【a5d:svn】(1) -[2]-(1)
近づいてくるエンジン音に、イー・ル兵服を着た男は、弱々しく顔を上げる。だが、砂から顎を離すことも出来ず、当然、立ち上がって警告を発したりも出来ない――川を渡ってやってきたのだから、敵方だと明白であっても。
車が止まり、助手席から小銃を携えた小柄な女が出て来て、次には丸腰の年寄りが飛び降りた。運転席からは長身の男が降りて来る。
年寄りが倒れた男に近寄って、女が護衛のように直ぐ傍に付いていた。長身の男は、トラックの荷台部分に姿を消した。
倒れた男の傍らに年寄りが膝を付き、
「もう、立ちきりもせんのかえ」
厳かな声で、そんなことを云った。
それから、肘の辺りを掴み、持ち上げようとする。
「前のめりに倒れるんは天晴れじゃが、男が、特に兵隊しよる間は、敵に背中ァ見せたらいけん。ほら、コレに掴まってでん、前向いちょけ」
年寄りは見た目に反して強い力で兵士の腕を取り、先ほど彼自身が砂に突き刺した棒を掴ませた。
兵士は唇を噛みながらも、「白旗」のポールを腕も使って抱えて握り、何とか跪いて体を起こす。
先ほどトラックの荷台に隠れた長身の男が兵士に近寄り、同じく膝をつくと、目の前に手を差し出した。
「ほれ、水と塩じゃ」
右手に「竹筒」を掴み、左掌に親指の先ほどの岩塩を載せている。
――「白旗」を杖代わりに体を支えている状態なのだから、自力でまともに飲み食いは無理かもしれない。
銀髪の男は、岩塩を摘まんで兵士の薄く開いた唇に押し入れ、
「それ、舐めながら水飲め。塩辛く感じだしたら出しよ」
そう云って、顎を支えてやり、慎重に竹筒を傾ける。
兵士は眉を寄せたが、顔を背けて拒むことはなく、こちらも慎重に口内で溶けた塩分と水をコクリコクリと喉に通していった。
唯一銃器を「構えて」いた女が、その様子を見て銃口を下ろし、若い男と入れ替わりにトラックへ向かう。
程なく、角に竹竿を付けた麻布を取ってきて、兵士を中心に影を作るよう、その竿を砂に差した。
ゆっくりと口を閉じることで、水に対して「もう良い」という意志を示し、弱々しく自分の片手を口元に持っていって、残りの岩塩を吐き出した。
兵士は下を向き、「すう、はあ」と深呼吸を繰り返した。恐らく、ここでやっと「精神」の方に、安定感が出てきたのでもあろう。
「口惜しくはありますが、忝い……。助かりました」
俯いて砂を見下ろし、若い兵士はまるで独り言のように云った。
「貴公らは――サヴァナの御方で、ございますね?」
まだ若いのに、随分と礼儀正しい言葉遣いの出来る兵隊じゃ、と年寄りが顔には出さずに感嘆する。
「そうじゃあ。俺は筆頭の剛義」
「俺は倅の太狼じゃ」
若い兵士は、思わず目を見開き、何とか顔を上げ、二人それぞれに目を向ける。
剛義の後ろ、少し離れて立っていたフローラは、ゴーグルの奥で呆れたように目を細めている。
この場合、肯定の返事だけで良い。いくら相手が弱っているからって、「己は大将首だ」と名乗る必然性など無いだろう……SOSに疑いを持つのは「小心」だとフローラも思うが、これは「無防備」「無鉄砲」だ。トップとして多少「無責任」な気も、フローラにはしていた。
そんなフローラ自身は、如何にも「私は名乗る程のことでもないモブですよ」という顔をして、改めて銃を構え、筆頭から命じられた通り、周囲に蠍や毒蛇等の気配が無いか、そちらへの警戒を始める。
「何故、そんな御方が――助けて下さいましたか」
「いや、SOS出しよったんは、君じゃろ?」
呆れた口調で、これは太狼が云った。
「この旗も、君、川向こうの俺達に振ったろうが。『敵でも良いから』助けてくれ、っちゅう意味じゃったんと違うんか」
若い兵士は、困惑の表情で口を噤む。
――リオンと太狼の間くらいの年だろうか、剛義がそんなことを考えながら、若いイー・ル兵の沈痛な面持ちを見つめる。
「口惜しいっちゅうのも真なんじゃろ。人心地ついたら、生き恥が堪らんなったけん介錯しちくりぃっち云うんやったら、やっちゃってん良いけん、そういう訳でもねえじゃろ、あんた」
剛義がそう云うと、う、と鼻の頭に皺を寄せた。――涙腺が緩みそうになるのを堪えたような表情だ。
「『助かった』とも云うたもの、生きてやらないけんことがあったけんじゃろ。――どげぇした、脱走しちきたんか」
今度は兵士の表情が険しくなり、力を振り絞って首を振る。その言は、百パーセント否定する、と云いたそうだ。
「脱走など……ッ。あり得ませぬ」
「じゃあ、どげぇしたんな。何があった」
改めて問うと、若い兵士は一度唇を噛み、
「――私は、イー・ル聖道軍第十三連隊、BN=EV中隊所属の、オリバー・ガ・トゥフ少尉であります」
先ず、そう名乗った。随分義理堅い。成り行き上、剛義と太狼に身分まで含めて名乗らせたことで、己もそうせねばならぬと思ったらしい。――傍のフローラは、筆頭殿と次代殿が無防備なだけなのだからして、それに合わせなくても良いのに、と素知らぬ顔をしながら思った。
剛義が少々驚いた顔をする。
「尉官ちえ、偉ぇじゃねえな。何故そげん人が、こげんとこで行き倒れよんのな」
オリバー少尉は、自らが掲げた「白旗」を両手でグッと握って項垂れた。
「――恥を忍んでお頼み申します、どうか、我が隊へ僅かなりとも水と食料をお恵み下さい。戦いにて命を落とすは軍人の本望と思うておりましたが、緊急事態が生じ、我がEV隊は、飢えと渇きで全滅しかけているのであります」
項垂れたというより、頭を下げていたらしい。
「私は、まだ何とか動きも取れましたので、隊長より救命信号の発信任務を承ったのであります。現状、砦には私より喫緊の事態に陥っている者も居ります。――最早、それがサヴァナであろうが、本物の悪魔であろうが、隊員の命を救うてくれる者ならば、『縋れ』と――隊長の御命令で……」
悲痛な声だ。――若い少尉も、プライドと上官の命令と忠誠心、そして生命の危機の狭間で、酷い葛藤に襲われているのだろう。
剛義は事も無げに、
「そら、SOSを受け取ったんじゃ。そのつもりで水と食料は持ってきちょる。しかし、中隊とか云いよったな、足るじゃろうか? ……まあ、足らんごたったら、追加持っちくるまでは、節約しちくりぃ」
そう云うと立ち上がり、そっぽを向いていたフローラへ、
「花ちゃん、ちょぉ、この少尉君が乗っちきた四駆の様子見ちょくれ。埋まっちょるんじゃなけりゃ、燃料見てな」
そう命じた。畏まりました、と冷静な声で応じて、フローラが離れる。
次に剛義は、
「太狼、わぁの糸巻き、この子の腰に結び付けぇ。――オリバー少尉、大変済まんけん、俺も『大将首』まで一緒に提供しちゃるつもりは無ぇけんな。様子が分かるまで、人質にさせちもらうで」
息子に命じた後、敵の若い少尉へ声を掛けながら日除けの竿を取って畳んだ。
当然でもあろう、オリバーは、太狼に抵抗する素振りは見せず、腰へ凧糸を結ばせた――捕縄と云うには頼りない糸に、却って敵側のオリバーが戸惑いを覚えていたが――。
フローラが戻って来て、
「出られなくなるほどに埋まってはいません。ただし、燃料が心許ないです。どの程度の距離を走るのか分かりませんが」
川と反対側――より東の方角へ顔を向ける。今のところ見えているのも、波打つ砂の面だけだ。
剛義は、ふむ、と鼻を鳴らすと、「白旗」の上端を掴んで固定してやり、先に「立ちきるか?」とオリバーへ云った。
オリバーが片方ずつ足を砂に付け、膝を伸ばそうとするが――フラフラとして危なっかしい。水と塩で命の危機を逃れたことで、緊張の糸が切れたのかもしれない。
その様子を見て、父親から命じられる前に太狼が、オリバーの腕を掴んで自分の肩に回す。太狼が長身なので、殆どぶら下がって引きずられるような格好だった。
「オリバー君、目的地まで、迷わんかったら何キロくらいかえ。羅針盤やらレーダーやらは載っちょんのか」
「……砦から、信号が何とか発信されている筈ですので、それを追えば迷わずに行けます――が……。五、六キロほど走った筈ですけども、大きな砂山を避けようとしたら七キロを越える……かもしれません…」
オリバーの答えを聞いて、剛義がフローラに顔を向けると、彼女は「危ないです」とはっきり云った。
剛義は肩を竦め、「じゃあ、先に補給しちょこう」と、これまた事も無げに云った。
剛義がフローラに耳打ちをし、トラックから何か持ってこさせた。
イー・ル軍用四駆の助手席に、太狼が介添えしてオリバーを乗せる。敵の少尉はグッタリとして、「本当は不本意だ」という表情の移ろいも無かった。
太狼に給油をさせている間、剛義がオリバーの襟元に、フローラから受け取った〝マイク〟の付いたクリップを填めた。
「……運転は太狼にさするけんな。この車に三人乗るのは、重となっていけんかしらん、後ろからトラックで着いち行くけん、会話を聞かしちもらうで、事情聴取っちゅうやつじゃ」
「――。至極、当然のことと思われます」
剛義の方が「済まんが」という顔をしているので、オリバーは小さな声でそう云った。
満タンにして重くなっても後々難儀かもしれないので、太狼は給油を早めに切り上げ、タンクを物資のトラックに戻し、運転席に乗り込んだ。
弱々しく手を挙げたオリバーがハンドルの隣りのディスプレイを指し、
「……この信号を追って下さい」
と告げた。太狼は太狼でフローラから渡されたイヤホンとマイクを繋げたヘッドセットを着用してから、オリバーの指示に「おう」と素直に応じて発車した。
剛義とフローラも、トラックに戻る。運転手はフローラだ。




