【a5d:svn】(3) -[3]-(3)
「彼にとって、イー・ルは『故郷』ではない、と云っていた。仮に戦争が終わって軍から解放されても、イー・ルという国が今のまま、己に『イー・ル国民』とのレッテルを貼って支配するなら、もう、戦争のどさくさに紛れて今のうちに逃げたい、と」
「ああ……」
感慨深げな溜息をついたのは、スォ=ハムだ。
――リモの故郷は、「砂漠」だ。元々は、砂漠の中に点在する小さなオアシス、その集落を行き来しながら遊牧と交易で暮らしていた名もなき「漂泊民族」の出なのだ――それを、「信仰」が同じというだけで強引に「イー・ル国民」の名札を貼り、捕まえるように、都や都周辺の集落へ定住を強いた……それがイー・ルという「体制」だ。
リモは、その三~四世代目になるから、漂泊していた時代を自身では知らないだろうが――イー・ルは、リモの「祖国」などではないのだ、むしろ「民族の仇」だ。
「――彼にとって軍、イー・ルに居る理由は、もう『君』以外に無い、というところだったのだろう。その君が、亡命を許してくれると云うのなら、リモ君に迷いは無い、『イー・ルから逃れたい』と即答だ」
「……そうか」
「勿論、イヴ、君と――スォ=ハム君のことは気になっているようだが」
エ=ドンがちらりとスォ=ハムに視線を向ける。スォ=ハムは目をぱちくりとさせた後、訳も無く「申し訳無い」気分になり、目を逸らすように俯いた。
「現実的に考えても、今の自分が皆の役に立てる場面も無いだろうし、医務室や就寝室を占拠して迷惑をかけるのも申し訳無い、と」
成る程、とイーヴィが息を吐きながら頷く。それには、スォ=ハムも「そっか……」と神妙に頷いた。
イーヴィが隊員達の方に向き、
「――君達も、どうするか考えていてくれ」
と改めて述べた。
「急ぐ必要は無い。今日はこれで解散とする――バスルームがまだ使えないからシャワーは無理だが、サヴァナの御方がエントランスに食糧と水を置いてくれている、必要な者は持って行きたまえ」
そう云って、イーヴィがエントランスに向けて足を踏み出すと、その背中に、
「隊長」
と声を掛ける者が居た。振り返ると、チォである。
彼は、肘を曲げて小さな挙手をし、
「――私も、サヴァナに向かいます」
と小声ながらはっきりと述べた。
立ち上がったままのライズが、「チォさん……!?」と声を裏返した。
チォはそんなライズに何の反応もせず、隊長にだけ目を向けていた。
イーヴィが訝しげに目を細める。意志を問う、と云ったのに、チォの目には、真摯な様子が感じられない、何だかぼんやりと――生気が無い、と云ったふうに淀んでいる。
結論を出した者に敢えて理由を問うことは、出来るだけしないつもりだったが……、
「何故そう思ったか、聞いても良いかね」
とイーヴィが云う。チォは小さく頷いた。
「――リモ君の話を聞いて、私も『決心』が付きました……まず何より、私がこんな状態で砦に残っていては、皆の足手纏い、お荷物にしかならんでしょう」
力ない苦笑を浮かべて、チォは車椅子の車輪を軽く叩いた。
イーヴィが、ピクッと片眉を上げた。
「チォ君、そういうのは、『遠慮』と云うのだよ。私は君に、『君の意志』を訊いたのだ」
リモの言葉は「自分の決心」の中に「周囲への遠慮」が含まれていたが……、今のチォの言葉はそうじゃない。
「いえ、私のも『決断』、私の意志です。――リモ君と同様、今のは、『目の前の現実』だけを、先んじて云ったのでありまして」
チォは軽く首を振ってから一つ溜息をついた。
「イヴ様の話も聞いて、つくづく――自分の心を理解しました。イヴ様……、リモ君は、イー・ルを『故郷じゃない』と云ったようですが、私にとって、イー・ル体制は明白に『敵』です」
独り言のようにぽつぽつと、チォが口を開く。
「――『戦争』をしているのですから、『敵方』のサヴァナから怪我をさせられたこともあります。が、それは『戦争』なのだから当たり前のことです――私には、サヴァナに何の恨みも敵意も無い」
「……」
「よくよく思い返して、私の『不幸』は全て中央政庁の決定からもたらされていると……感じ入ったのです。軍事費予算の拡充案とCFC・エグメリークとの同盟条約に反対意見を述べた時より、私の人生は掻き回されました。財産を没収され、女房子供とは離婚の強要で引き離され、私自身は軍兵養成所に送られ……」
チォは元々、富裕階級の中でも「国家中枢」に有益な事業を為した人物・家に与えられる、「聖院予備層」の出である――本来なら、兵役を免除される市民階級の筈だった。彼もまた、中央政庁、大導師長の一存だけで「前線に送られた」者なのだ。
「私が軍属に甘んじているのも、『イヴ様の隊員になれたから』、理由はそれだけです。イヴ様以外に、私が『軍人』、『兵士』である理由など、ありはしないのです」
「チォ君――」
「私の恨みと憤りと敵意は、イー・ルに向かっております――そのイー・ルが設定した『敵』に、どうして私が『憎悪』や『敵意』など持てましょうか。まして、先代様も含めフリアイ様に導かれながら〝経典〟を理解するよう努めてきた私も、あのお三方を『悪魔』などとは決して呼べません、〝経典〟には、あの方々を悪魔と『呼んで良い』などとは書いておりません」
「――」
「それを『悪魔』と呼ぶのならば、まさにイー・ルこそ、〝神〟の敵たる悪魔です――そんなイー・ルに、私は忠義など持てません――イヴ様は、体制に一途なのが『軍人』だと仰いましたが、ならば私はもう、『軍人』ではありません。この砦に居る理由はありません――」
イーヴィが険しく眉を寄せる。それに対して、チォは薄く力ない笑みを浮かべた。
「かと云って――ご安心下さい、イヴ様。その敵意を、クーデターやテロに向かわせるほどの『熱』も私にはありません。つくづく、『母国』『祖国』とも呼ばれぬ程に愛想が尽き、冷めているだけです――まあ、たまたま肉を捌いている時に大導師長やグ・ルグが目の前に現れでもしたら、斬りかかる衝動を抑えきれるか、自信はありませんが」
「――」
「そんな『罪』を犯して〝神〟を裏切るのも不本意でございますから――、二度と大導師長や中央政庁と関わらずにおられる遠い場所へ、私は逃げてしまいたいのです」
「……そうか」
「〝経典〟とイヴ様への忠誠は、全く揺らいでおりません――だからこそ、命の恩人でもあり、イヴ様が信頼をお寄せになっているタケヨシ殿とサヴァナの御方へご迷惑はお掛けしないことを約束します。イヴ様が、イー・ルのことをまだ諦めておいででないと云うのなら、私も恨み辛みは抑えるよう努力致します。ただ――、イー・ルに仇為すつもりはございませんが、今後の私の生き様が、もしや『敵方』に利することにはなったとしても、それはご容赦下さいますよう、お願い申し上げます」
「……。それは当然だろう」
チォが恐縮そうに云うと、イーヴィは微苦笑を浮かべた。――ライズが、突っ立ったまま、顔を顰めている。
「イー・ルに背を向けた後、サヴァナに居着くものやら、もっと遠くへ離れるものやら、いずれにせよ、これで今生のお別れになるのかもしれませんが――フリアイ導師様から賜った金言や御恩を忘れることはありません。私を絶望の淵から掬って下すって有難うございました……」
車椅子に乗ったまま、腹の上に両手を乗せ、チォがお辞儀した。
イーヴィは一つ息を吐いて、彼の正面に立ち、
「貴方の前途は必ず今より明るい」
そう云うと、チォの肩に両腕を回し、背中をぽんぽんと叩いた。
イーヴィが離れると、チォは項垂れ、
「お言葉、有難うございます…」
と嗚咽を漏らし、ぱたぱたと膝に雫を落とした。
イーヴィはそれ以上何も云わずに振り返り、エ=ドンへ
「医務室に戻ってくれ」
それだけ云ってエントランスの方へ歩き出した。
そんな隊長の態度を見て、焦った顔をしたライズが思わず彼の後を追った。そしてオリバーが、ライズを慌てて追いかける。
スォ=ハムが、クォンとウィトに顔を向けて、
「俺達……どうします?」
「――。それは、イヴ様から云われた『どうする』の話か?」
ウィトがスォ=ハムに訊き返すと、スォ=ハムは曖昧に首を傾げ、
「それもあるっちゃあある……意見、聞きたい気はしますけど。取りあえず、今はどうするかって意味ッス。おやっさんとウィトさんは、無線の発信無効化するの、始めます?」
すると、クォンとウィトが顔を見合わせ、二人とも「いや……」と首を捻った。
「そっちはもう、今日の所は止した方が良いだろうな。照明が手に入ったと云っても、やっぱり昼間の方が仕事しやすいし」
「そうッスよね。俺も、今の明るさで計器を見続けるのは、流石に辛いッス」
ウィトが同調したので、クォンはスォ=ハムに顔を向け、立ち上がりながら彼の背中に軽く触れた。
「タケさん達が、キャンプに使うような発電機を置いていってくれているようだよ。スォ=ハム、ちょっと確認しに行ってみよう。砦に繋げられそうなら、明日の作業の段取りを考えておける」
「あ、ウッス」
素直に立ち上がり、スォ=ハムもクォンと共に隊長の後を追う形になった。
「ライズ、何処に行く」
「――オリバー、エントランスの武器棚の鍵は、副隊長も持ってるよな、俺の小銃を出してくれ、まだ弾は少し残ってた筈だ」
足下が暗いことなど全く気にしたふうも無く歩いて行く隊長の背中を目で追いながら、ライズが答える。
「な、何故」
「サヴァナの連中を『招き入れる』んだろ、隊長は。護衛だ」
ちらっとだけ振り返り、顔を顰めてライズが云うと、オリバーも眉を寄せた。
「君はまだそんなことを……」
「そういう体は必要だ!」
オリバーの言葉尻に被さるように、ライズが吐き捨てる。
前を歩いていたイーヴィが立ち止まって振り返り、
「――君がそう思うのなら、好きにしたまえ」
ライズに向かって微笑を見せ、そう云った。
暗がりの中で、はっきり見えた訳では無いが――ライズは、その表情に何となく後ろめたいものが過り、顔を背ける。
エントランスでは、木箱の上にランプが一つ灯っており、別の木箱に〝懐中電灯〟を二つ置いていた。
しょうがないな、と云うふうに、オリバーが先回ってその内の一つを取り、キャビネットに近づいて鍵を開け、ライズを振り返る。
ライズは顰めっ面で小銃を取り、脇に抱える。
――それを、イーヴィは黙って待っていた。
イーヴィももう一つの電灯を手に取ったが、クォンとスォ=ハムもエントランスにやってきたので、
「どうしました」
とクォンに尋ねた。食糧か水を取りに来た様子では無い。玄関扉の方へ顔を向けて、外に出たそうだ。
「発電機を置いてくれたようなので、どんなものか、今のうちにちょっと見ておこうかと思いまして」
「ああ……」
合点した、という息を吐き、イーヴィは手にした懐中電灯をちらっと見て、
「では、こちらは貴方方が使って下さい」
クォンに渡した。
「オリバー君、我々の方は君が持っていてくれるか」
「分かりました」
そんなやり取りがあって、オリバーが前を照らしながら五人纏めて外に出た。――スォ=ハムは、小銃を肩から掛けているライズに、ちょっと口を尖らせていた。




