【歴史と現在と地図】-(1)
一度アサギがランプに灯を入れるために立ち上がり、その後も地図を前にリオンへの教授は続いた。
一応、最初の質問である「スヴァイツ機関とは何ぞや」は答えて貰ったけれども、何故それを訊いたかと考えたら、アサギとの知識量の差を埋めたいが為だ。最低限、さっきの会議の場でタオが「あの女」の言葉に「食いついた」理由が分かる程度には、アサギから聞けることは聞いておきたかった。
「――さっきリオン君が云った『正義の味方ぶったテロ組織』というのは、ちょっと云いすぎですが、『スパイ集団』と云ったら、そうとも云えますね。あの女性が仰った『あの方達は行儀が悪い』というのは、そういう意味だと思います」
「ん?」
アサギが苦笑を浮かべて肩を竦めながら云った言葉に、リオンがパチパチと瞬きをする。
「GAIAの頃は基本的に、『叡智』は、本部であるスヴァイツ諸島に各国が――そうですね、『提出』するような形で、大っぴらに集積されていました。それを、中立的立場のGAIA職員が、精査していく形です。――が、当然、今は違います。というか、そんなことは不可能、ですよね」
「まあ…、そうだよな」
「よって、スヴァイツ機関の『人達』が全て、自ら、『集積』しなくてはならないわけです」
アサギはそこで一度口を閉じた。リオンに――「分かるでしょう?」というふうな目を見せる。
その視線にリオンも頷いた。
「成る程……。それで、『スパイ集団』みたいなもの、か」
「はい。――GAIAの頃と比べてどのくらいの研究機関が残っているのか、どの程度機能しているのか、僕には分かりませんが――最低限、〈科学技術〉と〈魔術知識〉、〈歴史〉は、今でも必ず蓄積していると思います」
「――あんたがそう思う、根拠は? それも旧GAIAの理念上、必須だったから?」
リオンが首を傾げると、アサギが「ええ」と頷く。
「〈科学技術〉については、現状でスヴァイツが最先端を行っているくらいじゃないと、さっき例に出したような『星法に違反した行為』への制御や抑制が出来ませんよね。同じ理由で〈魔術〉についても」
「ああ……そっか」
「〈歴史〉については、GAIAが発足した最初の目的、と云っても良い位ですから。それを放棄してしまったら、GAIAから引き続いたスヴァイツ機関そのものが、最早『骸』になってしまいます」
「発足の目的が、〈歴史〉の研究?」
「過去の研究だけじゃなくて、集積、蓄積――現在の記録も目的です。『究極的に中立』の立場で『出来事』を傍観している。現在、『当事者』が如何に自国・自分の正当性を主張して他国・他者を悪罵し、己の行動の動機としようが、ただ出来事を、その『主張』『悪罵』そのものまで含めて、中立的立場で誤りなく記録すること。――それを未来の人間が見た・知った・研究したときにどう判断しようと、今は知らない。そういうスタンスで、出来事を記録していくのが、GAIA、スヴァイツ機関の〈歴史集積〉の手法です」
「――」
アサギの説明を聞いたリオンが、ピクンと目を細めた後で神妙な顔をし、口を噤んで、間を埋めるように首筋を軽く擦った。
今リオンが何に思い当たったのか、アサギにも察せられるものがあり、彼が口にしない代わりにアサギが独り言のような口調で云った。
「――もし、イー・ルのサヴァナに関する主張が、二百年以内のものであれば、『真実』はスヴァイツの方々が確実に記録していることでしょう」
「……」
「二百年以上前のことであっても、スヴァイツ機関の歴史研究機関は、各地で編まれた歴史書も蒐集してます。其処には、一つの出来事を色んな角度で見た歴史が、書かれている筈です――その意味でも、イー・ルには、スヴァイツ機関をも壊滅させたい理由が有ると、云えそうです」
「そうだな――」
アサギの言葉に、リオンが神妙な顔のまま頷く。
――ギンの「講義」の中に、「歴史は人が『作る』ものだ」という言葉があった。それは彼の哲学にある言葉ではなく、皮肉か、達観としての表現だったが……。
リオンも、別の意味で、それは本当にそうだとも思う部分がある。今生きている自分が何かしたことが過去になったら、それは何だかんだ「歴史」だろうと。それを誰かが、好意的に記したか悪意を持って記したか、――「主観」を入れた時点で「作られた歴史」になるのだ。
だが、スヴァイツ機関にある「歴史」は、少なくとも他の国で編纂された歴史書よりは、「真実」に近い、ただの出来事の記録らしい。
一体、イー・ルの主張が、完全な虚構なのか、真実が含まれているにしても歪められているのか、それとも完全な真実なのか、スヴァイツ機関の人間は「知っている」のかもしれない。
しかし――リオンも、スヴァイツ機関が編んだ歴史書を「確認したい」気になって神妙な顔になった訳ではなかった。ギンが云っていた通り、それを「今」の戦争の理由にするのは、完全な難癖だと、リオンも思うからだ。だから、「今」のリオンには、その「歴史書」に、然程の興味は無い。
ただ、イー・ルの「強硬」っぷりと、サヴァナのみならずスヴァイツ機関も無くしてしまいたいだろう「理由」が、つくづく理解出来、アサギとは違う「腑に落ちた」感覚があったのだった。
「――そんじゃあ、『スヴァイツ機関の人間が、この島に〝住んでる〟意識を持ってるかどうか分からない』って、あんたが云ってたのも、そーいうことか…」
リオンは地図を見下ろして呟いたのでハッキリ自分への質問だとは感じなかったが、アサギが「そうです」と頷く。
「『記録した出来事』等、最終的な結果は本部の諸島に集積されているでしょうけど――実際に〝働いて〟いる人達は、世界中に散らばっているでしょうから」
「……。でも、どうやって? サヴァナの『間諜』だって、結構危ない橋渡って入ってんぜ」
「スヴァイツの人達も同様でしょう――GAIAの頃は国籍を『抹消』するものでしたが、今は『偽造』しているんじゃないでしょうか?」
「――」
アサギの答えに、リオンが訝しげに目を細める。
「それって、『違法』じゃないの?」
「違法ですよ、国によっては」
「……」
「ただ、スヴァイツ機関の人にとって『法律』は、『星法』が最上位です。『星法』には、GAIA・スヴァイツ機関の職員・人員の『元の国籍は抹消される』ことだけが書かれているので――抹消した筈の国籍が『残っている』時には、スヴァイツ機関から見ても完全に『違法』でしょうが、一度消した後の『偽造』に関してはグレーゾーンというか――」
「それはそれで屁理屈に聞こえるなぁ」
リオンが軽く口を尖らせて云う。アサギは苦笑を浮かべた。
「でも、偽造をしないと、そもそもスヴァイツの人達は『現在』『自分のやるべきこと』が出来ませんから。潜入した先で偽造がバレた時、その国の法律で裁かれるリスクは解ってて、覚悟も負った上でのことでしょう」
「――」
「……実のところ、今、この時にサウザーにだって、本当はスヴァイツ機関に属する人が居て、大学で科学や魔術を研究していてもおかしくはないし、真っ当に試験を受けて城の職員になっていても不思議ではありません」
アサギが随分当たり前のように淡々と云う。リオンは目をぱちくりとさせた後、ゾクッと背筋を震わせた。
「そ、そんなことあり得るの」
「あり得ますよ、サヴァナの間諜の方々がイー・ルに潜入している――出来ているのと同じです」
「……」
「フリュス村にも居て可笑しくないし、サヴァナ・ギルドにだって、居ても可笑しくないです」
「えぇ~……? そんな不審な感じの人なんか、いねえよ」
リオンが顔をしかめて云うと、アサギが再び苦笑を浮かべ軽く首を振った。
「そりゃ、そんな誰にでも分かるような『スパイ行為』やる人は居ないでしょう」
「――」
「僕らが分かるくらいの短期間で『潜入』『脱出』している人が居るとか居ないとかって意味でもないんです、リオン君。スヴァイツ機関が生まれたのは百四十年くらい前なんですから。スヴァイツ機関の人達がスヴァイツ諸島に〝住んでる〟かどうかっていうのは、そっちの意味もあります」
「……えっ?」
「『潜入』した上で、その土地で代を重ねている人だって、多分居ます。――その場合、その土地の『コミュニティ』に、既に溶け込んでもいるでしょうが……根っこは『スヴァイツ機関』の人員として、〝中立〟でいるでしょう。――〝中立〟で居られないほどコミュニティに馴染んでしまった時は、スヴァイツの方から離れるのかもしれない」
再びリオンが、ぽかんと口を開ける。
「――GAIA議会が解散する段階……最後までGAIAに加盟していた国・地域の場合は、最後までGAIAの理念に同調していた、と云えますから、仮に国籍の『偽造』が判明したとしても、同時にスヴァイツ機関の人だと判明すれば、見て見ぬ振りってこともあるかもしれません」
「そ、そうなの……?」
「これも、スヴァイツが『在る』と確信出来たために、僕も今更『腑に落ちた』部分があるんですけど。――ちなみに、フリュスは、最後までGAIAに入ってました。もしかすると……一般の村民の方は置いといて、村の御長老や母、兄などは、フリュスに居る『スヴァイツ機関のお宅』を知ってたりするのかもしれません。僕はまだ、今まで機関の方を『幽霊』みたいにしか思っていなかったし……僕の方の修行が足りないから教えて貰えてなかったのかも」
「……」
「それを知りながらに他の村民の方と同様に接するとなったら、『お芝居』の能力が要りますからね」
苦笑したアサギに、リオンが戸惑いつつも、
「腑に落ちた、ってことは、『もしかしてあの人』って心当たりもあんのか」
「……。――コミュニティに馴染みすぎてスヴァイツの方を離れた、って可能性、『元』かもしれない、ってのも含んではいますが。田舎の小さな村ですから、外から移住してくる人は珍しいんですけど、この百五十年程以内で、そういう経緯がある『お家』が無くは無いので」
「いや、そんだけじゃ、ただの勘ぐりじゃね?」
「……僕が『そうかも』って考える所以までは、リオン君に云わなくても良くないですか?」
アサギが苦笑混じりに答えると、リオンが目をパチパチさせた。
「僕がそう思う感じの人が、サヴァナにも居たりしたら、リオン君に妙な『疑心暗鬼』が生まれるかもしれませんよ」




