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THE LAST MAGICIAN the past  作者: 橘隆之
【五日後のサヴァナ】(1)
215/277

【a5d:svn】(1) -[5]-(1)



 さっきよりは小さい箱を持ち、小走りに砦に戻ったフローラは、まだ足下の覚束ないオリバーに直ぐに追いつく。

 医務室までの狭くて暗い廊下を並んで歩くのは無理なので、フローラはオリバーの直ぐ後ろをついて行く――寝室のドアが並び始める前に、少し広い空間がある。広いテーブルと椅子、仮眠くらいは取れそうな長椅子が置かれていた。

 先ほど通りかかった時には、恐らくここでミーティングをしたり、もっと物質的にも精神的にも余裕があったときには、コーヒーを飲みながら雑談やカードゲームをしたりもあったろうと感じた空間だ。あるいは、イー・ルの砦であり、隊長が導師長でもあると云うのだから、定期的に「説法」や「礼拝」が行われてもいただろう……戦争設備にあると思ったら似つかわしくない精緻な絵画が、豪華な表装を施されて北側の壁に掛けられていた――中央にローリエの大木、その枝に鳩の(つがい)が留まり、幹を挟んで孔雀の番が向かい合っている様子が描かれている――。

 其処に、さっきは居なかった人物が二人居た。テーブルへ向かって、猫背気味に座っている。

 オリバーが、

「クォンさん、ウィト君……。寝てなくて大丈夫?」

 と声を掛けた。

 二人は、一つの豆粥パウチをシェアして匙で掬っていた。

 口髭を生やした、年が上の方――クォンが、

「おぉ、少尉。さっきの塩水で、だいぶ生き返ったよ。……飯が食えるというのは、有り難いことだな」

 もう一人、若い方――ウィトも、

「俺、明日から、豆嫌いって云うの止めます」

 等と弱々しく笑いながら云った。

 オリバーが薄い苦笑を返すと、クォンがフローラに目を向けて、

「そちらのお嬢さんは……」

 と呟く口調で云った。

 オリバーが口を開く前にフローラが、

「自己紹介は後にさせてください。エ=ドン大尉を先に診させて頂きますから。――お二人も、食事が出来ているから大丈夫だとは思いますが、後ほど、血圧等のバイタルを拝見しますね」

 冷静な口調で返し、オリバーへ「進んでください」とキッパリ云った。

 オリバーが「はい」と慌てた口調で答え、クォンとウィトの二人へ軽く会釈を見せ、歩を進める。

 椅子に座った二人は、きょとんとして顔を見合わせた。


 箱は診察台に置き、フローラは先ず何より、脱脂綿と消毒液、栄養剤の点滴袋を取り出した。次に血圧計やマスク等を取り出して並べておく。

 エ=ドン大尉が寝そべるベッドに近づき、彼の顔を覗き込みながら、

「大尉。軍医でもある貴方自身に見解をお訊ねします。貴方の足の怪我は、アルコール消毒と包帯交換だけで大丈夫ですか? それとも、抗生物質を伴う、本来なら切開手術等も要するものですか?」

 口を大げさに開け音量も大きくしながら、クッキリとした声でフローラが問う。

「前者、消毒と包帯だけで良ければ、鼻の頭を指さしてください。後者、私は手術は出来ませんが、現状、抗生物質が必要ならば、耳たぶを摘まんでください」

 エ=ドン大尉は、壁に近い方の腕を弱々しく上げ――何だか迷うように、少々手が振れて、鼻の頭というより、上唇に人差し指を当てた。

 フローラが一瞬目を細め、

「自尊心から来る意地や、遠慮で、偽りは仰らないようにお願いしますよ? 包帯交換だけで良いんですね?」

 続けてクッキリした口調で云い、彼の返事を待つ前に一旦振り返ると、点滴袋を両手に一つずつ取ってきた。そして、大尉の目の前に掲げる。

「この通り、点滴が二種類あるのです。――大尉殿、貴方に必要なのは、こちらの栄養剤だけで宜しいですね?」

 そう云ってフローラは、エ=ドンの視線が左右に揺れるのを見届けてから、水分と栄養を補給するためだけの袋を前に出し、片方を引っ込めた。引っ込めた方は、薬剤の投与と栄養補給を同時に行うためのものである。弱りすぎで余程に錯乱していない限り、あるいは視力が落ちすぎていない限り、軍医にはラベルに書かれた文字で判断出来る筈だ。

 指が震えてはいたが、大尉は再び鼻の頭に触れ、微かに顎を引いて――頷く仕草も同時に見せた。

 フローラは「分かりました」と、はっきり頷きを返す。

 今は何事も早め早めにコトを進めたいので、袖を捲り上げて肘裏の血管を探る時間も惜しみ、エ=ドン大尉の手の甲を消毒液で拭うと、針はそちらに刺した。

 大尉の様子に変化があるまで、まだもう少し時間が掛かるだろうから、

「他の方は、寝室等に居られるんですか? ――中隊だと仰ってました、まさか、貴方と大佐、技工兵の方と大尉、それに先ほどのお二人では、人数が少なすぎるでしょう。『チョー』とか『スパ』とか、うっすら聞こえてましたよ。お名前のようだと思いましたが」

 フローラがオリバーに顔を向けて訊ねる。

「あ、ああ……はい、ご案内します。『チォ』と『ソゥパ』です――大尉の次に容態が良くない感じなのがその二人なので、先にお願いします」

 オリバーの回答に「承知しました」と答えてから、フローラはマスクの紐を取りあえず片耳に掛け、彼の先導に従って医務室を出る。

 こちらです、とドアを示し、オリバーが開ける。読み通り、扉の正面を動線として両脇に二段ベッドが二台、「すっぽり」と表現したくなるほど丁度良く収まっていた。

 下段だけに一人ずつが居た――梯子を使って上段に上がれる……というより、一度上った後降りられる体力のある者は、今この砦に居ないだろう。

 一人は寝そべったまま、もう一人は、辛うじて上体を起こし壁に凭れ、しかし項垂れていた。

 半身は起こせている一人がゆるゆると顔を上げ、

「あ……少尉……」

 と弱々しい声を出した。オリバーの方は、若干表情を明るくし、

「ソゥパ、起きられたか」

 と声を掛けた。

「はい、何とか……」

「何か、食えるか? 豆粥があるんだ」

「……。腹が減ったって気は全然しねぇのに、――頭ン中が、食わなきゃってばっかりです」

「それが、本来の『食欲』というものですよ」

 フローラがキッパリと云う。ソゥパという兵士は、きょとんとした。

「となると、こちら――『チォ』殿が先ですね。少尉は、ソゥパ殿へ、パウチを持って来て下さい」

 それだけ云うと、マスクでちゃんと口を覆い、ソゥパに背を向ける形で寝そべったままのチォという男性に顔を向けた。

 オリバーよりは年上に見える――いや、もしかすると太狼より上の可能性もある。だが、彼が「さん」付けで終わらせていたということは、階級としては少尉より下か。

 エ=ドン大尉の次に容態が良くない、とオリバーが云っていた。実際、大尉と違って、フローラの顔を見ると、微かながら訝しげな表情に変え、

「貴方は……?」

 と掠れた声を出した、成る程、大尉よりは容態が良い。

 フローラはここでも、

「ちゃんとした自己紹介は後にさせてください、ナースの端くれです。失礼します」

 それだけ云って、大尉の時と同様に瞼裏を見、脈拍を数え、今度は大尉と違って血圧も測った。

「チォ殿? 貴方は、食事は出来そうですか?」

 フローラが訊ねると、チォの喉が反射的に動いた――それは、食欲が刺激されて湧いた唾を飲み込んだ、という訳では無く、思わず「えずきそうになった」という様子だった。水と塩は口に出来たとオリバーは云っていたが、食欲は完全に失われ、胃腸が正しく機能していないようだ。

「貴方も、点滴が必要ですね」

 だが、そこまで急がなくても良い。フローラは振り返って、ソゥパの瞼、脈、血圧を診た。

 オリバーが戻って来たので、「チォさんには、点滴です」と告げ、彼と入れ違いに部屋を出て行く。

 少尉から介助されつつ、ソゥパが震える手で何とかパウチを掴み、匙で豆粥を掬っていると、フローラが戻って来た。

 チォに対しては、袖を捲り、肘裏の血管を探って点滴針を刺す。そこまでやってしまうと、

「少尉、私はエ=ドン大尉の所に戻りますから」

 と告げて、また去って行った。

 ――只でさえ体が弱って頭がちゃんと働いていないところに、突然やってきて去って行った見たことのない女――チォとソゥパも唖然として、オリバーへ説明を求めるような顔をする。

 オリバーは苦笑を浮かべ、フローラと同じように、

「詳しいことは後で」

 と先ず云い、それから、しみじみと、

「あの方が、今、我々の命を助けようとして下さってるのは、紛れもない事実であるので――それを理解するだけで良いです」

 そう云った。チォとソゥパは、「ああ、そうか…」と、腑に落ちた息を吐いた。


 医務室に戻り、エ=ドンの横たわるベッドに近寄ると、彼の息の音が多少落ち着いてきていた。

 何とか声を出すことも出来るようになったらしく、フローラに顔を向けて、

「君は、誰だ……?」

 と掠れた声で訊ねた。

 三度目だ。フローラは、マスクを顎の下に一度退け、三度目になっても全く声色を変えず、

「ナースの端くれです。()()()()()()()()()。――私が此処に居る経緯については、もう少し貴方自身が回復した後に、隊長であるフリアイ大佐からお聞きになると良いでしょう」

 そう云ってマスクを戻し、消毒用の道具と包帯を持って、彼の足下に近寄った。

 膝下から足首まで巻き付けてあった、ただのタオルをゆっくり外し、改めて傷を眺めて、フローラは「成る程」と感じた。

 彼の怪我の(おも)は、切り傷では無く、打撲だ。皮膚が青黒く腫れ上がっている。

 タオルに染みこんだ血を見て裂傷を想像していたのだけれども、傷の様子を見る限り、刃物で切られたようなものではない。恐らく、釘抜き・ツルハシ・角材のような、「尖った部分、または鋭い角」がある「硬い、あるいは重いもの」で「撲たれた」傷……だろう。運悪く、尖った部分が刺さったか抉ったかしたので、出血してしまったのだ。

 そちらの傷は自分で縫ったらしい、痛々しい縫合糸が見えていた。タオルの血は、随分古いものだったようで、出血は完全に止まっている。壊死、酷い化膿も見当たらない。

 それで「抗生物質の投与は必要無い」と判断したのだろうが――ある意味「結果論」か「賭け」だ。体力を削がれて寝付いてから、己の傷の様子をまともに見られてはいないだろう……痛みからの判断で「化膿していない」方へ「賭けた」のだろうか。化膿をしていないのであれば、ここで自分の傷に限られた薬剤を使うのは勿体ない、体力が戻りさえすれば己の治癒力に賭ける――そういう判断か。

 その判断、決断は解らなくもない、自分が彼の立場でも悩ましい決断をすることになろうと思ったので、フローラもここで、彼が「変な意地を張った」と思うことはなかった。

 ただ、主たる傷の方は――もしかすると、ただの打撲じゃなく、ひび、骨折の可能性もあるのじゃなかろうか。副え木も無かったので、フローラには判断が出来ない。ただ、これが開放骨折であれば、大尉も迷わず薬剤込みの点滴を望んだだろう、とは思った。


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