【地図】
アサギが居室に戻り、扉を開けると、
「お帰り――あのさ」
と、机についていたリオンが、顔を向けて直ぐに声を掛けてきた。
アサギは、「何か?」と首を傾げながら近づく。
卓面を見ると、リオンは「世界地図」を広げている。
「フリュスの位置、分かりませんか?」
「あ、いや、フリュスじゃなくて。〝大洋〟に『スバイト』って読めるとこ――〝諸島〟見つけたんだけど、もしかして、此処?」
「……」
リオンがアサギの顔を見上げて訊き、アサギはほんの一瞬口を噤む。――「それ」を訂正すると三回目になってしまう、こちらも恐縮なので止めておこうと考えた――それにしても、「音」で考えたら、リオンの地元である「サヴァナ」も似たような繋がりだと思うのだが、何故そこまで発音しにくいのだろう。本当は「サヴァナ」の方が彼らからしたら「特殊」な発音で、他に似たような音の言葉は無いのだろうか。子供の頃から「地元の土地を言い表す言葉」だけは言い慣れているということか…?
アサギはこくりと頷き、
「そうですね。〝拠点〟が其処と云って良いかも」
そう云って、自分はベッドに腰掛けた。
顔をそちらに向けて――今度はなだらかに見下ろす角度になって――リオンが
「? 拠点?」
「スヴァイツ機関の人達がその諸島に『居住している』かと云えば――というか、本人達が『住んでいるという意識を持っている』かと云えば、それは多分、疑問符が付くので…。〝機関〟が〝在る〟のは其処と思って良い、かな、と」
「……。うぅん、何だかいよいよ、良く分かんないなぁ…」
腕組みをしてリオンが首を捻る。
アサギは苦笑して、膝の上に先ほど借りてきた〈板〉を乗せ、見下ろした。
――それに気づき、リオンが「あ」と声を出すと、地図や〈装置〉を抱えて立ち上がった。
「ごめん、アサギ、位置替わるよ」
「え?」
何を云われたのか判らず、アサギが不思議そうな顔をしてリオンを見上げる。
「メモとか取るだろ? 其処に座ってちゃ、難しい」
云われてみれば……、アサギも立ち上がったが、
「リオン君も、そうじゃないですか?」
「あはは、気にしいだなぁ! 今んとこ、此処、あんたの部屋じゃん、何でそんな気ィ遣うの。あんたの方がシビアで急ぎの用事持ってるんだからさ。――そりゃ、寝台だし、他人が尻据えるのはナンかヤダ、ってそっちが気になるなら、俺も別に替わんなくても良いよ?」
おどけて肩を竦めながらリオンが云うと、アサギも苦笑を見せた。
「いえ、〝聖職者〟と云える立場ではあるけど、そういう潔癖ではありませんから、大丈夫ですよ。――それじゃ、僕が机を使わせて貰います。少し待っててください」
リオンは「うん」と頷き、机についたアサギの姿を斜め後ろからしばし眺める。……自分自身も指摘はしたが、やはり「シビアな用事」を始めるのだな、と、リオンは改めて感じた。
アサギの性格からして、最後の台詞が「分からないことがあったら訊いて」になっていても自然な気がしたが、そんな彼が「少し待ってろ」と云ったのだ、明確に「邪魔されず・集中したい」らしい。
それに、その横顔が、今まで見たことがない、何だか「大人びた」ものに見えた。自分は持っていない立場、「共同体の幹部」としての顔がコレなのだろう――リオンはそう思った。
そうして、しばらくアサギの部屋は、二人の人物が居ながらにして大変静かなものであった。
勿論、リオンの方には訊きたいことが色々とあったが、それでアサギの集中を邪魔するほど「子供」でもない。一先ず、世界地図の「諸島」のことは忘れ、タオから云われたことを素直にやっている――即ち、地図を見ながら自分なりのフリュス行きルートを作ってみる、という――。
アサギの方は、「リオンを待たせている」という意識があるから、少し早回し気味に「会見映像」を眺め、走り書きでメモを続けた。
――陽が傾いてきて、部屋に灯りが欲しくなる頃、リオンが少々悩ましげな顔をして、アサギの方へ眼を向けた。丁度その頃、アサギの「仕事」も終わったらしく、ペンを置き、少し俯き加減になって「ふう」と息を吐いた。
……が、アサギが振り返ることは無く、再びメモの紙を手にとって思案げな顔をしたので、リオンは声を掛けるのをもう少し待つ。
アサギは、ざっとメモ書きに目を通し、再び「ふうっ」と息を吐く。ルナールとカロラインが云っていたように――フーコーもタオにそれを云ったが、アサギはその場に居なかった――「事態が好転しそう」ではある。少なくとも、今より悪くなることは無い気がする。ただ、それは、エグメリークとフリュスの関係に限った場合、フリュスにとって、だけの話だ。
この会見を確認したCFCとイー・ルは、エグメリークに対して、どういう態度を取ることになるだろうか――?
それを考えると、昨夜、タオが云っていたように――直接「この件」について語った訳ではなく結果的に偶々今の状況に重なっただけだが――、フリュスだけでなく、サウザーやサヴァナも巻き込んで「面倒臭いこと」が起きないとは限らない。
となると、まだ〝この世〟に於ける戦争のことを「さておく」ことは出来ない訳で……。アサギも、それを知らないながらタオやシダーと同じく、「〝筋〟への対処には、まだ本腰が入れられないのかもなぁ」と感じていた。
もう一つ、アサギが「はぁ」と息をついたところで、流石にリオンが声を掛けた。
「……アサギ、終わった?」
あ、と顔を上げて、アサギが振り返る。慌てた顔をして、
「済みません、はい、終わりました」
と答えて立ち上がり、
「スヴァイツのことですよね」
地図を覗き込むようにして近づいて来たが、リオンもそれを畳みながら立ち上がって首を振る。
「いや、先にメシ行かない?」
そう云って、窓にちらりと顔を向けた。
アサギもそこでやっと、陽が沈みかけていることに気付く。魔術士隊の食堂が夕食の支給時間に入っている筈だ。
「メシはちゃんと食わないと、メレンゲさんに気を遣わせるよ」
「そ、そうですね」
リオンが肩を竦めると、アサギもコクコクと頷いた。
「…それじゃあ、夕飯を頂きながら、スヴァイツのこと説明しましょうか」
扉の方へ向かいながらアサギが云うと、リオンが「ん~」と唸った後、首を振った。
「いや、それは地図見ながらの方が良いや。あんた、〝世界史〟とか〝地理〟で習うことって云ってたろ。だったら俺も、その方がピンと来そう。――でも、食堂に持ってくと、他の人に邪魔だし、汚しちゃうかもしれないから。後でいいよ」
「そうですか――」
部屋を出、食堂に向かいながら、リオンがからかうような口調で云う。
「それに、あんたも、まだもう少し一人で考え事したいんじゃないの?」
「……そんなふうに、見えましたか」
「見えたよ。――『まつりごと』のことを考えてるんだろうから、俺も割り込むのは気が引けたんだけどさ、あんた、三回も溜息ついたもん。こうなりかけてんじゃないかと思ってさ」
リオンが顔の前で手の平を床に向ける格好で水平にし、その後、指先が手首より下になる形で傾けた。「下降」を示しているような仕草だ。
アサギが苦笑する。
「……気を逸らしてくれたんですね」
「あ、やっぱ、自分でも自覚あるんだ? ヘコみかけてた?」
「〝端っこ〟の方とは云え、幹部の立場ですから、『この手のコト』で感情的にヘコんではいられないので、そういう意味では違いますけど……。それに、楽観的に考えることも出来はしませんが、まあ……、悲観的な方向に傾き掛けてたのは、そうかも」
ふーん、と相槌だけを打って、リオンは小首を傾げた。
魔術士隊食堂の前に来ると、正規の隊員も段々集まっている。
大きく扉が開け放たれた入り口から入り、支給カウンターの前が少々混雑しているのを見て、先に空いたテーブルの目星を付けるべく、アサギがザッと食堂内を見渡した時、――ふと、リオンが何か思いついた顔と声で云った。
「じゃあさ、アサギ。メシの間、スバイツじゃなくて、そっちのこと俺に教えてよ」
「そっち?」
「エグメリークのこと。――勿論、幹部とかじゃなきゃ知らないこととか、人に云っちゃ駄目なこととかは良いけど。俺、そもそも、あんたとかギンさんが云ってた『一番えらい人』ってのが誰なのかも、結局知らないんだ」
「……ああ…」
そういえば、先ほど会議室で、自分もリオンに「そう」としか云わなかった。――「死亡した」のだから、結局リオンは知らなくても良いことだと思ったからだろうか。
しかし、リオンの方はそうは思わないらしい。
「その会見ってのは、もう完全に公式で、オープンになってんだよな? 親方達なら兎も角、下っ端の俺が知っとくべき事なんて特別無いだろうけど、逆に、機密ってのも無いんだろうし、あんたの整理がてらにでもさ。タオも云ってたじゃん、他人に話すっていうアウトプットは、バックアップにもなるって」
自分達の順番がやってきたので、一先ず口を噤み、配膳係の女性へ「有難うございます」とお辞儀しつつトレイを受け取る。今日は直焼きパンに野菜のスープと削ったチーズだった。
アサギが目星を付けていたテーブルを、リオンも狙っていたらしく、二人とも特に確認し合わずそちらに向かった。
椅子に座ってから、リオンが軽く肩を竦めて先を続ける。
「――そりゃまあ、俺もタオみたいに『ぶれずに』聞くことは出来ないだろうけどさ。半人前同士、丁度良いんじゃねえ? あんたが悲観的になりかける時に俺は楽観的な『処理結果』出しやすいから、それを『確認』し合う感じで喋ってたらさ」
そう云ってリオンが笑うと、アサギも「ふふ」と笑みを浮かべ、「そうですね…」と頷いた。
それで先ずは「頂きます」を云い、夕飯をとりながら、アサギがリオンに「エグメリーク王国」について、自分の知るところを教授した。
リオンは頬をもぐもぐさせつつ、「ふーん」「へえ」と相槌を打ち、時々「それは俺はこう思う」という意見もアサギに伝えていたが、
「えっ、そうなの!?」
と最も驚いたのは、話のほぼ最初――
「エグメリークの先代国王は現在の国王陛下の父君なんですが、死亡した〝一番えらい人〟というのは、その奥方である〝皇太后〟なんです」
というのを聞いた時だった。
「……な、何か、微妙な云い方。現国王の母親、って何で云わないのか、……怖いっちゃあ怖いんだけど?」
――「ギイチと自分の間にある遠いながらの血縁関係」をすんなり云え、それをオリヴィアから恐らく感心されたリオンにしてみたら、皇太后・現国王という、本来なら近いはずの関係が妙に回りくどい表現になっていることへ、違和感と驚きを感じずには居られなかったらしい。
「……それは、まあ…――〝王国〟の〝王家〟っていうのは、国によって色々ありますから。僕も、詳細は良く分かりません。エグメリーク国内でも、その辺りに触れることはタブーみたくなってるようです。一応、国王陛下や大臣達は、〝母君〟と表現はしていたのですけどね」
「うわっ、コワ! 後添とか側室とかそういうんかな、って思いかけてたのに! じゃあ、『一応息子』の国王から、『一応母親』の皇太后が、最高権力奪ってたってことだったのか」
そこでアサギが微苦笑を浮かべ、
「――こんなこと云うと冷たく聞こえますけど……、でも、もう亡くなったんです。リオン君、そこのところを深く掘り下げると、ゴシップ的になっちゃうんですよ。それで僕も、詳細を『知らない』というよりは、『敢えて知ろうと思わない』ようにしてたっていうか。――もう少し『ただの知識』とか、『会見』の方を喋っても良いですか?」
「あ、ああ……。悪い、そうだよな」
昨夜タオからも指摘された、「好奇心が先走って話の腰を折る」悪い癖が出てしまったようだ。
リオンはぶるっ、と頭を振り、気を取り直す意味も込めてパンを千切って放り込むと、そこから改めてアサギの話に耳を傾け始めたのだった――「集中する余り脱線する」悪い癖も、所々で抑えつつ。




