【a5d:svn】(1) -[5]-(3)
フローラが、「ふぅ」と一つ息を吐き、オリバーへなのか独り言なのか曖昧な口調で呟いた。
「大佐殿の決断が、今日で良かったですね」
自分に向かって云ったのかどうか分からなかったが、オリバーは「……と、仰いますと…?」と訊ねた。
「まあ、明日だったらアウト、という訳でもなかったでしょうが、これ以上遅くならずに良かった、と申しますか」
「――?」
「飢えと渇きの中、七日間閉じ込められたにしては、砦が清潔に保たれておりますね。砂漠なのですから、乾燥が幸いしているのもそうではありますが」
「は……」
「皆様の弱り方の割りに、失禁や嘔吐の跡が床に見えませんので、少々、不思議だったんです。――所々、風の吹き溜まりにしては不自然な感じで砂が集まった場所、正反対に、砂が全く無く綺麗な場所が斑になっていましたが、水が無い代わりに、砂で床を拭っていたのですか?」
フローラは、大変真面目な声で、同時にあからさまに続けた。オリバーは一瞬たじろいだ後、「え、ええ……」と頷いた。
「――尊厳まで考えれば、隊長の決断が今日で良かったとのご指摘は、全くの正解かもしれません…。その手の処理や排泄時の移動すら出来なくなるほど衰弱するまで、時間の問題だったでしょうから…」
「これが密林であれば、飢えと渇きによる衰弱の前に、感染症で深刻な事態になっていたかもしれませんね。特にエ=ドン殿の足は、既に壊死しているかも」
「――」
「……と云ってもジャングルなら、少なくとも砂漠と比べれば水と食糧の調達に困らないので、基礎体力のある軍人なら自然治癒力も高いでしょうし、どっちが良いか悪いかは云えませんが」
神妙な声色と表情になったオリバーに対し、フローラは真面目な声のままで云った。
「バスルームに、砂を敷いた……床と云いますか、枠組みがありましたが、あれは何です?」
「――あ、あぁ……あれですか…」
フローラの問いに、オリバーは少し口ごもり、小首を傾げながら云い難そうに答えた。
「その……、汚水……特に、小水を、集めて、濾過するためのものです」
「へえ?」
オリバーは恥ずかしげだったが、フローラは逆に興味深そうに――もしかして初めて見る表情じゃなかろうか――目を見開いた。先を続けろ、というふうに目を見てくるので、オリバーは仕方なく詳細を語る。
「――。この通り、砂漠のど真ん中で水は大変に貴重ですから……。雨水の方が、ごくたまにしか降らない分、飲料水として貴重なので、便器の水洗等には、浄化した汚水を循環させているんです」
「――成る程」
云われてみれば、特にシャワーの側は床に微かな傾斜が付いていただろうか。
「こんなことを、敵方の貴方に申し上げるのは問題かもしれませんが――濾過の後、地下に浄化槽とタンクも設けておりまして。大尉殿の話では、心理的抵抗さえなければ、飲料も可能な程度に浄化されている筈とのことです――とは云え、やはり『頭では分かってても』というのがありますから、飲料以外の分を、そちらで賄うように心がけておりました。――ただ、発電機が壊されてしまったことでポンプが作動しなくなり、掃除等にも水は使えなくなってしまって…」
オリバーが眉を寄せながら云った。
フローラは再び「成る程」と――気のせいでなければ、何だか感心したような声色で云った。
「では、医務室の分をわざわざ別にしているのは、それもあるからですか。疾病がある者と無い者のトイレは、殺菌等の処理の程度も変えた方が良いでしょうから、念のため別にしている?」
「……設計のことは、私には良く分かりませんが、そうなのじゃないでしょうか」
「良く考えられた砦です。――私、イー・ルの方々というのは、そういう『循環』の考えを持たず、全てのものは〝神様〟から一方的に『恵み』として与えられるものだと考えているように、思っていました」
フローラは、独り言つ口調で云ったが、それを耳にしたオリバーは――これも、彼が見せる初めての表情だったかもしれない――明確に怒りの表情を見せ、声も憤慨したふうに荒くなった。
「誤解なさらないで下さい! そんな考え方をしているのは、一度も都から出たことが無く、祈ってさえいれば良いと思うことが可能な、生まれながらの富裕階級だけです、本来、神は人に、只『与える』ことなどなさらない!」
「……」
フローラがピクリと目を細める。彼女の表情を見て、オリバーはハッと我に返り一度口を覆うと、狼狽したふうに口ごもった。
「――し、失礼しました…、こんなことで、貴方に激昂するのは、筋が違うというものですね」
「いえ。安心しました」
「え?」
フローラが、ホッと一つ息を吐いてそんなことを云ったので、オリバーはきょとんとして目を見開く。
オリバーは「どういう意味ですか」という表情をしていたが、言葉で訊いては来なかったので、フローラが真意を語ることは無く、
「……『少将』は、貴方の云う『ただ祈っているだけの富裕階級』だったんですか?」
そう云った。
「実際に貴方が知っているかどうか、それが真実かどうかは問いません。私は情報が欲しくて訊ねたのでもないし、貴方は情報漏洩と思わなくても良い。貴方の『印象』、『見解』は?」
オリバーは一度、唇を引き結び、彼女から顔を隠すように項垂れた。それから、クッと顎を上げ、フローラにしかめっ面を見せる。
「……。少なくとも、私が尊敬しているのは、フリアイ隊長――導師長です。ただ祈っているだけで一方的に神の恵みを得られるつもりで居て、それが無いなら『盗む』という考えの少将に、私は敬意を払えません」
オリバーも、言葉遣いだけは丁寧だったが、拳を握って吐き捨てる口調で、若い工兵――スォ=ハムと同じようなことを云った。
「私は、『助けられた』なら『感謝』せよ、と教えられてきました。『ハナ』殿と、筆頭閣下、ご子息には、感謝しなくてはいけません、我々は命を助けられました。少将は我々の命を奪おうとしました。ならば、少将の方が、余程に私の敵と云えるでしょう」
「……」
まるで自分に云い聞かせるような口調でオリバーは云う。本来、敵方の「悪魔」に語って良いことではない――こんな心の動揺にこそ、「悪魔」はつけ込んでくるのだ。
しかし、「味方」から糧を「奪う」という真似をした少将を、全く尊敬出来ないのは事実である。今まで信じていた「経典」に間違いが無いのであれば、神の敵である悪魔は少将の方だ。
――尊敬する導師長は、そんな少将を「君は、捨て置け」と云うだろう。罰が下るとすればそれは「神」からだろうから、と。ただ、オリバーは、そこまで達観出来る程、長い人生を送っていないし、寛容にもなれていないし、神に近づけた気もしていない。
オリバーにとって、今目の前に居る、今までそう云われ続けていた「悪魔」たるサヴァナの女性の方が、余程に「恵み」であり「慈悲」であることは真実だった。命を奪おうとした同胞を許し、命を助けようとしてくれている「悪魔」を蔑むことが、神の本意であるだろうか? いや、それは違う――筈だ、とオリバーは思う。
そんなオリバーの「心の動揺」に、フローラは気付いているのかいないのか全く分からない、さっきまでと同じような淡々とした声で云った。
「敵方は私ですよ、『少尉』」
フローラは、自身としては不本意、己の修行の足りなさを内心自省しつつ、声色は全く変えないまま、結局は剛義と同様のことを述べた。
「件の少将を貴方自身の『敵』だと感じていることに、私がとやかく云っても仕方ありません。が、貴方のお国の『敵』が現在、我々であるのも事実です。少尉、貴方は体制に組み込まれた軍人なんですよ、其処に個人の迷いを持ち込んでは駄目です」
「――」
「貴方の国から、我々が『悪魔』と称されていることは知っています。しかし、私は悪魔ではありません。但し、『神の慈悲』でもないです。貴方が発したSOSに応じただけです。それは筆頭が云った通り、人の世の習いだからです」
「……ハナ殿…」
「フリアイ大佐が、我々の応答に対して『もう結構』と仰ったら、その段階で再び、我々は敵対します。オリバー少尉、体制から処罰されたくなければ、私の顔を見て、銃口を背けてはいけませんよ。貴方が銃口を下ろしたせいで、件の〝少将〟に敵の首を取る機会が出来た、そんなことになったらどうです? 個人的に敵意があるのなら〝少将〟へ手柄を譲るのも、癪に障りましょうに」
「うっ……」
フローラは剛義と違い、それをハッキリと云った。云い始めたのなら最後まで云わなければ、己の気分の方が晴れない「未熟者」の自覚があるので。
そして、オリバーもイーヴィと違い――、其処で直ぐに分別が出来る程、肝が据わってはいなかった。より動揺が、迷いが生じる、「未熟者」なのだった。
「……貴方は、戦場で私の顔を見た時、迷い無く私を殺せますか」
一瞬息を飲んだ後、オリバーが俯き加減になって問う。フローラは、軽く肩を竦めた――彼女にしては珍しい仕草だった――。
「その時になってみなくては分かりません。ただ、我々には、そこまで厳密に『体制』という概念が、恐らく無いので――貴方と違い、それから処罰されることはありません。貴方を殺さなかったせいで罰せられるということは多分ありませんから、貴方よりは選択肢が有る、とは云えます」
「……」
「しかし、貴方が筆頭殿や御次代、私の仲間に銃口を向けているのならば、私も貴方に迷い無く銃を向けます」
「――」
フローラの言葉を聞いて、一つ、するりと腑に落ちたものがあった。
ああ、そうだ、それが「人の世の習い」だ――。
今目の前に居る女性から銃口を直接向けられても、反撃出来るかどうかは分からない……多分、迷う。命の恩人だからだ。しかし、彼女がE=V隊長――導師長へ銃を向けていたら、自分も、「この人」に銃を向けることは、多分、出来る。
オリバーは、こっくりと頷いて、
「――私は、信仰に殉ずる覚悟は出来ていますが、体制に殉ずる意志は無いことに気付きました。ですから、体制からは殺されないために、軍人でいる間は、貴方方を『敵』だと思い続けます」
表情こそ、苦しげなものではあったが、自分へ云い聞かせるように声に出した。
フローラは、
「その方が身のためです」
と相変わらずの冷めた声色で云った。




