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オリバー少尉は、これまでに一切嘘を云っていないらしい。
そこまでの距離もそうだし――実際、砦が見えてきた時、その「生気の無さ」に、オリバーと同乗した太狼も、後続の剛義とフローラも、尋常ならざる事態を察した。
戦時下、「通常」なら、砦の周辺は警備兵が数名うろちょろしていて当然である。それが一切見えない。他にも、軍用車や戦車の整備だとかで、ある程度賑やかな筈だが――ここは最早、放棄された砦だと判断出来そうな程静まりかえっていた。
己より喫緊の状態の者も居る、というオリバーの言葉を信じるなら、――その者は、もう「天に召されて」いるのではなかろうか。あるいは、彼らを騙して物資を盗んでいった「少将」の如く、オリバーや東に向かった者達を置いて逃げていったのではないか? あるいは、絶望に駆られてオリバー達の帰還を待たぬまま、自決を選んでしまったのではないか――そんな可能性を思わせる程、生気が無いのだった。
それをオリバー本人も、もしかしたら感じたのか、太狼から促されて助手席を降りた時、随分と悲痛に顔を顰めていた。
太狼は小銃を肩に掛け、オリバーの腰に巻き付けていた凧糸の端を、自分のベルトに結びつけた。
剛義とフローラが降りてくるのを待って、四人纏めて、「砦」に近づいて行く。
オリバーが、煉瓦とコンクリートを重ねた壁の一部、色の違う場所に手を当てて、何事か呟いた。
イー・ルの経典にある文句をもじった合い言葉のようだ。
向こうから、「ザザザ」というノイズだけが聞こえてきた。――しかし、それだけでも「中に生きている人間が居る」という意味になるので、オリバーは微かに安堵の息を吐いた。
「オリバー・ガ・トゥフであります――」
オリバーが弱々しい声で云った。
がち、と鍵が開くような音がして、真っ黒な引き戸が、薄く開いたかと思うと、いきなり全開になった。
オリバーの隣には太狼が立っている。オリバーの斜め後ろにフローラが、その横に剛義が立っていた。
いきなり開いた扉の向こうには、オリバーと同じ色の兵服の男が、小銃を構えて立っていた。太狼より少し背が低いように見えるが、銃を構えるために若干膝を曲げて腰を入れているので、実際は同じくらいかもしれない。――白黒が半々くらいの頭髪と顎髭はボサボサに乱れていた、そのせいで、やはり太狼と同じような「灰色」に見える。
年の頃は、――サウザーのタオと同じくらいに見える。が……、目の下には隈が濃く、頬はこけてしまっている。もしかしたら、もう少し若いかもしれない。
見るからに、憔悴した様子だ。しかし、栗色の目の光だけは、決して濁っていない。
銃口を向けられたので、太狼は小首を傾げながら手を肩の高さに挙げた。その代わり、フローラがオリバーへ銃口を向ける。
オリバーは、目の前の男性に敬礼を見せ、改めて、
「当方の救命信号に応じて下さった方々と共に、オリバー・ガ・トゥフ、ただいま帰還致しました」
と述べた。
そこで、頬のこけた男性は、一瞬狼狽の表情を浮かべたが、ギュッと唇を引き結び、銃口を下ろして、オリバーへ敬礼を返した。
「ご苦労であった、少尉――」
声も威厳が残っている。
その様子を見て、剛義は「賭けに出る」気になり、一歩踏み出した。
「某は、サヴァナ・アルチザン・ギルドの現筆頭、タケヨシ・エアロと申す。貴軍のガ・トゥフ少尉による救助要請に応じ、救援物資を伴って参った。医療行為を要する御方が居られるなら、追加要請も儂の名に於いて命じる故、申されよ」
剛義も、凛とした敬礼を見せつつ、そう云った。この男が恐らく、オリバーの云う「隊長殿」ではないかと推測してのことだ。
ボサボサ髪の男は、オリバーと同様、剛義の名乗りに一瞬驚いた顔をした後で、眉を寄せた。
「――そのお言葉を信用するために、先ず、そちらのご婦人の銃口を、少尉より離すよう命じて下さりませぬか」
その言葉に、剛義が目に微かな笑みを浮かべ、ちらっとフローラを一瞥した。フローラが銃を下ろす。
「忝い」
そう云うと、目の前のイー・ル軍人は、自分の肩に回っていた小銃のベルトを外し、太狼の横に投げた。其処で太狼も手を下ろし、オリバーと己とを繋いだ凧糸も解く。
「タロ、花ちゃん。取りあえず水と食料じゃ。取り行け」
筆頭から命じられ、太狼とフローラが「了解」とトラックへ向かう。――フローラは物資を下ろす前に念を入れて、牽引した軍用品カーゴの閂を確認し、〈魔法〉による錠を硬く施した。
「少尉、大儀であった。――君は、多少、血色が良くなったように見えるが……」
「はい、水と塩を分けて頂き、恥ずかしながらのことですが、道中の運転もあの方に任せてしまったので、少しは休めました。私に出来ることがあれば、命令をお願いします」
憔悴した顔の男が改めて声を掛け、オリバーは太狼を振り返って答えた。続けてそんな頼もしい台詞を敬礼と共に返したが、
「オリバー君は、まず一休みじゃろ。――彼が相当な重要任務を達成したことは、俺にも判るで。日陰で休ませてやりなあ」
剛義が苦笑してそう云い、オリバーの背中を軽く押した。
ああ、そうだ――と扉の真ん前に立っていた男は道を譲って、オリバーへ「座って休みなさい」と告げた。
「俺の目に狂いが無けりゃ、あんたさんが『隊長』じゃと見込んだが、どうだね」
「……。仰る通りです」
彼は一瞬口を噤んだが、ハッキリと首肯した。
「私は、この砦を任されておりました、イー・ル聖道軍第十三連隊所属、BN=EV隊隊長、イー=ヴィ・フリアイ大佐であります」
彼もオリバーと同様、明確に、身分・階級も含めて名乗った。剛義が、敵方とは云え「最高権力者」であることと、明白に年長者であることを踏まえ、丁寧な敬語を使ってくる。
「蝦ふらい? こりゃまた、えらい食欲の湧く名前じゃな」
「――。発音が難しいようでしたら、『イヴ』か『エフ』のどちらででもお呼び下さい」
一瞬目を細めた後、淡々とイーヴィ大佐が返す。剛義も冗談のつもりで云った訳ではなかったから笑ってくれなくても特に構わず、軽く眉を寄せた。
「大佐ちえ。……この砦、陸上の展開で佐官が居るような位置じゃねえごとないか。そらまあ、砦一個任さるるんじゃき、そんくらいの肩書きがあって可笑しいことはねぇけど……」
「へえー、『さかん』? ――道理で、良い塗りをしちょる」
水のタンクと食糧の箱を剛義の脇に積み上げていた太狼が、父親の台詞を小耳にして、感心した声を出しながら砦の壁の煉瓦部分を撫でた。
「御次代。その左官じゃありません、にんべんが付く方です」
太狼とすれ違いながらフローラが、クールな声で訂正の言葉を彼に投げる。
「次代――。あの方は、ご子息ですか」
イーヴィが呟く口調で剛義に云う。それを耳ざとく聞きつけたフローラは「しまった」と、一瞬口に指を当てた。私も修行が足りない、と表情には出さずに反省する。
「そうじゃ」
「倅のタロウ・エアロです」
「――」
太狼本人も、イーヴィ大佐へピッと敬礼を見せて名乗り、直ぐ作業に戻った。
筆頭ともあろうものが、その上、後継者まで引き連れて敵地に、それも「救援」に向かうなど、どういう命知らずだ。敵ながら呆れた部分があり、しかし、それを指摘しては巡り巡って自分の行いの矛盾も示しているように思われ、イーヴィは喉元まで来た言葉を飲み込んだ。
「さて、あんたとこの現状は如何なもんなんかな。一先ず此処に積み上げたが、中に入れる力のある隊員さんは居るんかえ。隊長のあんたも、そこまで体力あるようには見えんわ。庫か何かあるんじゃったら、其処まで持って行っても良いで」
太狼とフローラが積み上げた物資を手で指し、剛義がそう云うと、隊長殿は、「は」と一度背後を振り返った。
直ぐ近くで床に座り込み、項垂れていたオリバーがゆるゆると顔を上げたが、――今一番必要な水のタンクを速やかに持ち運べる隊員は居ない……隊長は、それを良く分かっている。
「というか、水と食糧は、今すぐある程度が要るじゃろ? オリバー君から、彼より酷い状態の者が居るっち聞いたで」
如才なく太狼が剛義の横から、既に竹筒を何本か突っ込んだ麻袋と、オリバーに舐めさせたのと同じ岩塩の欠片を詰めた小袋を見せてくる。
「絶食状態が酷いのでしたら、こちらに豆粥のパウチも出しておきましたが」
乾パンや干し肉を口に出来る状態ではないのなら――という意味だ。フローラが太狼の横で、パウチを五個単位で纏めた袋を二つ見せる。
イーヴィは、うっ…と小さな呻き声を漏らした後、オリバーを振り返った。オリバーは隊長の顔を見て何を命じられずとも立ち上がり、扉に近づいた。一度腰からお辞儀をし、太狼とフローラから品を受け取ると、慌てて奥の方へ引っ込んでいく。
「……チォさん、水です! ああ、頑張って起きて下さいっ、溺れてしまいますよ――ソゥパ、これは塩だ、舐めながら水を飲め――」
――砦の奥の方から、オリバーの焦りと歓喜の混じった声が微かに響いてくる。
両脇に垂れた腕の先で、イーヴィがギュッと拳を握り、初めて砦から一歩を踏み出し、
「恐れ入ります――忝い、感謝しかございません」
震える声を出し、項垂れた。言葉と照合すれば、多分、頭を下げたのだ。
剛義は肩を竦め、軽く首を振る。
「SOSに応じるのはこの世の習いなんじゃけん。敵方にそげぇ感激して頭下げるもんじゃねえ」
「――しかし、少なくとも、貴方方は悪魔ではない」
真摯な目をして、イーヴィ大佐が剛義へ云った。
その様子を見て、傍のフローラが「成る程」と一人頷く――イーヴィにとって〝敵〟は純粋に「悪魔」なのだ。彼は彼で、少なくとも今目の前に居る「サヴァナ」を〝敵〟とは見なしていない……と。
この態度は、イー・ルの「信仰」と矛盾しない。だが、「体制」とは矛盾する。
先ほど、彼――「隊長」が、中枢から疎まれている存在なのではないかと推理したのは、さほど間違いでは無いかもしれない。
「大佐殿よ、さっきオリバー君にも云うたんじゃがな。君達が、介錯してくれっちゅうんじゃったら、俺はやってやるで? そうじゃねえけん、此処まで来たんじゃ。助け求めてきた死にかけの人間を頼まれもせんのに殺す、悪趣味にはなりたくねぇだけじゃ。――元気になったら、また殺し合わないけん。あんたも、大佐で隊長っち呼ばれる身なんじゃ、戦場で俺の顔見た時、切っ先鈍らしたらいけんで。下のもんに示しが付かんけんな」
先ほど、オリバーに対してもそうだったが、剛義はわざわざ、敵方の軍人へ激励や説諭のようなものを投げる――そんな必要は、決して無いのだが、とフローラは思う。実際、その言葉を聞いたイーヴィ大佐の目が、鋭く光を増し、
「重々、心得ております」
と述べた時、フローラは小さく溜息をついた。精神面でも、「敵に塩を送った」ようなものではないか。
――剛義とて、別にそこまで「正々堂々」「騎士道」「武士道」…等々の意味で、説教を垂れたのでも無い。
イーヴィ大佐の、人間性へ実際に触れてみて、改めて、
「この男が、体制から殺されるのは惜しい」
と感じたから、云わずに居られなかっただけだ。




