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二人がSOSを受信した後で埋もれてしまった、なんてことが起きるほど時間は経ってないし、風も強くない。あるいは、「真北」か「真南」に近い方角であるなら、今、肉眼では見えないくらいの距離で、丘の斜面か川の此岸に行き倒れが居る、という可能性もあったが――
「……川に流されよる様子も無ぇんじゃな?」
「はい。それだったらとっくに、ロストしていると思われますし」
「……」
今、最も可能性が高いものとして――というより、そうであってほしいと剛義が考えているのは、イー・ルの都か、その周辺集落から脱出――亡命を目論んでいるイー・ルの民が、命からがら此処までは逃げてきた、というケースだ。
今のイー・ル、都は、政庁から最も離れた下町が完全にスラム化してしまっている。そして民衆は、上流階級・富裕階級・一般階級を問わず、大導師長・政権への批判や不満を表に出すと、刑務所行きにこそならなくても市民階級を落とされ財産を没収されてしまい、スラムへ追いやられるか都から追放されてしまうのだ。
城壁に入れない周辺集落――追放された者も含め――はそれ以上に虐げられ、イー・ル民としての市民階級は持たされていないのに、納税・兵役の義務は負わされる、という――かなり強硬な独裁政治がなされている。
「亡命」が判明して捕らえられれば問答無用に処刑される。かと云って、生きてても地獄。――多分、イー・ルの「神」に対する信仰が深い者ほど「体制」には不満が募っている筈だから、「どうせ死ぬなら、純粋な信仰を胸に故郷の砂漠で死ぬ方がマシだ」と考える者が居ても可笑しくはないし、逃げ延びることが出来れば、その時、正に彼は「神の加護」を実感することにもなるだろう。
そういう一か八かで逃げてきたイー・ル民――、剛義はそれを一番に想像している。
しかし、それがただの「期待」、「希望的観測」である自覚も、剛義自身にあった。都から此処までの間に、どれだけイー・ル軍のキャンプ、トーチカ、検閲所がある。それらを全部掻い潜って一般人が此処まで来られたと云うなら、剛義ですら、「神さん」を信じたくなるところだ。
現実的に考えたら――不本意ながら、「謀略」の「疑い」も持たねばならんのか、そんなことを考えつつ、剛義は帯に挿していた凧と糸巻きを抜く。三つ目、針金を取ろうとしたところで、剛義は上空を仰ぎ見た。
――「あっち」っちゅう可能性は?
そんなことが頭を過った。剛義の視線の先には〝筋〟がある、強い日射しと雲一つ無い青空の中で、ひたすら真っ黒い。
しかし、「そっち」の場合、「どっち」の可能性を考えれば良いのか、これまた難儀だ。「罠?」それとも「本当の救命信号?」、救命信号だとして、「誰を・何を、どう助ければ良い?」――剛義は、一度ぶるりと頭を振り、
〝なるようになら〟
それだけを頭の隅に置いておくことにし、針金を帯から抜いた。
左手で針金をびよんびよんと振りながら、太狼とフローラへ声を掛ける。
「おまえ達は、信号見失わんようにして、もうちょいと方向狭めちょいてくれぇ。特に、南側の可能性は潰さるるごたったら、先に潰しちょきてえけん、念入りに確認してな」
そう云うと、剛義の方は北向きに凧を飛ばした。紙飛行機のように投げると、凧は、たった三メートルほどの高さで川に沿うように滑っていく。
筆頭が何故そういうことを云ったのかが理解出来ているので、太狼とフローラは「了解」と応じ、東南の方へ目を向ける。
砂の川は、北から南へ流れている。人間がそう呼んでいるからと云って、律儀に同じ挙動をしなくても良さそうなものだが、大体は「下流」の方が実際の「川」と同様、域幅が広くなっているのだ。今は「渡れそうな場所」を探しているのだから、南側を先に潰したい、というのはそういう意味である。
それに――〝竜巻〟が通過していったのも、今の地点からだと南側だ。〝筋〟の監視も太狼とフローラの任務ではあったが、たった今はそうじゃない。「そっち」に近づくリスクは、現時点では回避したい、そういう思惑もあっただろう。
剛義は凧を飛ばしながら針金をびよびよと揺らし、「川沿い」を北方向へ歩いていく。太狼とフローラの方は、トラックから離れないようにしつつ、東南の方に顔を向けながら、やはり北方向へ横歩きか後ろ歩きで、じわじわと移動していた。
照りつける日射しの中で、しばらくそれぞれが己のやるべきことをやっていたが――
太狼とフローラの表情に緊張が走り、北の方向で
「おっ、あったど!」
剛義の嬉しそうな叫び声が上がった。
それとほぼ同時に、太狼の、
「お父! こっちさい来よんぞ!」
と怒号に近い声が上がった。
剛義の表情も、サッと厳しくなり、凧をその場に留めたまま、糸だけを伸ばしてトラックの方へ駆け寄る。
「こりゃ、『くるま』じゃ!」
太狼が叫ぶと、剛義は直ぐに、
「タロ、フロ! 小銃出しちょけ!」
険しい声で叫び、彼はトラックの前で針金を天に突きつけながら、川向こうの砂丘頂上を見張った。
太狼とフローラは云われた通り、トラックに駆け寄り、二人とも警備隊支給の小銃を抱えて飛び出す。
――ふと、フローラが太狼に、随分冷静な声で云った。
「御次代、後で筆頭にお伝え下さいますか」
「何だ」
「……『フロ』と呼ばれるくらいなら、『花』で良いです」
太狼は思わず、プッと吹き出し、
「帰ったら、云うちょくわ」
と返した。
ベルトを肩に掛け、銃口は川の方角へ向ける。
太狼とフローラは剛義を挟む位置で、北と南に二メートルほど離れた。
「お父、わぁ、木刀と針金だけで良いんか」
太狼が父親に声を掛けた。カーゴから何か取り出す必要があるなら、今のうちだ、という意味である。
剛義は振り返らぬまま、
「構わん。もう、鉄砲は重てぇ」
素っ気なく返した。
「筆頭、――先ほどの信号の速度からするに、あと五分以内に姿が見えると思います。それ以上何事も無ければ、一旦下がりましょう。水分補給をして下さい」
フローラも丘の方へ顔を向けたまま、冷静な声で云った。
「そうか。……五分やな」
具体的な数字で目安を云われたのは有り難い。剛義は其処から、数を数え始めた。
恐らく、「四分」くらい経った頃、――砂丘の頂点が少し煙った。それから、丘の形が少し変わる――尾根の一部が崩れ、砂がこちらに流れ落ちてきた。
その風景自体は、何だか儚い美しさを持ってもおり、「ここの砂は、ほんに粒が揃うてきれいじゃのう」と頭の隅で呟いてから剛義は一点を見つめ、太狼とフローラも視線を集中させた。
「お父。――イー・ルの軍用車じゃ」
「車」のボンネットとライトが、丘の向こうから覗いて、太狼が険しい声で呟く。
厳つい車体に幅広タイヤの四駆である。ただし、乗用部分の後方は金属フレームに幌だけを張って軽量化を図っているようだ――軍用車ではあるが、装甲はしていない。
砂の上でゆらゆらと車体を揺らしつつも、何とか丘の頂上まで辿り着くと、何故か車は止まった。敢えて止めたのか、それともタイヤが砂に埋まってしまったからかは分からない。
運転席側の扉が開き、人が出て来た。イー・ル正規軍の兵服を着ていることは分かる。恐らく男だ。
緊張した面持ちで、太狼とフローラは銃口をそちらに向けた――が……、三人とも「丸腰ではないか?」と感じて、訝しんだ。
肩や背中に、小銃等のシルエットが見えない。ヘルメットを被っているようでもないし、イー・ル兵に特有の、手榴弾を繋げたベルトのフォルムも見えない。
その人物は、運転席から「降りる」というより、「落ちる」ように唐突に出て来て、足をグサッと砂に刺した。随分乱暴に降りて来た割りに、振り返って運転席にまた顔を突っ込んだ仕草は、かなりの年寄りの如くのろのろしていた。
何か「長いもの」を取り出すと、運転席の扉は閉めないまま、手にした「棒」を掲げて振り回し、大口を開けた。
――白い布を結びつけた棒を振り回しながら、何か、叫んでいる……?
だが、それは直ぐに止まった。彼は、棒を砂に刺すと、そのまま身を屈め、膝を付いて、前のめりに倒れた、辛うじて、息が出来るように顔だけは横に向けて。
その衝撃で、砂がさらさらと、残酷な麗しさを持って流れてくる。
剛義はぎゅっと眉を寄せると、
「行くど!」
そう叫び、踵を返してトラックに駆け寄った。太狼とフローラも、筆頭の後を追いかける。
「タロ、わぁが運転せぇ。凧を追え、其処に狭ぇ所がある」
剛義は手にしていた糸巻きをトラックのミラーに引っかけ、助手席側から飛び乗る。その隣には小銃を備えたままのフローラが控えた。
太狼は真ん中の父親に小銃を渡してハンドルを握り、エンジンをふかし、アクセルを踏みしめて凧が示す方向へトラックを走らせた。
「助け行くんで良いんじゃの」
冷静な声で太狼が確認すると、「そうじゃ」と剛義は大きく頷く。
「フロは、『護身』と思うて小銃持っちょけ。サソリやらが居ってん困るけん、そっちを見ちょってくれ」
「――『フロ』までしか出てこないのなら、『花』で良いです、筆頭」
帰ってから太狼より伝言、以前に、フローラは自らこの場で冷静に云った。
「芝居、罠とは思わんで良いんじゃな」
倅は、無線小屋に居た若人と違って、冷静な口調で云ってきた。方針を確認するためだけの質問に、剛義は「いい」と再び頷く。
「あげん芝居は、人間、しきらん。あら、本気で弱っちょる」
フローラも同調した。
「少なくとも、あの男性を疑う必要はありません。――イー・ル人は狡猾ですが、プライドも高いです。敵を罠に嵌めるために、白旗を掲げて弱者の芝居をする、というのは――目的と手段を秤に掛けたとき、恐らく、プライドが勝ちます、イー・ル人には出来ません」
成る程、と太狼も頷き、凧が示している「川幅」の狭いところへ相対した。
一瞬だけ、「そり」に切り替えるべきか考え、この幅だったら何とかなるだろうと――
「行くどぉッ!」
少しバックし、そこからローギアのべた踏みで川に突っ込んでいった。
トラックは兎も角、牽引しているカーゴが流れに取られそうになったのはひやりとしたが、何とか強引に川を渡りきり、一目散に「白旗」を目指す。




