【盾と矛】-(3)
機会があるならその時、無いならそれはそれ……そう思っていたが、情報部で「あんなこと」になった以上、今をその「機会」と思わなくてはいけない、そんな気がする。
「ジェイ」
立ち竦んだままで名前を呼ぶと、シダーが「ん?」と振り返る。
「何だ?」
「――。聞いておきたいことが……いや、聞いとかなきゃいけないことが有る」
「ん? 何だよ」
薄暗い廊下で、お互いの表情は良く見えない。
マッカンは、微かに眉を寄せつつ、努めて冷静な声を作った。シダーは訝しげに目を細めながらも、声色は軽く応じた。
「君は一体、研究者としての『責任』を、どう考えているんだ」
「――」
マッカンが問うと、シダーは一瞬だけ口を噤み、肩を竦めてみせてから、恍けた口調で返す。
「ほう。そういや、ギャラリーは居ないしな。さっきの続き、此処でやるのか」
「――違う」
マッカンは、端的に否定した。
「さっきの続きというほど、今の私に、君と対立するつもりはない。純粋に、君の考えを聞きたいんだ」
「……」
「君は、あのイリグマギに『手を貸す』ことを決めてしまったんだ、尚のこと、知っておかなくてはならない。――君の辞書に『責任』の文字は無い、とでも云うなら、私やリンドが、責任を持って君を『御する』ことを考えなければならないだろう」
淡々としたマッカンの声に、シダーは俯き加減になって、「ふ」と息を吐きながら苦笑を浮かべた。
「どう考えている、なんて、漠然とした質問に答えるには、時と場所が必要だな。スッと答えられる問いじゃない。せめて受験用の小論文書くくらいの時間と、椅子をくれ」
そんなことを嘯いたシダーに、マッカンが今度は目を細め、「じゃあ、問いを変える」と云った。
「――一体、君は何のために『研究』をしているのだ」
「……」
「小論文ほどの時間は要らない問いだろう。――この問いは、学生の頃から『研究』に行き詰まる度に浮かんでくる疑問の筈だ、私にだって経験はある――『何でこんなことをやっているんだ』と自嘲気味にな。それでも未だ、止めていないんだから、答えは漠然とでも持ってるはずだ」
「まあ、そりゃそうだな」
今度は、ふざけた口調ではぐらかしたりもせず、シダーは頷いた。
「ジェイ、君は何故、『研究者』で居る。何のために『研究』をしている」
「知的好奇心を満たすためだ」
シダーは間を置かず、あっさりと――きっぱりと答えた。
余りにも躊躇いの無い答えに、マッカンの方が一瞬口を噤んだ。
「……。紋切り型。あるいは、判で押したような答えだな」
「その通りだ。何故なら、それが『研究者』『学者』と呼ばれる者の本質だからな」
嫌味のつもりでも無かったのだが、マッカンが溜息混じりに云うと、シダーは再び、気を悪くすることも無くあっさりと返す。
「他の動機は、『研究者』にとって本質じゃない。後付けのオプションだ」
「人のために役立つ〈装置〉の開発だとか、今存在する問題を未来までに解決するためだとか、そういうことは、ナンセンスだと?」
「ナンセンスとまでは云わないさ。それを云う人間の研究対象がそれ、ってだけだろ」
垂らした腕の先で、無意識のうちに拳を作っていたマッカンに、シダーは肩を竦めて軽い口調で云った。
「ただ、その開発が失敗に終わったり、問題が解決出来なかったりしても、研究者当人に不満は生じない。研究を行っている間は、満たされている。それが、『研究者』ってもんだ」
「……」
「その目的が完全達成されなきゃ、満たされることは無く虚しいだけ、ってんなら、そいつは『研究者』ってより、『研究』を手段にしか考えてない人物、ってだけだ。――俺に云わせればな」
「ジェイ。――それでは、『自分のためだけ』に研究をしている、と聞こえる」
シダーの言葉に、マッカンが喉に詰まったものを吐き出すような声色で云うと、シダーは一度「やれやれ」というふうに息を吐いた。
「そうだよ。――だから、俺とおまえは、もう立ち位置が違うんだ。俺は研究者で、おまえは役人だ」
シダーがそう云うと、マッカンは一度瞬きをした後、眉を寄せ、思わず一歩を踏み出した。
そんなマッカンへ、シダーが掌を突き出してみせる。
「俺も今は嫌味で云ってんじゃない。真剣だ。――立ってるフィールドが、学生の頃とは、もう違う。『研究者』のフィールドに、『役人』の立場でズカズカ入ってくるな。俺も、正式に雇われてる間に、スポンサーでもある『役人』のフィールドを殊更荒らす真似はしないから」
「――」
「おまえの立ってるフィールドは、『パブリック』だろうが。『研究者』のフィールドは、エゴだ」
――恐らく、同じ直線ではないだろうが、遠くで自分達以外の足音が響くのが聞こえた。玄関がもうすぐということだから――この廊下に用はない人物だとしても、通りかかって視界に入った時、廊下の真ん中で突っ立っていては何事かと思われるだろう。
シダーの方から、壁にだらしなく凭れて、マッカンに「こっち」と云うふうに小さく手招きをした。
大声にならずとも済むよう、マッカンも直ぐ傍らに立つ。これなら、腐れ縁の旧友同士が、積もる話でもしているように見えるだろう――。
「……俺の研究は、全て俺の好奇心と探究心を満たすためだけに行われている。それが後でどうなろうと、知らん。俺は俺が真実だと思う結果を出せれば、それだけで満たされて、完結する。さっきも云った通りだ」
この距離になれば、お互いの表情もまだ察せられる。シダーがそう云うと、マッカンは眉を寄せた。
「だから訊くんだ、私は君に。そこに『責任感』はあるのかと。万が一、君の研究が悪用された場合、良心の呵責は無いのか――仮に君がエゴだけで動いているとしても、自分の研究を『汚され』たかのような怒りは、覚えないのか」
「だから、俺は俺で、立ち位置の違いだ、つってるんだよ」
今度はシダーが、寂しそうに眉を下げ、溜息をついた。
「じゃあ、『おまえは今こういうことが云いたいんだろう』ってのを、想像して全部云うぞ? ――先ず、自分の知的好奇心を満たすためだけにやっていた研究が――それが何らかの『開発』であるなら尚のこと、『悪用』される可能性を全く予測せずに突っ走る研究者は、三流だ。いや、それどころか、子供だな」
「――」
「マッチの擂り方を覚えたばかりの子供が、火遊び繰り返してるようなもんだ。大火事になるまで青ざめない――自分自身のやっていることを『理解』出来ない知能しか持ってない」
ふん、とシダーが鼻息を飛ばした。――「俺はそんな『子供』じゃない」と云っているように聞こえる。マッカンは、そこで眉間の皺を消した。
「ならばそれよりは、自分の研究に『悪用』される余地があることを予見しながらも、知的好奇心の誘惑に負けて研究を進める者の方が、同業者として俺は納得出来る。最初から『悪用』をするつもりの研究者の場合でも、三流のガキよりいかれてはいるが、解らんことはない」
消えたばかりの眉間の皺が、また浮かぶ。マッカンは、
「それが『理解出来』るのが、君のフィールドだと云うのか」
と絞り出すような声で云った。
シダーは軽く肩を竦めてから腕を組み、
「理解が全く出来なくなった、ってんなら、少なくともツゥリー、おまえは『研究者』のフィールドから、もう弾かれてるってことだ」
「――何……」
マッカンは目を細め、シダーは一つ息を吐く。
腕は組んだまま、マッカンに近い方の手の人差し指を軽く立て、シダーが続けた。
「じゃあ、おまえの立ち位置……公権力も含んだ上で、具体例を出そうか。つっても、ユピタ=バルムやサウザーを名指してじゃなく、一般論として」
「――」
「一つの研究が、『国家的に悪用』出来そうな時――具体的には、官製の兵器開発に使えそうだ、という時に、な」
シダーが視線を遠くに飛ばして、飄々と云う――。
「最初に云った『三流』を扱うのは簡単だ、目的は云わずにスポンサーになってやるだけで良い。後々、自分の研究が大量破壊・大量殺戮を行って初めてそれを知る。――毒と薬は表裏一体ってことを心しないまま、『研究者』名乗ってるから三流だっつうんだ。『こんなことになるとは思わなかった』、の言い訳するようなら、三流の上に卑怯者だな。良心の呵責、あるいは世間の批判に耐えかねて首を括るようなら、可哀想だが、『三流』とは云え人として死ねるんだから、まだ良かろう」
「……。そんな云い方があるか」
「どう云えば良い。事実だ。それにツゥリー、おまえが云ってるのはそういうことだろ? そいつは、首括って『責任取った』つもりにはなった。じゃあ、彼が死んだ責任は『雇い主』が取るか? その責任を取った前例が、歴史上、たった一回でもあったか?」
冷たい目をしてシダーが云い、マッカンは一瞬口を噤んだ。
答えが難いマッカンに、
「云っただろ、ユピタ=バルムやサウザーのことを云ってる訳じゃないんだから、しれっとした顔で聞いとけ」
シダーが苦笑を見せた。
「雇い主の要望、目的を知りながら、『嬉々として』オファーを受けるなら、イカレてるが、『研究者』の本質、自分のエゴは充分解ってる点で『三流』とは違う。良心の呵責はあれど『資金提供』の誘惑に勝てず、乗るんなら、まあ、そいつもどっかでどんな形かで『責任』を感じる場面はあるだろうよ。――知らないふりして『こんなことになるとは』を云うようなら、やはり卑怯ではある、三流よりは知能が、イカレよりは理性がある分、人間性はもっとタチが悪い、とも云えるだろう」
「――」
「ツゥリー、おまえは、そんなオファーなら『受けない』のが、正しいとでも思ってるんだろう。どんなに己の好奇心を擽り、潤沢な資金を提供されようが」
「……ッ」
その通りだ、とマッカンは一瞬思った。――だが、シダーはやはり「俺はそうじゃない」と云っているように……聞こえる。
「それが、おまえの考える『責任』の有り様なんだろう。『公共の安全と利益』『世界平和』のために、自分の探究心を犠牲にするのが正しい、というのなら、おまえはもう俺と違う、ってんだ」
「……。では……、ならば、君は、どうなんだ」
マッカンが吐息と共に、声を絞り出す。慟哭になりそうなのを抑えつつ。
シダーが壁から離れ、組んでいた腕を解くと、ズボンのポケットに手を突っ込んだ。
「何にせよ、おまえとは正反対だ。――そういうのは、俺がやらなくても誰かがやる。だったら、俺がやる」
「――」
「俺が持ってる『責任感』ってのは、そういうやつだ」
マッカンの目を真っ直ぐに見て、シダーはそう云った。マッカンの手が、またしても拳になる。だが、シダーを殴りたい気分になっているのではなかった。




