【歴史と現在と地図】-(4)
アサギが頷きながら云うと、今度は口もぽかんと開けたリオンであった。
そんなリオンに、アサギは微苦笑を浮かべながら続ける。
「――ね? よくある良い悪いの価値基準も、つくづくスヴァイツの人には『無意味』なんですよ。自分の国籍を抹消、偽造しても『平気』であることが必要な上に、前科は問われないんですから、スヴァイツや旧GAIAは意外と、犯罪の末に『国外追放』されてしまった人が職に就いた可能性だってあるんです――まあ、旧GAIAの頃は、『名誉な職務』でもあったので、そういう人は滅多に居なかったかもしれませんが……。国家によっては、犯罪者ではないけど当時の政府にとって扱いの難しい人を『厄介払い』で送り込んだりもしたかもしれませんから、居ても可笑しくはない」
「……」
「とはいえ、行動原理に『星法』を厳格に置いて『中立』で居ることが絶対条件ですから、『ただの無法者』に務まるものではないと、それはリオン君もお分かりでしょう? その代わり――というか『その分』というか――見ようによって『破壊工作』にもなる任務には、そういう人が就く方が適しているかもしれません」
「それは……そうだな…」
「だから、スヴァイツ機関に属する人達の『人格』も、善悪や正誤、単純な人情だけで、判断出来るものじゃないんです、恐らく」
アサギが、作ってのものかどうか判断はつかないが、随分冷静な声でそう云った。――さっき自分でも云っていたが――昨日、タオに「叱られ」た後でスヴァイツ機関の説明をすることになったために、「人が好すぎる」部分に、修正が掛かったようだ。
――スヴァイツ機関の「やるべきこと」が「キツイ」だろうことに同情してしまうと、後で自分が痛い目に遭うかもしれませんよ――
リオンには、アサギがそう云っているように感じられて、少し狼狽したふうに視線を揺らがせた後、
「そっか――」
と溜息混じりに呟き、コクッと頷いた。
アサギも「そうです」と頷き返した後で、表情を緩めた。
「――想像してみるに、現在のスヴァイツ機関はどうなのか良く知りませんが、GAIAでは、『職務に就いている自分』と『純粋な個人』としての『人格』を、かなり明確に分けることも出来てたんじゃないかとも思います」
リオンが「何で?」と首を傾げてみせた。
「机上の知識からの想像に過ぎないんですけど。――旧GAIAの頃は『職員として表に出る時』に、制服と云いますか……外見上の特徴があって」
「――へぇ? ああ……まあ、制服が有ると、無いよりは『オン・オフ』の切替がキッチリするのは、俺にも判る。どんな?」
「目隠しをすることと、素顔を隠すことです」
「……は?」
想像とだいぶ違った答えだったからか、リオンが少々間抜けな声を出す。
「な、何ソレ」
「先に制服って云っちゃったから、何か別の誤解をさせてしまったみたいですね。それも、厳格に中立な『GAIA』の職員として在るために必要な……明確な理由があってのことです。単に所属を表に示すんじゃなく」
アサギが軽く手を振り、済みません、というふうに苦笑を見せた。
「そういう『神話』、聞いたことないですか? 被告や原告の姿形で判断を迷わない、惑わされないために目隠しをしている、裁きの女神様」
「ああ……聞いたことある。剣と天秤を持ってるっていう」
「目隠しの方は、その女神様と全く同じ目的です。ですから、学術研究機関等はその限りじゃないんですが、直接の政府機関――議会事務局や行政事務、裁判所等に準ずる部署の方々は、大使や議員など国家関係者と顔を合わせるときは、目隠しが原則だったようです」
「へっ……へぇえ…」
呆れと感心が混じったような声をリオンが上げる。
「んじゃ、研究機関とかの人は、目隠しこそしなくて良いけど、素顔を隠す方はしなきゃいけない?」
「はい。どうやって隠すかは自由だそうですが。仮面だとか、ヴェールとハットだとか、あるいは素顔が判らないくらいの厚化粧でも良いみたいです。その『作った顔』の方に合わせて『衣裳』も切り替えてたかもしれませんが――意匠が固定のマスクがあるとかって訳ではないので、制服って云ったのは、やっぱり、語弊がありましたね、済みません。ドレスコードって云うべきだったかな」
「ふぅん……そっちの目的は?」
「個人の特定を避けるためです」
アサギのあっさりした答えに、国籍の抹消が最初にあるんだから、そこまでしなくても良いのでは……と思い、リオンは訝しげに目を細めた。
「彼らも一日中職員として務めている訳じゃなく、常にスヴァイツ諸島に居た訳でもないので、『一般社会』の中で過ごす時間もあるんです。休暇の時は旅行にも行くだろうし、個人的な生活用品等は、大陸の方へ遠出して一般商店で買い物したり、あるいは大陸側との一般企業と取引をして、窓口としての小売店が諸島にあったりもしたのかもしれません。――現在のスヴァイツ機関の人達はどうなのか判りませんが、GAIAの時代は、そういう意味の『オン・オフ』があったと思います」
「『一個人』の時に『素顔』で居られるように、『職員』の時は顔隠してたってこと? でも、何でそこまで?」
やはり、少々呆れた声色が混じって、リオンが訊く。
アサギは、表情を引き締めて答えた。
「『GAIA職員』――『公』の時間のアイデンティティが明瞭な分、素顔で個人が特定されると、色んな意味で危険が生じるからです」
「え? ――危険?」
そこでリオンも、ピクリと眉を寄せた。
「例えば、スヴァイツ諸島外で私的な時間を過ごしている間に、贈賄を仕掛けてくる者が居たりとか――本人に収賄の意志はなくても、そもそも『誘い』が生じること、その結果『疑惑』が生じることが、『危険性』と云えます」
「……」
「もっと直接的に、――国家の体質によっては、GAIAが『疎ましい存在』と受け取られる場合もあるのですから、『暗殺』等も考えられます。本人だけなら兎も角、まだ国籍が有る、本国に残した家族、親類縁者にも、危険が及ぶ可能性があります」
「ああ――」
リオンが大きく頷く。それは大いに納得出来る。
目隠しの方が、厳格な意味を持っているように思われていたが、聞いてみれば、顔を隠す方が重要だと分かった。当人にはどうにもできない理由と意図があったのだ。
目隠しが持つ意味は、自主性で何とかなる。自分自身の意志で「見かけで判断をしない」ようにすれば良いだけだ。敢えてアイマスクや布で目を覆うのならば、それは第三者に向けてアピールする意図を持ってのことだろう。
だが、顔を隠す方は、自分ではどうしようもない。それをせねばならない理由、「危険性」は第三者からもたらされるものだ。
リオンが腕を組んで、「ふぅむ…」と鼻を鳴らす。
「んじゃあ……、今のスヴァイツ機関の人の方が、オンとオフの切替、大変そうだな。諸島の外で代を重ねたって人達は、GAIAの頃と逆に、素顔晒してる方が多いわけだろ? 『一般社会』でいつも顔隠してたら、それだけでアヤシイ人だもん」
「……それはそうかもしれませんね。気を張ってなきゃいけない時間がGAIAの頃とは違う、という点で『きつい』だろうことには、僕も全面的に同感です」
こくん、とアサギが頷く。
「もしかすると、現在諸島外に居る人達は、もう本拠地の方に全く戻らない、向かわないということもあるかもしれませんね。諸島の本部で代を重ねた人達が、旅行者や親類を装って訪ねていく形になっているかも――」
「そうだなぁ……、根付いた土地によっちゃ、これ、相当の長距離移動になるし、海も渡らなきゃいけないんだもん。相当広範囲に素顔晒すことになるか、そうでなけりゃ怪しまれるかになっちゃうもんな。長期間『家を空ける』ことで、地元でも訝しまれたりするかもしんないし」
地図を見下ろしてリオンが云うと、「ええ」と頷いた後で、アサギが淡々と語った。
「……そういう想像をしてみたら、諸島外に居る人が『中立』を保つのは、かなり精神力を必要とすることかもしれません。――『ご近所トラブル』が起きた時に『誰か・どっちかの肩を持つ』とかまで星法で裁かれることはないでしょうから、〈一般市民〉を装うだけならそんな心労はないでしょうけど」
「そりゃ、そんなんにまで中立で居ようとしたら、『優柔不断』『八方美人』になっちゃって、逆にその土地で生きづらくなっちまうよ」
呆れた声でリオンが云うと、アサギが「ふ」と口角を上げた。だが、その表情は直ぐに消える。
「ただ、今の時勢で『国家的中立』を自分の中では保って、目立たないように生活するのは、かなり――個人的な感情、信念の上でも大変なことだろうし、リスクも高いことだろうと、想像します」
「……それも、そうだろうな」
特に「敵じゃなければ味方」「味方じゃなければ敵」の二元論に囚われている国家に所在があり、周りにもそういう人間しか居ないようだと……。イー・ルみたいに「信仰」まで同調しているふりをしなければならないとなったら、ストレスもリスクも相当だ。
「だからせめて、諸島外で根付いた人達は、元のルーツが自分と全く関係の無いところ等に居るんじゃないでしょうか」
「……ってーと?」
「GAIAの頃で考えてみると、当時のイー・ルは、東側で――現在の〝アイディンハ共和国〟と国境紛争というか、民族紛争というか……をやっていて――」
アサギが地図を指さして云う。リオンが「ふぅん…」と鼻を鳴らす。
「イー・ルからすれば、当時というより今も、サヴァナに対してと同じ理屈で『敵視』しているかもしれませんが。アイディンハ族の側からすれば、イー・ルによる植民地支配から独立するための戦いでした。イー・ル側にとっては、『反政府組織によるクーデター』」
「あ~……。もしかして、それを、調停したのも、GAIA?」
「そうですね。……その後、結局アイディンハ共和国として独立した訳ですから――それもイー・ルがGAIAとスヴァイツを敵視する理由になるでしょう」
「デショウネ」
呆れた声を出しながら、リオンが大げさに頷いた。アサギが苦笑を見せた後で続ける。
「この場合、ルーツにアイディンハ族を持つスヴァイツの職員が、アイディンハ共和国に根付いてしまうと、『肩を持』ってしまって、心情的に、『中立』が保てないんじゃないかと」
「ん~……」
「だったら――GAIAが無くなってからもスヴァイツ機関に残った、ってアイディンハ族の人は、イー・ルに潜入する方がまだ、『中立』を保つのに――苦労はしない、気がするんですが」
「えー、そうか?」
「愛着がある側に居ながらそれを表に出せないことと、愛着が無い側に居てそれが有るふりをすることだったら、後者の方が、辛くない……気が、僕にはするんですけど」
「ああ――そう考えたら、確かにそうかも。心の中で『泣く』のと『舌を出す』のだったら、『舌出す』方がストレスにはならない気がする」




