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「俺が行くけん、お父は、居っちょけ」
そう云うと剛義は、無線小屋の梁に引っかけていた衣紋掛けから刺し子の半纏を取り、今身につけている鎖帷子の上に羽織った。ギュッと帯も締め、頭には「豆絞り」の手拭いを巻くと、隅っこに立て掛けていた木刀を腰に差した。
若人の一人が、
「筆頭! ちょっと待って下さいよ、一号車に居るのも〝太狼さん〟なんスよッ! お二人共に何かあったら、どうすんスかっ」
無線小屋に置いていた〈通信機器〉の類いのどれを持って行こうかと見繕っていた剛義の背中に、あたふたとした声を投げかける。
肩越しにギュッと彼を睨み、
「今度は俺が情けねえのう。坊主、サヴァナの筆頭はエアロの者しかなられん訳じゃねえど。俺と太狼に何かあったら、筆頭出来る者がやれば良いだけじゃろうが。今のサヴァナには、居らんっちゅうんか。現筆頭と太狼が居らんようになったら、途端にわやになるんが、今のサヴァナか?」
詰問口調で剛義が云うと、若者は口を噤んだ。
「エアロのもんじゃねぇといけんっちゅうんやったら、まだ『獅子丸』が居るわぃ。そげぇしよんうちに、俺の孫に子も出来るわ。それか、義一の三番目のカミさんに、わぁの知っちょるジジ専で尻の大けな女の子でん紹介しちゃれ」
そこに、「ぶろろろん」という〈エンジン〉の音と、「ぶぶー」っというクラクションの音が聞こえた。
剛義は若者に云い捨てると、相当長く凧糸を巻いた糸巻きと折りたたんだ凧、二十センチほどの只の針金を帯に差し込み、一号車の位置を知るための〈小型無線機〉を手に持って、小屋を出て行った。
筆頭の背中を不安げに見送った後、シュンとしてしまった若者の背中に、義一が「ばん」と掌を当てる。
「良いか、『疑う』のと『警戒』っちゅうんは、違うのど。『怯える』のと『慎重』も違うんじゃ。君達が云いよんのは、『糸が切れたら俺はどげぇなんのじゃろう』っちゅう凧の方の理屈じゃ。糸を持っちょる人間の性根を持たんか。糸が切るんのが怖かったら、『切れんためにはどうしたら良かろうか』っち考ゆんのが本当じゃろうが。『それでん切れた時にはどうしょうか』っち考ゆんのが『先々のこと』っちゅうんじゃ。凧の方が『どげぇしょうか』っちゅうてん、どげぇもこげぇもならんろうが」
今度は、叱責口調ではなく、教え諭すようなしみじみした声で義一が云う。
「はぁ…」「へい」と若者は神妙に頷く。
義一は、ふうっと息を吐くと、
「分かったんやったら、仕事に戻りよ。取りあえず、俺が剛義の代わりに此処に居っちょくき、何かあら云いなぁ」
そう云って身を屈め、先ほど床に叩き付けた杖を取ると、彼らの背後の椅子に座り、「ふわー」と欠伸をした。
無線小屋を出ると、義一が命じた通り、カーゴを牽引したトラックが待ち構えていた。
運転手は、偶然にもニックである。
「何事ッスか、筆頭」
「一号車が、救命信号を受信したんと。実際に何事が起きちょるんかは、行っちみらな分からん」
助手席に乗り込み、ドアを勢いよく閉めると、小型無線機を手に「ゴー」とニックへ云った。
「『川』に近ぇっちゅうけん、君は着いたら、一号車に乗り換えて引き返しなぁ」
ニックは、元から「ボーダーパトロール隊」ではあるが、どちらかと云えば裏方の、通信や情報処理・伝達等、サポート業務の方が得意で、戦闘には向いていない。万が一のことを考え、剛義は先にそう云った。
ニックは「ひぇ~、マジっすか、云われなくてもそうします」と、ハンドルを握ったまま大げさに身を竦ませた。
ふ、と笑みを見せた後、直ぐに険しい目つきになり、剛義はジッと前方を見つめる。
――しばらくすると、ニックもおどけてのことではなく、本当に緊張してきたふうに肩を強ばらせた。
一号車が見えてくると、
「マジで、『ほとり』じゃないッスか」
焦りと嘆きが混じったような声が思わず出てくる。
「本当だ」
もう直ぐそこに、砂の流れが見えている場所で、一号車は停止していた。
息子の太狼と、巡回の相棒がもう一人、一号車から降りて待っていた。
ニックがトラックを止めると、剛義は直ぐに降り、
「おー、太狼。相方は『花島ちゃん』じゃったんかあ。丁度良かったのぉ」
と手を挙げながら、二人に近寄った。
下衣はカーゴパンツながら、上には刺し子半纏を纏った長身の男が、剛義の倅、太狼である。父や祖父ほど白くはなっていない、だが日射しで傷んでいるせいでアサギほどの光沢が無く灰に近い銀髪に、父親と同じく手拭いを巻いていた。年は、サウザーの三つ子達と同じくらい――今の時勢に一番重宝される年代だ。
境界警備時は二人組が原則であるため、太狼の隣に相棒が居た。背はそんなに高くない――というより、低い。やっと五尺に届く位の女性だ。目の色が随分薄いので平原や砂漠の任務は辛いらしく、傍からは目の形や表情が見えないほど色の濃いゴーグルを装着しており、栗色のおかっぱにキャップ帽を被っている――半纏や野袴というスタイルを取っているのは、それを代々連綿と好んできたエアロの家系が主だ。無線小屋に居た若者やニックのように、出たり入ったりで現在ギルドに所属し「警備隊」や「兵隊」に有る者は、民間人と区別するために「兵服」の着用もしている。よって、彼女もパッチポケットの付いた長袖の上衣にカーゴパンツという、戦場にあって何の変哲も違和感も無い形なのだが、太狼と剛義に挟まれると、何とも浮いた雰囲気であった――。
女性は、ゴーグルの向こうで目を細め、
「私は『花島』じゃないです」
淡々とそう云った。
「フローラ・ランド」
「『島』は兎も角、俺も『花ちゃん』の方が、呼び易いんじゃけどなあ」
太狼もそんなことを云って笑う。
フローラは、今度は無言のままだ。「勝手にしろ」とでも云いたそうに、クールな表情である。
「それで、SOSっちゅうんは? 大体、どっち方向から来よんのか、分かったか」
軽口は直ぐに切り上げ、真面目な声と顔で剛義が云うと、フローラはクールな顔のまま頷き、太狼も表情を引き締めて、
「……『対岸』のごたる」
と答えた。
むぅ、と剛義が唇を引き結び腕を組んで、肩越しにチラッとトラックを振り返った。
ニックは降りて来ていない。
剛義は太狼の持っている「箱」とフローラの持っている「板」を改めて見つめ、
「信号は、ソレに捕まえちょんのか」
「はい、油断したら途切れそうになるので……待機指示が出てなくても、迂闊に動けませんでした」
今度はフローラが答え、剛義は「そうか」と顎を引くと、もう一度トラックを振り返った。
「あっちの運転手は、ニック君なんじゃ。一号車に乗っち帰らせてん良いか?」
レーダー・アンテナを搭載している巡回車を帰らせても大丈夫な程度に、信号は捕捉出来ているか、という確認だ。
太狼とフローラが、見下ろし・見上げる形で顔を見合わせた後、「大丈夫だと思う」と返答した。
「じゃったら、直ぐ乗り換えて帰らしょう。ニック君には、川渡らすんも、此処で待たすんも危ねえ。花ちゃんも戻るかえ」
フローラへ意志を窺うように剛義が顔を向けると、彼女は首を振った。
「私は行きますよ?」
何云ってるんですか?というふうに小首を傾げながら、あっさりと返した。特に剛義へは「当たり前でしょ」と云いたげに――目が隠されているので彼に見えてはいなかったが――呆れた表情を向けていた。
そうかえ、と肩を竦めながら返して、剛義はトラックの運転席に向かい、ドアを開ける。
「ニック君、直ぐ乗り換えて戻れ。川を渡るかんしれん。戻ったらこれ持って無線小屋に行きよ」
自分が手にしていた無線機の〈周波数〉をトラックの方に合わせ、慌てふためいて降りて来たニックに持たせながら剛義が云う。
「川渡るって何スか。敵陣地っすよ。っつか、そもそも渡れるンスか」
ニックが今まで見てきた中で「一番暴れていた川」の記憶と比べたら、多少、穏やかな流れではある。しかし、幅は決して狭くない。今乗ってきたトラックとカーゴにも一応、橇やキャタピラへの仕様切替はあるが、それだけで大丈夫だろうか。
「渡りきらんごたったら直ぐ戻る。俺達もSOSと共倒れになるこた考えちょらん。無線小屋に無線持っていったら、警備隊詰め所に行って、〝筋〟の監視用の交替隊員、直ぐ出すように云うてくれ」
フローラと己の個人装備を下ろしてから、今度は太狼が、一号車の運転席にニックを押し入れつつ云い、早よ行け、というふうに手を振った。
「筆頭も次代も気をつけて下さいよぉ!? 俺、リオンにやべぇ通信すんの、もう嫌ッスからね!?」
窓からそんなことを叫びながら、ニックは一号車を全速力で走らせ、去った。
おー、と暢気に手を振りながら剛義は見送り、太狼とフローラを振り返って、厳しい顔付きで、
「さて、渡らるるとこ探さんとな」
と腰に手を当てた。
剛義は改めて「川向こう」を眺める。
今日の対岸は、ちょっとした丘になっていた。日によってはかなり平たくて、イー・ルのトーチカやアンテナが、砂の発する熱気の向こうに揺らいでいるのが見えることもあるのだけども、――今日は只の砂山だけである。
そして、その斜面には何も無い――足跡があるでもなし、勿論行き倒れている人影が見えるでもなし。生き物だけでなく、人工物らしき塊、欠片、端布等も無い。黄褐色の砂が、ただ積み上がっているだけだ。
「信号が出よんのは、大体どっちの方向なん?」
剛義がフローラに顔を向けて聞くと、彼女は右手の人差し指を川の方へ向け、
「東南東から北東――この辺りからあの辺……の範囲から飛んできてるみたいです」
肩を中心に扇を描くように腕を振った。
剛義は眉を寄せた。それでは確実に「対岸」で、しかも今、目前には何も無い――ということは、あの砂丘の向こうから、ってことだ。




