【a5d:svn】(1) -[5]-(2)
一旦フローラは大尉の顔が見える位置に戻り、
「大尉。抜糸を終えてから、消毒と包帯をしましょうか?」
と問うた。すると、さっきより分かり易く、顎を引いて頷く仕草が見えた。
畏まりました、とフローラは一度、物資の箱に戻り鋏を取ってくる。足下に戻り、皮膚を引っ張っている黒い糸を一針分ずつ丁寧に切って、ピンセットで抜く。
それから、脱脂綿を使って消毒液で傷口を拭い、慎重にガーゼと包帯を宛がう。
――ここまで一連の作業は、抉れた傷への処置だけだ。果たして、この腫れに対してはどうする。
「大尉、本来の傷は腫れの方でしょう。そちらはどうなさいます?」
フローラが彼の頭の側に近づきながら問うと、大尉は少しの間を置いて答えた。
「……君…、湿布、等は、持っている…かね…」
「あります」
「では、……一番、腫れ、ている…箇所へ、頼む…。後の処置、は、起き上がれるように、なったら…自分で、やる」
「畏まりました」
こくりと頷き、フローラが箱から湿布を取り出して、貼る。――付け焼き刃、あるいは焼け石に水……、そう感じられたが、彼女は云われたことだけをやり、反論はしない。
取りあえず、自分が考えていたことだけはやり終えたので、フローラは大尉の顔を見て、
「他に何か気になることでも?」
と訊ねた。エ=ドン大尉の表情が、何か云いたそうに見えたので。
「他に……二人…、怪我をしている、者が居る――そちらも、みてやって、貰えるか…」
そういえば、オリバーがそんなことを云っていたか。深刻なものではない、と云っていたので、今のところ忘れていた。
「――分かりました。多分、未だそのお二人にはお目に掛かっていないと思うのですが、少尉に聞いてみます」
「捻挫と、打ち身だ……。物資がある、なら……固定と湿布を」
「はい」
云われた通りテープと湿布を箱から追加して出しておき、エ=ドン大尉に向き直ると、
「エ=ドン大尉。オリバー少尉からは、貴方が一番重篤だと聞き、私も実際にそう思いました。その上で、貴公は他の患者を気になさっているのですから、貴方の精神安定のため、先にご報告しておきます」
フローラは敬礼を見せながら、そう前置きをした。エ=ドンの目が、かなり微かなものであったが、訝しげに細められる。
「――チォ殿は食欲がかなり落ちていたので、貴方と同様栄養剤の点滴を施しました。ソゥパ殿は、介助を必要とはしましたが、豆粥を口に出来る程には食欲が回復しております。クォン殿とウィト殿は、まず水分と塩分の補給の後、――実際にどう呼ぶのか知りませんが、ミーティングルームのような場所まで自ら歩行出来、やはり豆粥を、自らの手で食せるようになっています。スォ=ハム殿は、水分と栄養補給の後、何らかの修理作業を行える程まで回復しています。――フリアイ大佐にも水と豆粥をお渡ししておりますが、恐らく、隊に於いて現在、もっとも状態が良くていらっしゃるのは、隊長殿であろうとお見受けしております」
「……」
「怪我をしていると仰せのお二人には、未だお会いしていませんが、少尉の言によれば、水と塩を経口摂取出来たようですし、チォ殿やソゥパ殿よりは楽観視して良いようですから、私も後回しにさせて頂きました。これからお二人にもお目に掛かり、バイタルサインのチェックも行います。――EV中隊全隊員を私は把握している訳ではありませんので、他にもまだ居られるのでしたら、この後お目に掛かることになると思いますが、同様の診察を行うつもりでおります。以上」
淡々と一本調子にフローラが云うと、――やはりほんの微かなものであったが、エ=ドンは目元と口元に笑みを浮かべ、そして、小さく顎を引いたようだった。
その微かな仕草を見届けると、フローラは今一度室内全体を――特に床を、何か確認するような目で――眺めてから、
「では失礼します」
と、もう一度敬礼を見せて医務室を出た。
前方に、丁度オリバーの姿が見えた。ソゥパとチォの部屋から出て来た所だ。――彼は彼で、ポケットからチューブ食を取り出し、それを吸い尽くして「ハア」と息を吐いたところだった。
彼もフローラに気付き、恥ずかしげに空のチューブを丸め、慌ててポケットに入れる。
指先で口の端を拭い、近づいて来たフローラに「失礼しました」などと云うので、彼女は小首を傾げ、
「何がです? 何だかんだと、貴方には色々と動いて貰っているので、そういう形で簡単に食事を摂って貰うことは、我々にとっても有り難いことです。――ところで、怪我をしている二人というのは何方ですか? 先ほどの、『クォン』殿、『ウィト』殿とは、別の方なのでは。少尉は『深刻ではない』と仰ってましたが、エ=ドン大尉は気になっておられるようです」
特に感情の籠もっていない声で剛義と同じようなことを云ってから、全く声色も口調も変わらないまま、質問を続けた。
「あ、ああ……はい。『ヤム』と『ベリー』のことですね。――クォンさん、ウィトと同様、食事は出来る程度に衰弱からは戻れたのですが、怪我のことがあったので、強いて部屋からは出なかったようです」
説明をしてから、オリバーは「ご案内します」とフローラを先導した。
オリバーがドアを開け、フローラに入るよう促す。ソゥパ、チォと同様、二段ベッドの下段に居た。その二人よりは血色が良い。但し、エ=ドン大尉が云っていた通り、二人とも足に包帯を巻いていた――「包帯」ということは、彼らの傷は、物資を奪われるより前に負ったものらしい――。
オリバーが、向かって右、左の順に手を差し出し、「ヤム君です」「ベリー君です」とフローラへ紹介した。二人ともオリバーと同世代かそれより若く、同時に階級も低いのであろう。「君」でそれが判る。
フローラは小さく頷き、二人に向かって
「私はナースの端くれです。私が此処に居る経緯は、後ほど隊長である大佐からお聞き下さい。エ=ドン大尉から云われて、貴方方の足の怪我を拝見します。また、血圧等のバイタルも診させて頂きますので」
先にすらすらと云った。「質問は許さぬ」とでも云いたそうな一本調子の宣言に、ヤム、ベリー、という二人の男性は目を白黒させるより他なく、「は、はあ…」と応じるのがやっとだった。
「捻挫をしているのはどちらですか?」
壁に松葉杖を立て掛けているのが見えたが、二段ベッドの狭間の丁度真ん中だったので、二人の内どちらが使っているのか判らない。フローラの質問に、ベリーの方が怖ず怖ずと手を挙げた。
「そうですか。では、ヤム殿が『打撲傷』なのですね? ――いつの怪我なのか私は正確には知りませんが、悪化はしていませんか? 腫れが酷くなったりは? ご自身で、もしかすると骨にヒビが入っていないか等、疑ったりは?」
ヤムは戸惑いながらも首を振った。
「い、いえ……。足の甲だったんで立つと痛いから、クォンさんに、まだ休んでろって云われただけで…、歩けるのは歩けるし」
「では――少尉に頼んでも良いですか。こちらは湿布です」
フローラはオリバーに湿布の箱を渡した。湿布を貼るくらいなら、専門知識や技術が無くても良いだろうと判断したらしい。
分かりました、とオリバーが頷き、
「さて」
と、ヤムの足の側で床に膝を付きながら、包帯を巻いている右足に手を伸ばそうとした。するとヤムは慌てて、
「いや、もうだいぶ良いんで! 体も動くし! やって貰わなくても大丈夫ッス、自分で出来ます」
オリバーの手を逃れるように踵を滑らせ、膝を立てた。
オリバーは苦笑して、「じゃあ、どうぞ」と湿布の箱を渡した。
ヤムは、オリバーの部下だ、ここで「遠慮するな」と云うのは変だという自覚がある。自分にナースか軍医の素養があるのならまだしも、あるいは、自分では手の届かない箇所であるならまだしも――知らない女からそう云われた、という理由だけで、オリバーが甲斐甲斐しく世話を焼くのは、多少、上下関係・信頼関係の綻びを誘うことになるだろう。
ベリーの左足首にテーピングを施したフローラも、
「貴方も、ただの捻挫だったようで、良かったですね。無茶をしなければ、あと二、三日で完治するでしょう」
……大して喜ばしそうでも励ましているふうでもない、のっぺりした声で云った。
その後、宣言通り、バイタルサインのチェックを行うと、――フローラは先ほど医務室でそうだったように、部屋の全体を確認するような目で見渡し、「では」とオリバー共々出て行った。
その後、クォンとウィトのバイタルも診、一通りの処置を終えたフローラは、――何故か、玄関の方には戻らず、医務室の方角へ向かい、突き当たりで、扉は開けずに立ち止まった。
この段階では、「やることをやってしまった以上、勝手に砦内部をウロウロされても」という困惑もあって、オリバーは彼女に付いていった。
「オリバー少尉。本来のバスルームというのは、此処なのですか?」
就寝室が並んだ廊下の行き止まりが医務室である。その手前に、就寝室とは違う色のドアがあった。一通り、「人」を診てしまったので、フローラは、気になっていたことをやっとオリバーに訊ねた。
オリバーは、「ええ、そうですが…」と戸惑いながらも頷く。
「拝見して宜しいでしょうか?」
とフローラが聞くと、オリバーは、今度は難色を示すように首を捻る。
「……。イー・ル軍は、事務方以外に女性兵が居りませんので、完全に男子用の設えになっているのですが…」
「? 今、使用している方が居られる気配はありませんが?」
「――」
何の話をしているのか、と云いたそうに、素朴に小首を傾げてフローラが云う。オリバーの方に、返す言葉が無かった。
「ちょっと、確認させて頂きたいことがあるんですよ。私が今使いたい訳でもありませんから、監視が必要なら、ご一緒して下さって構いませんよ」
「あ、い、いえ、別に――分かりました、どうぞ」
曖昧な言葉を返して、オリバーは自ら扉を開けると、フローラを促した。
中に入ると、フローラは真面目な顔をして、その設えを観察した。
床は完全に乾いている。
入って直ぐ、左側に男性専用の小便器が並ぶ。奥に、――女子も使う事は出来る――座式の便器を納めた個室がある。その扉が途切れて奥に、また空間があったので確認すると、何故か床に、砂利が敷き詰められていた。
これは何だろうか、と思ったが、まだオリバーに訊ねはせず、反対側の壁際を見る。風呂が其方だった。これは、便器と違って完全な個室になっていない。扉というより衝立……とでも云おうか、バネ式の板が取り付けられている。オリバーが中に入ったとき、膝下と肩から上は見えるだろう――フローラにとっては、胸が完全に隠れるとは云え、ちょっと膝を曲げただけでも尻が見えてしまいそうな高さだった――。
シャワー側では、入り口に一番近い所――トイレ側と対角に、さっき見たような砂利の床があった。
扉の近くで待っていたオリバーのもとに近寄り、フローラは今一度全体を見回して、
「もう良いです」
と告げ、バスルームを出、自ら扉を閉める。




