【a5d:svn】(2) -[3]-(3)
剛義は、腕を上げて、もっと遠くを差すように指を虚空へ突きつけた。
「今の倍、三倍も遠なったら、俺だってんあの蜥蜴は目に見えん。あんたもそうじゃろう。でも、千年前のイー・ル民族、特に砂漠の民は、そんくらい遠いでん、目で見しけきりよったかんしれんで? あの蜥蜴、内臓取ってからちょいと干して、炙ると美味いんよな」
「……」
「先に俺が『砂が崩るるけん見ちょけ』っち云うたきぃ、『予言』のごとあるが、あんたのご先祖さんに限らず、あの蜥蜴が食糧として貴重に見える人間は、『砂が崩れたけん、蜥蜴が居るんかもしれん』と考える。魔法やら悪魔やらの話じゃなく、理に適うちょるやろ?」
「――仰る通りです」
「今のあんたがたには信じられんくらいに目が良いだけなんを、『魔法』やら『悪魔』やら云わるるんは、ご先祖さんも心外極まりないじゃろ。他にも思いつくことは有る。イー・ルん人は、他と比べたことが無ぇけん自分じゃ知らんだけで、今でも相当鼻が良いかもしれん、特に『水の匂い』」
剛義は自分の鼻の頭を指さし、次にほっぺたをぺたぺたと軽く叩いた。
「あるいは『肌』で『湿気』感じるのに敏感かもしれん。千年前の人なら尚のことな。――さて、それで、鼻と肌が特別良い人が、『明日雨が降る』っち云うて本当になった時、千年前の周りのイー・ル人は、今のイー・ル人は、その人のことを『どう評価する』?」
「――」
「まだまだある。同じ年頃の子供と遊び回るよりも、年取って体の衰えた爺婆を世話しちゃる時間の方が多かったっちゅう物凄く心の優しい子供が、その間に色々教えて貰うた結果、相当若ぇ時分から、食える草やら薬草やらを良ぉ知っちょったり、手先が相当器用になっちょったり」
イーヴィは言葉で返答することは無く、体の横で無意識に拳を握った。
そこで剛義がイーヴィに顔を向けて、またしても、ニヤリと何だか嫌な笑みを見せた。
「……ダメ押しに、蝦さん、あんた自身が、千年前じゃろうが今じゃろうがよっぽど、同胞から『魔法使い』っち云われるかんしれん例え、出しちゃろうか」
「――は?」
剛義の言葉に、小首を傾げた瞬間、イーヴィの表情が硬く強ばる。
次の瞬間には、跳ねるように後ずさって片膝をつくと、丸腰であることも忘れて拳銃を取るべく腰に手をやった。
ニヤッと笑った剛義の口が、
「何をしてる」
と軍人に質問を投げた。
ツッ、と額に汗が伝った――ような気がした――イーヴィは掠れた声で答えた。
「貴公……今、私を本気で――殺すつもりじゃありませんでしたか。――殺気が……」
剛義の立つ位置に腹を空かせた巨大なライオン、あるいは、砂漠の民には本能的な恐怖の対象であるガラガラヘビが居るかのような……。そんな気配が、ほんの一瞬だったが、イーヴィに襲いかかってきた。
「ほら、それよ」
イーヴィの答えを聞いて、直ぐに剛義の顔は何の含みも無い微笑に変わる。太狼に兵服を貸してしまっているから、見た目は「休憩中の作業員」のようになってしまっているが、「中々に優秀な軍人」を剛義が指差しながら云った。
顔を顰めてゆっくり立ち上がりながら、イーヴィは苦々しく「何が――」と呟く。
「実際、本気であんたを殺すくらいのつもりで眺めたんはそうじゃ――体調が万全じゃねえのに、驚かして済まんかったな――。しかしな、殺気なんか云う、目に見えん、ホントにそげなもん、有るんかどうかも解らんもんを感じられるあんたは、『何者』なえ」
「――」
「これで、俺が背後に立っちょったんじゃったら、あんたは背中に目が付いちょるごつ、避けるか反撃するかしたろ? ――今、この『砦』は、不意を突かれて『背中に切りかかられた』ようなもんじゃけどよ、そういう比喩じゃなく、〝少将〟が本当にナイフか銃持ってあんたを殺そうと背後に忍び寄ったら、どげぇなっちょったな。それならそれで〝少将〟は、『背中に目が付いちょる悪魔』じゃっちゅうち、嬉々としてあんたを罵るところじゃねえか?」
そこでイーヴィも、表情を緩めた。自嘲めいた笑みが浮かぶ。
彼に肩を竦めて見せ、剛義が腕を組み、少々真面目な顔、声でイーヴィに云う。
「ただ、な。蝦さん、あんたの『それ』は、俺達から見ても微妙なところではあるんよ。『只の例』とは云いがたい、〝少将〟の言い分を『難癖』と云い切ってしまうことは出来ん、っちゅう、な」
「……」
「自分でも、そう思わんかい?」
イーヴィは剛義の言葉に目を細め、眉を寄せたが、――小さな頷きを見せた。先程、自嘲気味の苦笑が浮かんだのは、彼の云う通り、「思い当たることがあった」せいだ。
「あんたのような鍛えられた軍人とか武術の達人とかが感じる『殺気』『気配』っちゅうやつはな、〈魔術〉の範囲と、少ぅしばかり重なっちょる……っちゅうたら何か違うごたるなぁ、何ちゅうか、境目がぼやけちょるというか、滲んじょるというか……、そういう感じのもんなんよ。〈魔術士〉が〝理〟として感じちょることを、あんたがたは自己鍛錬で、〝この世〟の〝自分の肉体そのもの〟に覚え込ましちょるというか……そげな感じじゃろうか」
腕を組んだまま、剛義も「どう云えば良いやら」と困ったふうに首を捻りつつ云い、イーヴィの顔を見て苦笑を浮かべた。
「あんたはそれが不本意かもしれんが、何にせよ、『背中に目が付』いちょるごつ、背後からの攻撃が『分かる』っちゅう能力は、それをしきらん人間にしちみたら、『魔法』んごとある」
「……それは、実際――そうでしょうね」
「そげぇ考えると、〈魔術士〉が〈魔術〉と呼ぶものを、千年前のイー・ル人も〈魔術〉とは、もしかしたら呼ばんかったかもしれん――そういう術も、実はあったりするんじゃけど、今の俺には知り得ん。しかしそれは『千年後』でも同じじゃ。千年後のイー・ル民族も、その時代の〈魔術士〉も、実は〈魔術〉とは呼ばんもんを、俺達は〈魔術〉と思うちょんのかもしれん。――それでん、今の〈魔術士〉が〈魔術〉と思うちょるものが、千年前も千年後も、やっぱり〈魔術〉でもあるかもしれん」
「――」
「それを、千年前のイー・ル人や今のあんたがたが、『神の御業』『悪魔の所業』、どげぇ呼ぼうが、俺達は知らん、どげぇでんいい。――ただな」
其処で剛義が一つ、大きな溜息を吐き、
「他よりか相当目が良くて食い物を見つけるのが早ぇ人、鼻が良くて明日の雨が分かる・水の湧き場が分かる人、心優しいが故に先達からより多くの知識を授けられた人、他人より努力して鍛錬した結果、自分に危害を加えようとしよる『気配』が解るようになった人を、『神』『悪魔』と呼んで良いと、あんたとこの『経典』に書いちょるか?」
静かな声で、イーヴィに問うた。
――〝導師長〟も、
「……いいえ」
とゆっくり首を横に振り、厳かな声で云った。
「経典には、『呼んではいけない』と書いております――」
剛義がもう一つ息を吐いた。
「食い物見つけるのが早ぇ、明日の天気・水場が分かる、肉食獣の気配が分かる、物知り――千年前、そういう人物は相当、他人から有り難がられたろうで、『神様んごたる』ち云うて崇めとなるのは、人情として解らんことも無ぇ。但し、その期待が外れたら、途端に掌返して石投ぐるんも他人じゃ。別に期待を外すことは無ぇでん、神様みたいに崇められちょる人間を、妬みで『悪魔』っち云う人間が居るんもこの世の習いよ。――誰かを『神』ち呼んで有り難がるんも『悪魔』ち呼んで嫌悪するんも、食い物を見つけるのが『遅ぇ』、明日の天気が『分からん』、危険に『鈍感』、そして『無知』な大多数の『自分』なんじゃと、それを知れ、っちゅう意味で、『神』と『悪魔』の名を軽々しく使うな――っち、あんたとこの『神さん』は、説いちょらんかったか?」
剛義の言葉に、イーヴィが「ふぅー…」っと細く長い息を吐いてから答えた。
「……頭が下がります。仰せの通りです――貴方は、我々の『神』を信仰している様子ではないのに、そこまで『経典』を理解されているとは……」
「サヴァナにも、あんたと同じ『神さん』を『信仰』しちょん人は居るけの。どっちか云うと、ただ『サヴァナの筆頭』の俺よりよっぽど、そげん人の方が、今のイー・ルからしたら『悪魔の王様』なんじゃろ?」
イーヴィが「く…」と奥歯を噛む。
剛義の声が、若干険しいものになり、
「――蝦さん、あんたは、気付いちょると思うけど」
そう云って、イーヴィの顔を見、渋い顔をした。
「俺達と戦争するために、『敵』を『悪魔』っち云い替えるんが、あんたとこやと有効なんは俺も解る。実際、さっきも云うたけど、〈魔術士〉の〈魔術〉がイー・ルから見て『神』と『悪魔』どっちの業かどげぇでん良いけん、俺達は悪魔っち呼ばれてん流しちょききるよ――そらまあ、ちったぁ気は悪ぃけどな――。でも、それにしたってん、『神さん』自身が嘆きそうなくらいに、あんまり『神』『悪魔』の領域を広ぉ取り過ぎ、名前を使いすぎやろ。自分より目が良い・鼻が良い・勘が良い・頭が良い・運動神経が良い・物知り――人望が有る、それが自分の都合に良けりゃ『神』、都合が悪ぃか疎ましけりゃ『悪魔』、そげぇ云うちょか良いと思うちょる。人間的っちゃあ人間的じゃああるが、――ちょっと辛辣なことを云わせて貰うで、今のイー・ルは、あんまり『思考停止』が過ぎる」
「……っ…」
「いや――あんたみたいなお人もちゃんと居るんじゃけん、『イー・ル』で云うんも、何か大雑把なごたんな。ハッキリ云うわ、あんたとこの今の『大導師長』が、酷ぃわ。一体どげぇなっちょんのな、大導師長自身が思考停止して、それを民にも強いよるごつ、俺には見ゆるで?」
険しかった剛義の表情が、段々「悲しさ」を表すようなハの字眉になった。
イーヴィは拳を握り、奥歯を噛みしめ、――震える唇をゆっくり開き、
「返す言葉もございません――」
と頭を下げて足下を見つめ、声を絞り出した。
それを聞いて、剛義はゆるゆると首を振り、
「――本国の大導師長はいくらでん、俺に言葉返しきるじゃろうで。中身は無かろうけど」
「……」
「蝦さん、――もしかしたら、あんたみたいなお人ほど、前線にやられたんじゃねえんな」
顔を顰めて剛義が云うと、イーヴィは唇を引き結び、答えようとしない。
答えは無くても、剛義は視線を遠くに飛ばした後、ぎゅっと目を閉じた。
「そうやとしたら、俺も相当悔やまれるっちゅうもんじゃ……。あんたみたいなお人や、あんたを慕うちょるオリバー君達みたいな若ぇ子を、俺達は何人死なしたんじゃろうのう……」
悔恨と悲哀、――そして「怒り」で声が震えそうになるのを抑え、剛義が吐き捨てる。
すると、イーヴィも同じように返した。
「それが……お互い様なのが、戦争というものでしょう――。我々は――私は、『ただイー・ル人ではない』というだけで、一体、どれだけの……神の声の理解者を死なせてしまったのか……」
こんな話は、部下、若人らに伝え聞かせるようなものではない。〝頭〟〝長〟を冠する者だけが、たった一人で飲み込むべき悔恨と感傷だ。
そしてその上で、今後何を自分がするべきなのか――何を負うべきなのか、考えている。




