてる人間は彼一人だけ、って意味でも無いです。『死体ならあと一人二人転がってた』ってこともない、彼しか居なかった」
「そうですか――」
イーヴィが太狼の言葉を受け取った後、若干失望が混じったような声で、
「……その報告は、君から聞きたかったな、ライズ君」
と彼に云った。ライズも一度唇を噛んだ後、「申し訳ありません」と返した。
それで太狼の方が余程、気を悪くしたふうに目を細めた後、
「だったら、彼に暗視ゴーグルでも持たせとくんでしたね。あれば、ですけど」
と口を尖らせてイーヴィに云った。
イーヴィは「…む」と喉で唸り、ライズは驚いた顔をして太狼の横顔を見上げる。
「俺がそれを確認出来たのは、俺の目がかなり良い、相当夜目が利くからってだけッスよ。――中と外でたった今口を聞いた、それもかなり弱ってるっぽい人が、中入ってみたらぶっ倒れてた、でも生きてる、って状態だったんだから。まして、それが『悪意を感じない同胞』だったとなりゃ、そりゃあ、救出が最優先で当たり前でしょう。既に手遅れ、完全に息絶えてたってんなら、ライズ君も『彼が何故こういうことになったのか』推察すべく、ゆっくり現場検証をしてたでしょうが」
「――」
「でも、そうじゃねえんだから。ライズ君は、俺が貸した小さいペンライトしか持ってなかったし、内部は熱が籠もってて、まだ本調子じゃないライズ君自身、あんまり長居しない方が良い環境でもあった」
「――ご指摘、ごもっともです」
イーヴィは太狼にぺこりと頭を下げ、
「済まなかった、ライズ君」
と部下にも真摯な声で謝罪した。
ライズは慌てて手を振り、「い、いいえ!」と首も大げさに振る。それから改めて太狼の横顔を溜息混じりに見上げる。
「反論」ではあったが、特別イーヴィを責めるつもりは無かったようで、口を挟んだ時ほど表情は険しくなく――同時に、ライズを「庇う」つもりでもなかったらしい。殊更「訴える」口調でもなかった。
ただ、太狼は太狼なりの「筋」を、イーヴィに告げなければ気が済まなかっただけのようである。
決して、彼に「好意」を持っている訳では無い――意識してそれを持たないようにしている部分もあるが――スォ=ハムやウィトが抱いているらしい「兄貴分のような信頼」というのは、こういうところから来ているのか……、それをライズも納得はした。
「ああ……そうだ。異様なことが一つだけ」
太狼が指を鳴らして、何か思い出した声を出す。
「異様ですって? ――何ですか」
サッと表情を変え、イーヴィが渋い声で訊くと、太狼は一度苦笑して肩を竦めた。
「いや、俺は大方想像ついとるんで、そんな深刻なことじゃないんスけど。――リーチ兄やん、さっき、その人のシャツに血が付いちょるとか云いよったやろ」
ストレッチャーの方へ顔を向けて太狼が云うと、リーチとエ=ドンも顔を上げ、太狼に
「心当たりがあるのか?」
とリーチが尋ねた。
リーチには軽く「うん」と頷くだけにして、太狼はイーヴィに向かって答えた――それは、「トーチカの状況」を報告することでもあるから。
「空間の角っこに、首斬られた蛇と蜥蜴が何匹か、それとナイフが転がっとりました。――多分、そいつらの血で水分補給したんじゃなかろうか」
太狼は随分あっさりした口調で云った。成る程、異様と云えば異様である。一瞬、イーヴィとライズは顔を顰めた。
だが、「納得」も出来る――イーヴィやライズより先に、エ=ドンとリーチが顔を見合わせた後、改めてシャツの染みを見て、「あぁ……」と納得する溜息を吐き、こくりと頷き合った。
「成る程、そう思ったら、自然な染みだ」
「口開けて上向いたところに、シッポ掴んで雫落とす格好だったら、こんな感じになりそうですもんね」
それもかなり不気味な想像ではあるが、「同胞の返り血」「同胞から奪った衣」という嫌な予想よりは真実味がある……特にエ=ドンは、しみじみと安堵して胸に手を当てた。
ライズも、「そういえば」とパチパチ瞬きをする。トーチカに入った時、すえた臭いが漂ってきた――あれは、成人男性が閉じ込められていたが故の汗臭さだけでなく、腐臭か錆の臭いが混じったようなものだったか。かと云って、それほど強烈な臭いではなかったから、「人の死体が転がっている」予想は全くせず、気絶したカユーにだけ気を取られた……と――。
「俺は、カユーっちゅうこの人の事を全く知らんから、イビさんやライズ君と違うて油断していい人物かどうか分からんかった訳やけど、――そのグロい風景見て、却って感心しましたよ。イビさんはさっき、『一体彼がどういう凝りを持っとる人間かも分からんのに』と仰ったけども、俺はそれ見た時に、少し警戒を解いたなぁ」
「……どういう意味です?」
え?とイーヴィが目を細める。
「……そうそう、イビさん、彼が『丸腰』だったかどうかも気にしてたッスよね?」
「え、ええ……それが?」
「トーチカの端っこに、最初あんたさんから突きつけられたのと同じような小銃が転がってはいました」
少しばかりからかうような笑みを浮かべて太狼が云うと、イーヴィは気まずそうに小首を傾げた――が、直ぐに「ん?」と目を細める。太狼はイーヴィにコクッと力強い頷きを見せた。
「仮に、転がってた小銃が弾切れだったとしても、『弾』は、幾らでも補充出来たんですよ? ――飢えと渇きで死にそうな時、銃とナイフは持っている、という状況で、『自決』を選ばず『蛇と蜥蜴を狩る』方を選んだ、ってのが判るじゃないッスか。『まだ死ぬもんか』とは思うていた筈、あんたがたと同じくらいに『救助し甲斐がある人物』とは感じましたよ」
「……」
ああ、そうか――と、イーヴィがストレッチャーに顔を向けた。
「――俺達が此処に居るのを、受け止めきるかどうかは俺も分からんですが」
「そこは――後は、私次第です。私の説明と裁量に全て掛かってきますので、タロー殿には――サヴァナの皆様には、何のご心配も無く」
「……。そうですか」
イーヴィが冷静かつ真摯に云い、太狼は一瞬目を細めてから頷いた――イーヴィの目の色を見て、
〝ああいう人は、自分の芯に偽りが無ければ『命が惜しくない』と考えるから危ない〟
――と剛義が云っていたのが思い出され、「成る程」と合点し、同時に、その悲壮感に、胸の中でだけ溜息をついた。




