【a5d:svn】(2) -[1]-(2)
「ライズ! 全く動けないのか?」
ライズは再び、ハンドルを握ったまま俯せている。オリバーは、強ばった彼の指を一本ずつ剥がして肩を支え、シートに凭れさせた。
「水だ! 飲めるか」
朦朧としているライズの意識を途切れさせないよう、意識して大声を出しながら、オリバーが竹筒を口元に持って行く。
水の匂いを感じたからなのか、ライズの瞼と小鼻がぴくぴくと動いた。だが、唇はまだ水を入れられる程開かない。
一先ず、オリバーは唇だけを湿らせる程度、竹筒を傾けた。これが刺激になって、飲もうとしてくれれば良い。
……ぷるぷると震えはするが、しっかり開いてくれない。瞼がまた閉じかけた。
「ライズ、しっかりしろ!」
貴重な飲料水を、こういうふうに使うのは勿体ないが――こうでもしないと、ライズは目を閉じようとしてしまう、オリバーは竹筒を持ったのと逆の掌に少し水を取り、それを彼の首筋へ擦りつけ、先ほどのフローラと同じように、頬も叩いた。
「ライズ! 砦の皆も助かったんだ! こんな死に方、馬鹿げてるぞッ! しっかりしろ、口を開け、水を飲めッ!」
悲痛な怒鳴り声を出して、オリバーは竹筒をライズの口元に押しつける。やっと、口内に水を注ぎ入れられる程の隙間が空いたので、オリバーは慎重に傾けた。
……と、ライズがそこで、
「けっ、ぶふっ、ぐふっ!」
と咳き込んだ。オリバーは慌てて、一度竹筒を離す――だが、逆に一安心した。気管に入りかけて「咽せることが出来る」だけの力は、まだ残っているのだ。
抱きかかえられたことで「違和感」を感じ、失いかけた意識が戻っても来たのか――リモの方は、荷台に腰掛ける形で乗せられ、フローラが彼の腋から手を入れて引きずろうとした時に、薄く目を開き、
「……イヴ様…?」
と呟いた。
視線は完全に定まってはいないが、前を向いている。前方には彼を此処まで抱えてきた太狼が居る、両脚を掴んで荷台に押し入れようとしていた。
さっき、砦を出る前に、スォ=ハムも云っていた――体格と髪の色のために、イーヴィと太狼を見間違えることも、無くは無いんじゃないかと。
しかし、それも背後からなら、だ。イーヴィには髭があるから、流石に正面からだと「彼」に変装していることにはならない……筈なのだが。
ただでさえ意識も視界も朦朧としている上、リモからは逆光の筈だから、そんな錯誤が起きてしまったのだろう。
「違うで、リモ君。俺は、フリアイ隊長じゃねぇ」
と太狼はきっぱり云った。
果たして、ナースの心得があるフローラや、医者からしたら、それが吉なのか凶なのか判らないが、太狼としては、
「じゃあ誰だ」
と不審に思うことでしっかり覚醒しやしないか、と考えたのだった。
しかし、その期待は裏切られ、リモはまた、眠くてしょうがないというふうに目を閉じてしまった。
「……。花ちゃん、俺はもう良いか、エンジン見に行って」
「ええ、お願いします」
ナップサックから必要な物を取り出しながら、ちらっと太狼に視線を向け、フローラが頷く。
「T1での脱出が難しそうなら、早めに教えて下さい。リモさんは、出来るだけ早く連れ帰り、軍医の大尉殿にも診て頂きたいので」
「ん? へえ、軍医も居ったんか――分かった」
砦に居た全員を知っているのは、そう云えばフローラだけだ。太狼は目をぱちくりとさせた後で、こっくりと頷き、車の前方へ駆けていった。
真っ先に、フローラはリモの兵服の襟ボタンを全部外して開く。下衣もベルトを外し、完全に脱がせこそしないが、合わせを両側に捲って開いた。
ナップサックから、叩く刺激で機能し始める保冷剤を五つばかり取り出して、一つ叩いては首筋や腋下等に置いていく。
――先ほど太狼が考えたのと同じ効果を狙って、フローラは、彼の膝を掴んで脚をV字に開かせつつ
「リモさん!? 聞こえますか? 恥ずかしければ、自分でやって下さい!?」
と大きな声を出した。女の声であることは分かる筈だ。オリバーの云っていたことが本当なら、彼らは、周囲で異性に会うことが滅多に無いのだから、錯乱していなければ「何故此処に女が居る」と思っても良い筈である。
だが、リモの反応は鈍い。フローラは微かに悔しそうに眉を寄せ、彼の鼠径部に保冷剤を挟ませた――それでも、リモの明瞭な反応は無い。
これは、困った――一先ず、注射で栄養剤を投与したフローラだったが、その痛みへの反応すらも無い。
「リモさん! しっかり! 起きて下さい! ここは夢の世界じゃないんですよ、私は貴方を誘惑しに来た夢魔ではないし、先ほどの導師長に似た男性は、貴方の敵なんですよ!」
頬を叩いたり、耳を引っ張ったりして怒鳴りつけるが、リモの瞼は半開きと閉じた状態をゆっくり繰り返すばかりで、唇も「う、う…」と微かな呻きを漏らすばかりである。
彼には、何よりも先ず水分を取らせたいのだが――余りに意識が混濁していて、無理に口から飲ませようとすると、溺れてしまう。
本当なら、エ=ドン大尉の時のように点滴を使いたい。だが、時と場所が悩ましい。
今、針を刺してしまうと、終わるまで待たなくてはならない。そうじゃないと、砂からタイヤを出す作業と谷底から丘に上がるまでの道程で、針が外れたり血管を傷つけたりする危険がある、それは本末転倒だ。せめて、斜面を上がって、比較的平らな場所になってから――しかし、今針を刺して点滴が終わるのを待つ時間が無いのと同様に、リモの容態も切羽詰まっている。
出来たら彼をこのまま横たわらせた状態で点滴を施したいのも事実、R2車の後部座席は平らに倒せるようだったので、寝かせるスペースが出来るかもしれないが……――T1を太狼に、ライズをオリバーに任せ、リモに点滴をしながら己がR2車を駆って戻る――? いや、それではやはり針が危険だ。
この車が修理を必要とする状態であれば、その間に点滴を終わらせるという「すり合わせ」も出来る訳だが、――BR19以外のイー・ル兵から発見される危険性を考えると、それはやはり本末転倒の希望的観測、というものだ。
フローラは思わず、爪を噛む。それから、荷台を降りた。
太狼に、様子を聞いてから判断した方が良かろう――運転席側に居た「ライズ」の様子も気になる。
太狼が戻って来て、車の前方を指さし「頼む」と云って来たので、オリバーは頷き、然るべきレバーを引いてボンネットカバーを開けた。
改めてライズに向き直り、口元に竹筒を持って行く。
さっき彼が咳き込んだ時、その元気があることに安心したのはそうだが、自分の不手際だったのも事実だ。今度は焦らずジワジワと、口の中を湿らせる程度に、雫を入れてやる。
段々と、ライズの目がしっかり光を取り戻し、喉も、今度は管を間違えず、こくりこくりと水を通していく。
「良かっ……た…!」
思わず、泣きそうな笑顔になって、オリバーが呟く。実のところオリバーは隊内で、このライズと、一番付き合いが長く親しい。士官学校を出た自分の方が現階級こそ上だが、年齢は同じだし、入隊した年も同じなのだ――。
ライズが自分の手を竹筒に近づけて来たので、
「自分で飲めるのか」
と、彼の手に自分の手を添えながら、慎重に渡した――取り落として零すことがあっては何とも勿体ないし、「ハナ」や太狼にも申し訳ない――。
ライズが無事に、しっかりと筒を掴めたのを確認し、オリバーは、涙腺が緩みかけたせいで鼻声になったのをごまかすべく、俯き加減になって鼻を摘まんだ。
一口だけ、自分で竹筒を傾けて水を飲み、ライズはジッとその筒を眺めた。
オリバーはその様子に、
「――どうした。……それだけで足りた筈は無いだろう」
と不審そうに目を細める。まだ、意識の方は朦朧としているのだろうか……。
顔を彼の方に傾けて、ライズも何だか泣き出しそうに鼻の頭へ皺を寄せた。
「オリバー……、おまえが……此処に居て……、水……? じゃあ、あの――二人……、まさか――」
「――ライズ?」
ライズの表情は命が助かった「感激」によるものではなかった、本当に「泣く」という行動の引き金となる第一の感情……「悲しみ」や「絶望」を表したような、しかめっ面だ。
「くそっ……! 何てことだ……、本当に、敵に助けられ、俺達は……友軍に出会いもせず……、こんなところで、迷子かよっ……それを又、敵の悪魔が助けに来たってのか……!? くそっ、ちくしょう……ッ、神は、そこまで俺達を――放棄なさるか……ッ! いっそ、殺せ……!」
ハンドルを拳で叩きながら、弱々しくはあるが、悔しそうな慟哭をライズが漏らす。
「ライズ――」
「本気で仰ってるのなら、やってあげても宜しいですよ」
戸惑った声で、ただ同僚の名前を呼ぶことしか出来なかったオリバーの背後から、凛とした女の声が投げられる。
オリバーが振り返ると、当然のことながら〝ハナ〟が居た。
「こちらの様子はどうかと思いまして」
フローラは、退け、と云うようにオリバーの兵服の背中を引っ張り、入れ替わりにステップへ足を掛け、ゴーグルを外し、氷のような目でライズの顔を覗き込んだ。
「この極限状態に於いては、血液も大事な水分ですからね。貴方のご遺体も無駄にはしません」
「――」
「苦しまぬよう止めは刺してあげます。――貴方、今舌を噛んだら、この世で一番の甘露を口にしながら死ねますよ」
薄く開いていたライズの唇が、うっ、と噤んでしまう。オリバーも、この砂漠の熱気にも関わらず、ゾクッとして肩を強ばらせた。
オリバーも初めて聞いた、「冷静」や「淡々」を越えた、「冷徹」「鋭利」な声色だ――もしかして、「ハナ」は今、「感情的」になっているのだろうか?……そんなことをオリバーは思った。
それが聞こえていたのか、太狼がやってきて、フローラの背中の布を軽く掴んで引いた。
「何ちゅうホラーなこと云いよる、花ちゃん。俺からしても悪魔のごとあるぞ」
苦笑混じりの声に、フローラは、
「少なくとも、天使と思われては困りますから。それは構いませんよ」
と、「平常の」冷静な声に戻って返した。
しかし、ライズに対してはもう少しだけ、オリバーも聞き覚えのある熱を失った声で、
「リモさんは、そんな妄言も吐けないほど弱っています。それを良いことに、彼を助けようとしている私は、彼に生き恥を晒させることになるのでしょうか? そんな私を悪魔だと仰るなら、御勝手にどうぞ」
そう云って、ステップから降りた。
そして、オリバーへ一方的に、
「ライズさんが少しは動けるなら、幌に入るよう云って下さい。少尉が肩を貸して差し上げて。此処に座っているよりは日射しを避けられますから」
そう云い、彼に背中を向けて太狼へ声を掛けた。
「たった今の方針を決めかねています。判断材料のために、車の状態を教えて下さい――」
オリバーは、「ああ、やっぱり……」と感じた。彼女は怒っていたのだ。「いっそ殺してくれ」という言葉すら出せない者が直ぐ傍に居るというのに、それを云える元気のある者が、何故命より大事な「矜持」のアピールなど出来るのか、と――。
フローラも完全な素人ではないから、太狼はボンネットの内側を覗き込み指差しながら説明した。
「幸い、エンジンに致命的な故障は無ぇごたる。ハマッてから、そこまで強ぇ風は吹かんかったのかもな、砂が入りこんじょらんのが幸いした。ただ、やっぱりラジエーターじゃな。燃料だけじゃねえで、冷却水も補給せないけんわ」
「そうですか――」
「ボルトの緩みとかも無ぇ訳じゃねえし、そこんとこは手を入れてから戻る方が安心じゃろう」
太狼の説明を聞いた後、フローラもしゃがみこんでタイヤの具合を見る。
「この感じだと……――では、燃料と冷却水を補給した後に、後ろ側に板を噛ませて、バックで出す、というのが良いんでしょうか」
「うん。そうじゃな」
「――。今のうちに、もう少し低いところまでR2で引っ張り出してから、燃料と冷却水を補給するという順番では、駄目でしょうか」
「出来んことは無ぇが、危ねえな。T1は今、車輪が付いた〝只の鉄塊〟みたいなもんじゃ。勢い付いて飛び出したり、バランス崩して横転したりっちゅうリスクがある、引っ張りよるR2に激突しちしもうたら共倒れや」
「……」
フローラが頬に手を当てて、「うーん…」と悩ましげに首を傾げたので、太狼が
「何か問題があるか?」
と訊ねた。
「問題は無いです。ただ――リモさんの状態を考えると、半端に時間が掛かると云いますか……」
「ふん?」
「今のうちに比較的安定した所までは出せるようなら、一か八かで点滴を開始……出来るんです、私自身の決断で。その後、燃料と水の補給をする時間が出来ますから、その間にリモさんの容態が安定すれば御の字ですし、谷底を脱出する際も慎重に傾斜を選んでいけば、何とかなるんじゃないかと――。それが、燃料と冷却水を補給してから脱出、となりますと、今、針を刺してしまうと危険だし、待ち続けても、ただリモさんの容態が悪化するっていう……」
「あぁ~……」




