【盾と矛】-(2)
「シダーさんは一旦城内に避難されていたようですが、避難民カードも返されてますので……。身分証明書の提示をお願いした上で、住民票等との照合や審査を経て、やっと通行証が発行されるという流れになりますから、日数を頂かなくてはいけません」
「――身元保証人として私が居た方が良い、ということですか」
マッカンが、「合点が行った」というふうに頷きながら返すと、サムソンも首肯する。
「そうです。これが民間人の保証人でも、そちら側の照合が必要となりますので、少し時間が掛かるのですが、城内の職員の関係者等であれば、もう少し簡易に出来ます。マッカンさんなら、現在は領主代理でもありますし、単なる保証人というよりも『領主からの命令で発行』という形に出来ますので、もっと話が早い。今、ちょっとお時間が頂けるならば、この場で発行出来ます」
「ああ……成る程――実際、それはタオ様から云われての事でもありますしね」
「そうでしたか、タオ様から。――っと云っても、今から頂くサインは、マッカンさんのお名前でお願いします」
そりゃ、マッカンがタオの名前を「サイン」は出来ない。サムソンもジョークのつもりで云ったのだろう、笑みを見せ合ってシダーの記入を待つ。
シダーの手が止まり、首を捻っているのでマッカンが「どうした」と問う。
「……何て書いたらいいのか分からん、此処」
ペンの尻で二箇所、記入欄を指す。サムソンも、少し身を乗り出して覗き込んだ。
「職業」「通行目的」という欄だった。
サムソンとマッカンの両名が苦笑して、総務の職員であるサムソンが答えた。
「魔術士隊の講義等にいらしていた頃は、『研究職』でしたよね。それで構いません。目的も、『有識者会議招聘』とでも書いといてくだされば良いでしょう」
それで嘘にはならない――かなり表面的だが。
「現状のような非常時に領主の命令によって発行され、後々通行証にサインが入りますから……。書類への記入内容よりもそちらの方が上位に来ます」
「持つべき者は友、って言葉は、今みたいな時に使うんだろうな」
軽く肩を竦めてシダーが苦笑を浮かべる。マッカンは何とも云えず、同じように薄い苦笑を浮かべた。
サムソンが書類の最下部、太枠で囲まれていないので未記入のままだった、しかし結構な面積がある欄を指し、
「では、シダーさん。こちらにサインをお願いします。一番自然な手加減で」
「フルネームの方が良いですかね?」
「役場での行政手続き時や研究室に居られた間などに、サインを要する事務書類へ記入していたのと同様の形が良いです。それがフルネームではなかったのであれば、必ずしもそうでなくても構いません」
承知、と頷き、シダーはサラサラッとサインした。ファーストネームは頭文字だけ、「J.Cedar」とかなりの殴り書きである。大学に居た間、「面倒臭いなあ」と思いながらサインをしていたときのまま、それがシダーにとって「一番自然な手加減」の筆記だった。
「それでは一旦お預かりします」
サムソンがそう云って書類を受け取った。
彼の前には、〈アクリル〉で出来たような透明の箱がある。その箱の蓋を開けて、まだ何も記入されていない通行証の台紙を入れた。完全に透明だから、通行証は透けて見えている。
サムソンは蓋の上にシダーが記入した書類のサイン部分を、慎重に載せた。箱の側面から覗き込むような仕草しながら、〝トンボ〟を合わせているようである。
よし、と頷く仕草を見せてから、シダーのサインを覆うように掌を当てて、クッと軽く押した。
――サムソンが手を離したとき、シダーが書いた黒インクによるサインは、書類の上から消えていた。
これには、「天才」などと称されることもあるシダーとマッカンの二人が、共に目をぱちくりとさせていた。
サムソンは「いつもの仕事」とでも云うような平然とした顔で、書類を左手に摘まみ、灯りのほうへ向け、右手では箱から通行証を取り出して、二つを見比べるように顔を動かす。
ここでまたサムソンは「よしよし」と一人納得する頷きの仕草を見せて、今度はマッカンに、
「では、今度はマッカンさん、こちらにサインをお願いします。同じく、いつもの通りの手加減で」
そう云って、書類を差し出し、シダーがサインした横の欄を丁寧に指さした。
マッカンは取りあえず云われた通りにサインをし、サムソンは通行証を裏返してさっきと同じ事を行った。
箱から通行証を取り出したサムソンは「少々お待ちください」と云って、一旦立ち上がり、部屋の奥の方へ去った。
書類は残していったので、シダーとマッカンは二人して覗き込む。マッカンが書いたサインも、一瞥したところ、消えていた。
だが、先ほどサムソンは、灯りの方へわざわざ掲げていた――。
「セーヂテキ書類だから、おまえが手にしてみろよ」
シダーが軽くマッカンを肘で突く。一瞬躊躇ったが、マッカンも好奇心が過っていたので、サムソンがやっていたように指で摘まみ、目の高さまで掲げてみる。
「ほぉ……面白い」
「興味深いな」
二人のサインは、透かしになって書類に残っていた。二人とも感心した溜息を漏らす。
程なくサムソンが戻って来て、
「お待たせしました、どうぞ、こちらです」
〈パウチ〉をして、ご丁寧にストラップも既に取り付け済みの通行証を、両手でシダーに差し出してくる。
シダーが「どうも」とそれを受け取り、マッカンは手にしていた書類をサムソンに渡した。
通行証の裏表をまじまじと見て、シダーはマッカンにも見せた――箱に入れるときは未記入の台紙でしかなかったのに、二人のサインがちゃんと書かれている。
「興味深い〈装置〉ですね、サムソンさん。直轄地で開発されたのですか」
さっきの透明な箱が何らかの〈魔術的装置〉であり、掌を押しつける仕草が何らかの〝メソッド〟であろうことは二人にも伝わっていたが、どういう「目的」と「結果」を持っているものなのかは分からなかった。
今此処に出て来た通行証からするに、筆記を転写した上で原本には透かしとして残すという装置らしい。
行政業務に使われているような〈装置〉なのだから、自分も知っていて可笑しくないのだが――初めて見るものだったので、マッカンが訊ねた。
「はい。実用に至ってからそんなに時間は経ってません。操作が出来るのも、現段階では〈魔術士〉に限られていますから、城内でも未だ一部にしか配置されていないんです」
「ああ……」
サムソンは、〈土〉の〈友〉だ。それでまだ領内各国に一般配備されていないのか、とマッカンは納得したことだ。
「原理が知りたいな。地味だが、かなり面白い〈装置〉だ」
用が終わったのだから片付けようとサムソンが箱に手を伸ばしたが、シダーが身を乗り出して覗き込む。
「設計に使った原理は、だいぶ以前に、既に論文で出されていたものだそうですよ。当時あまり流行っていないテーマだったからか――見過ごされてしまっていたようで。最近になって、応用例として、城の方に設計が提案されまして」
「『だそうです』? 設計を提案したのは誰です、俺、知ってるかな」
「大変良くご存知の筈ですよ、ダニエラ・ブルーム先生です」
「なぬ!」
大して大きくはない箱を覗き込むために、テーブルに這うような体勢になっていたシダーが、弾かれたように腕を突っ張って背を伸ばす。
マッカンも「ほぉ…」と驚きの混じった息を吐いた。
「あっ……の巨乳、地味な基礎研究しか興味ねぇ顔して、こんな応用発想も持ってたんじゃねーか」
「だから、そういうのはセクハラだと云うのに」
悔しそうにも嬉しそうにも聞こえる、驚きの声を上げたシダーへ、溜息混じりにマッカンが苦言を投げた。
「入城の際には、魔術士隊棟の通用門か、城北の裏門をお使い下さい。〈スキャン〉が有りますので、それに翳して頂ければ、通行出来ます。――シダーさんも有名人と云えば有名人ですから、現在も避難民が多く居る以上余り目立たない方が良かろうと、僭越ながら、出入り口は限定させてもらいました」
「ああ、いえ、それは逆に有り難いです」
サムソンが改めて説明すると、シダーが肩を竦めながら彼に笑みを見せた。
「城内各所にも〈スキャン〉があります、それが〈鍵〉になっている扉等の場合は、通行可能な場所であれば、開きます。ただ、城内でも『プライベート空間』になっているエリア――タオ様の私室ですとかお客様の宿泊棟ですとか――や、よりセキュリティが厳重な公務エリアは、解錠出来ず、アラートが鳴ることもございます。のべつに『探検』して回ることは、ご遠慮頂きたいかと」
多少おどけた声を出してサムソンが云うと、シダーも「はは」と笑った。
「大丈夫ですよ、俺は他人のプライベートにも政治にも興味は無いので」
「プライベートは兎も角、政治には多少興味をお持ち下さい」
サムソンが一度苦笑してから続ける。
「……『キー』になっているのもそうですが、タオ様と、サインをしたマッカンさんからの『呼出』を告げる〈通信機〉にもなっています。お二方からの『呼出』がある際には、白色で弱めに発光致しますので、居場所が分かっているならそちらへ向かうか、お近くの職員に声をおかけください」
「ほう? ――それもダニエラの設計で?」
シダーが目をぱちくりとさせて訊く――やはり、現状に於いて、興味の対象が少しずれている。
サムソンは苦笑の表情を変えずに、「ええ」と頷いた。
「ふぅん、つくづく、地味ながら面白いものを作ったもんだ。――お世話になりました、どうも」
首に掛けた通行証を摘まんで眺めつつ、シダーが椅子から離れサムソンに会釈を見せた。
マッカンも、「有難うございました」とサムソンに礼を云い、シダーを連れて総務部を出ていく。
総務部を出て直ぐに別れ、マッカンは領主室に戻るつもりだったのだが、
「……此処は、城の何処になるんだ? 魔術士隊棟はどっちだ」
シダーは、魔術士隊棟以外、城の地理――間取りを全く知らないらしかった。
さもあらん、シダーは城下町の出身ではあるが、一般市民の行政手続き等は、区割り毎に配置された出張所で大体は終わる。業者等を除くと一般人が政務中枢となる城まで入ってくることは、日常であればあまり無いのだ。
訊ねられたマッカンは見取り図を頭に思い浮かべて、隊棟への道順を辿ってみたが、途中、「十字路」や「曲がり角」も多い――口で云うより、連れて行った方が早いだろうと思い、
「じゃあ、隊棟の正面玄関まで送ろう」
と云って領主室とは反対側へ足を踏み出した。
――総務部と魔術士隊棟を結んだ動線上で、人とすれ違うことは珍しいと云える。魔術士個々は衣食住と訓練が隊棟の中で完結するし、他部署と行き来するとすれば〈軍〉司令部になってくるから。そして、総務部の者も、魔術士隊に限ってよりは〈軍〉本部の側に向かうことの方が多いので――シダーとマッカンは、誰とも出会わず、すれ違いもしなかった。
まだ全てのランプに灯りを入れるのには早い、という頃合いだったから、一階の、壁に挟まれた廊下は薄暗く、そこに「コツン、コツン…」と二人の足音だけが響く様子は、多少、薄気味悪さを醸し出していた。
一つ二つ、角を曲がって歩んでいくと――「こっちだよ」と手を差し伸べるかのように、小さな光が正面に見える。――「丁字路」の交わりを表しているランプだ。あの丁字路を右に行けば、ゴールはもうすぐだ。
小さな光を指さすように、腕を前に伸ばして、マッカンは
「あの角を右に曲がって、後は真っ直ぐ行けば良い」
立ち止まってそう云った。シダーは、「ああ、そうか」と頷くと、
「だったら、もう此処までで大丈夫だ。サンキュ」
軽く手を挙げて、そのまま歩く。
シダーの背中が目に入る。ふと――マッカンに、このまま帰らせてはいけない感覚が、過った。




