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THE LAST MAGICIAN the past  作者: 橘隆之
【五日後のサヴァナ】(1)
211/276

【a5d:svn】(1) -[3]-(3)



 こちらです、とオリバーに案内され、殺風景で狭い通路を歩いて行く。

 同じようなデザインの扉がいくつか並んでいる、雰囲気からして、宿舎――就寝室と云うところだろうか。扉と扉の間の距離を考えると、二段ベッドを二台置いた時に収まりが良さそうだ。

 行き止まりと、その手前の扉は少し色が違っていた。

 行き止まりの扉はスイング式だった。どうぞ、と云いながらオリバーが両手で押して開き、フローラも後に続く。

 その部屋は、今まで通過した部屋、通路とは床や壁材が違っていた。リノリウムとタイルだ。

 棚の中身や燃料等が無くなってしまった所為でまともに機能しなくなっただけで、設備を見れば、ここは「医務室」であることが分かる。中央に、恐らく手術台も兼用しているだろう、古い血痕も見える診察台があり、奥に、もう少し背の低い簡易ベッドもあった。入って右側の壁には、閂の掛かった大きな扉がある。その直ぐ近くにストレッチャーがあるので、直接傷病人を医務室に搬入出来るようだ。

 ――その様子が直ぐに分かるのは、此処にだけ天窓が付けられているからだ。フローラがちらっと天井を見上げる。

 手術台兼用の診療台があるのだから、大きなランプもぶら下がっているが――果たして、現在これは機能するのだろうか。

 期待は出来ない。陽があるうちに出来るだけのことをやった方が良いだろう、とフローラは判断し、奥のベッドに視線を戻した――そこには、兵服の男が寝かせられている。

 オリバーを伴ってフローラが近づくと、少しだけ顔を動かしたが、震える唇から声は出てこない。手も、小刻みに痙攣していた。

 左脚に、只のタオルをぐるぐる巻きにしていた――赤黒い血をしみこませた様子が見える。

「深刻なのは、足の怪我ですか?」

 フローラがオリバーに問う。彼は悩ましげに首を捻り、

「……実は、この方が、我が隊の軍医殿でもありまして……、ウドゥ・エ=ドン大尉です。私には何とも申せませんが、御本人は、怪我の方を深刻に考えている様子ではありませんでした」

「そうですか」

「――先ほど、介助しても、口から水を飲み込んで貰えませんでした。私から見ると、そちらが深刻です」

 オリバーが顔を顰めながら告げると、フローラは表情も変えず、「成る程」と頷いた。

 年は、イーヴィ大佐と同じくらいに見える――とは云え、大佐自身が憔悴した顔をしていたので、実年齢は分からない。大佐は、元々髭を伸ばしていたようだが、今寝そべっている彼は普段だと剃っていたのだろう、スォ=ハムの頭と同じくらいの長さで無精髭が覆った頬は、大佐以上にこけている。

 聞こえていないかもしれないが、フローラは「エ=ドン大尉、失礼しますよ」と云うと、胸ポケットからボールペンを抜き、ペン先と反対側に取り付けているライトを灯して、彼の瞼を引っ張り、血色と瞳孔を見た。

 それから、耳の下や首筋を触る。

 ――寝かせられている彼は、今ここに居る筈の無い女の姿に、何の反応もしなかった。果たして、この状況を全く不思議に思わない精神的な錯乱に依るものか、不思議に思っても表情や声に出せない身体的な衰弱に依るものか、それは分からない。

 手首を取って脈を見、それを大尉の胸の上にそっと置くと、オリバーを振り返って、

「大尉は、点滴が要りますね」

 きっぱりと云い、改めて、機能しなくなった「医務室」の全体を眺めた。

 本来なら薬品や包帯等が納められている筈の棚は空っぽだったが、点滴袋をぶら下げるためのフックの付いたポールや、〝心電図計〟〝超音波検査機〟等は残されている――()()()()()()()()()()()()()ものは置いていったようだ。しかし、八つ当たりだかストレス発散だか嫌がらせだか、いちいち蹴倒したり鈍器を使って撲ったりしている。

「――あちらは、ご不浄(トイレ)ですか?」

 部屋の一角に、もう一度小部屋を作るような形で扉があった。タイルの大きさと色を変えて、医務室全体の雰囲気から「浮く」ように作られている。床面積からして丁度そのくらいだったのでオリバーに問うと、彼からは「はい」と答えがあった。

「バスルームは、まさか、彼処だけ?」

「いえ、通常の風呂(シャワー)と便器は、別にあります。あれは、――その、便や尿の検査のためとか……下痢の症状等が出ている者を、医務室に隔離と云いますか、しておくために……」

「成る程。考えてますね」

 そう云うと、フローラがツカツカと来た道を戻り、慌ててオリバーが追いかけた――彼自身、まだ体調が万全では無いので、多少ふらつく。

「軍医でもある大尉御本人が、怪我の方を深刻に考えていなかったというのを取りあえず信じて、先に、点滴です。彼には体力を付けて貰わなくてはいけません」

「は、はい――」

 フローラが歩調を緩める事はなく、寝室と思しきドアをチラッと見て、

「他の方々に、脱水と栄養失調以外の傷病は?」

「幸い、今のところ……。怪我人が二人居ますが、そちらも大尉殿と比べて深刻なものではありません。基本、飢えと渇きで弱っているだけだと思います。エ=ドン大尉以外は、介助すれば水と塩は口に出来ました」

「そうですか、ならばやはり、大尉殿が最優先ですね」

 こくん、と頷き、フローラが――まるで独り言のようにオリバーの返事を必要とせず――続ける。

「他の方々は、大尉に点滴針を刺してから拝見することにします。もしや、薬や医療行為を切実に必要とする傷病人が多く居られるようなら、もっと状況が深刻になるところでした。軍医殿には、誰より早く回復して貰わないと」

「……ごもっともです」

 この「布の扉」を抜けると、再び砦の入り口、砂漠への出口の筈だ。これまで歩いて来た通路と違って、段違いに明るくて眩しい筈だから、フローラはゴーグルを戻した。

「保健・医療用物資も、ある程度は載せていますので、それを取ってきます。少々お待ち下さい」

 そう云いながら布をくぐると、剛義が、

「おう、どげえかえ(どうだね)

 と随分曖昧な声を掛けてきた。フローラは、

「報告は後にします。処置が必要な方に、それを終えたら」

 筆頭(ボス)に、今のところそれだけ返答した。剛義とイーヴィ大佐の間を通過することになるので、軽く頭を下げながら出口へ真っ直ぐ向かう。

 オリバーが慌てた顔をしてフローラを追った。

「荷下ろしですか? 力仕事なら、私がやります」

「結構です。そんなに重いものでもありませんので」

 振り返りもせず、砦を出て、フローラはトラックの方へ足を向ける。

「いえ、()()()! ご婦人にそういう仕事をさせるわけには――」

 焦った顔と声でフローラの後ろ姿へオリバーが云うと、彼女の足がピタリと止まり、振り返った。

「少尉殿、私も――好き好んで、と云うとちょっと語弊がありますが――自ら選び納得ずくで、戦地に、しかも敵地に足を踏み入れているのですから、そういう、性別の配慮は不要です」

「いえ、そう仰られても――」

 オリバーも諦めずに食い下がろうとしたが、フローラが腕を伸ばし、掌を見せて遮る。

「オリバー・ガ・トゥフ少尉。貴方には疚しい所が無く、紳士であることは私にも充分伝わってますが、()()()()()()()。いいですか、男性(とのがた)がその手の考慮をなさると、女の側(わたし)には、()()要素が一つ()()()しまうんです」

「――」

 今までも、だいぶ感情のこもらない淡々とした口調だったが、それが一層「熱を失った」とでもいおうか……キッパリとフローラが云う。オリバーはたじろいで口を噤んだ。

「その警戒は本来不要なものなので、()()()負担(ストレス)制限(リミッター)なんです、()にとって。――ただでさえ、自軍の装備・物資を敵地に持ち込んでいる上、ボスが()()()()人ですから、私が本来警戒していることは何か、貴公にもお解り頂けると思いますが?」

「……失礼しました」

 バツが悪そうな顔をした後で、オリバーは小さく頭を下げた。

「助力が必要なら、遠慮なく申します。――私は女で貴方は男性ですが、体力が落ちているのは、まだ貴方の方です。日陰で待っていて下さい」

 フローラは手を下ろして振り返り、真っ直ぐにトラックへ向かう。オリバーは――多少、しょげたような顔をして彼女の背中をしばし見送った。

 体力が戻っていないのも真実である。足下が少々ふらつくのを、扉の縁に手を置いて支え、砦の中に入った。

 果たして、フローラとオリバーの会話を聞いていたのかどうかは分からないが――

「……成り行き上、君に案内役を任した格好になったが、オリバー君、実は君が結局、何も食うちょらんのじゃないか? まだもうちょっと動いて貰わんといけん、これ、持っちょきよ(持っておきなさい)

 剛義が、吸引だけで栄養補給出来る、流動食のチューブを何本か掴んで差し出して来た。もう片方の手には、水の竹筒と小さな堅パンを纏めたポシェット状の袋を持っている。

 微かに狼狽の表情を浮かべ、スツールに腰掛けている隊長へチラッと視線を向ける――と、イーヴィも、今の段階で少し緊張が途切れているらしく、部下の視線に気付かないまま、パウチから匙を使って、豆粥をゆっくり口に運んでいた。

 オリバーは、恐れ入ります、と剛義に云い、チューブを兵服の胸ポケットに差し、ポシェットを腰に巻き付けた。

 直ぐにチューブを一本取り、封を解いて口にする。――そこで初めて、オリバーは自分の「空腹」に気づき、表情には出さないながら、強烈な()()に感激をした。比較的「金持ち」の家に育ったオリバーである、子供の頃には一流の料理人による高級料理や珍味を味わったこともあるが、今のこのジュレ程にまで美味だと感じたことは無かったかもしれない。

 直ぐさま二本目を開封したくなったが、この手の携行食は満腹になるまで口にするものでもない。フットワークを保ったまま栄養補給するためのものだ、剛義もそのつもりで差し出してくれたのだから。

 空になったチューブを丸めてポケットに突っ込み、オリバーが外を振り返る。

 ――実際、今「非力」なのは己の方でもあろうし、彼女が「そんなに重いものでもない」と云っていたのもそうなのだろう。しかし、フローラが「小柄」なのは本当だ。

 背の高い()()と比べても手足が絶対的に短いのはそうだから、少々大きめの箱を抱えるのに、顔の置き場で難儀していた。ちゃんと前を向くと箱が鼻の下に来るくらいの大きさだったため、足下を確かめるのに体と顔を傾けて歩いて来ている。

 オリバーは、驚かさないように正面でなく斜めから近寄って、

「此処からは私が持ちます」

 と手を差し出した。フローラはあっさり頷き、「お願いします」とオリバーに手渡した。

 オリバーは、「成る程、重くはない」と納得する。薬品等が入っているのならもう少しずっしり来ても良さそうなものだが、そうではなかったので、包帯やガーゼ等の類いかもしれない。

「先ほどの医務室に、一旦持って行ってください。もう一つありますから、直ぐに追いかけます」

 フローラはそう云うと、再びトラックに駆け寄った。


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